リー・クアンユーが亡くなった
先月の23日、シンガポールの建国の父とも呼ばれるリー・クアンユー元首相が亡くなった。
シンガポールは、言うまでもなく「島国」である。東南アジアに位置し、マレー半島の先端からジョホール海峡を超えたすぐ先にある。何度も言って恐縮だが、シンガポールは島である。天然資源もなんにもない、島なのである。
このなにもない島の上に、一人あたりGDPで日本を上回る5万ドルを超える経済大国がある。それがシンガポールだ。フツーの感覚で言えば、こんなところでそんな国ができるわけがないと思うだろう。
ここで日本の話になる。明治の話である。明治は良かったという声がある。しかしながら、明治時代の日本は、その前の江戸時代よりも強固な管理社会であり、権威主義であり、庶民にとっては過酷な社会だった。まだ江戸時代の方が気楽だったとも言えるところが数多くある社会だった。そういう社会にせざる得なかったということは言えるが、暗く陰惨なところがある時代だったとも言えることは否定できない。明治は有司専制だった。アジアの小国だった日本を、革命政府が強制的に近代国家にさせたのが明治時代だった。
シンガポールにも、同じことが言えるだろう。19世紀からイギリスの植民地であったが、20世紀になり日本の占領を経て、第二次世界大戦以後は、イギリスの植民地から独立し、マレーシア連邦のひとつになる。1963年に、マレーシア連邦から分離独立してシンガポールになる。いわば、マレー半島の先端の島の上に、華人を中心とした人々が独立して国を創ったのである。しかしながら、天然資源もなにもない小さな島なのだ。この先、どうやって国を維持していくのか。
リー・クアンユーがやったことは、シンガポールを徹底的な独裁国家にしたということだ。自由がどうこう、民主主義がどうことではなく、まず国を維持していくこと、経済を豊かにさせることが優先事項とした。専制的にやっていかなくては、とてもではないがやっていけないとしたのである。
まず、リーは日本に学んだ。戦後日本の経済復興に学び、日本の製造業のやり方を積極的に導入した。次に、第二次産業が時代の主流ではなくなると、今度は規制を撤廃して、外国企業をシンガポールに誘致することでサービス業や金融業といった第三次産業をシンガポールの基幹産業した。シンガポールがやっていることは、アイルランドやフィンランドやアイスランドやエストニアなどがやっているIT立国の姿と同じだ。
この人物の優れていたことは、この人はよくいる私利私欲にふける無能な独裁者ではなく、私欲にふけることなく、自国の発展のためにはどうしたらいいのかを考え抜き、それを徹底的に実行し、見事な成功へと導いた有能な独裁者だったということである。国に優れた政治家が出現すれば、これほどその国は発展するのかという例のお手本になるとも言って良いほど優れた政治家であった。、リー・クアンユーは、アジアの偉大な指導者であり、歴史に残る優れた人物であった。
一党支配の独裁国家ということでは、大陸中国も同じであるが、中国とは国の規模が違う。有効に機能する独裁体制が維持できるのは、シンガポールが小国だからである。大陸中国で同じことをやると、国が大きいため、国家の意思を周知徹底させることができない。シンガポールでは、それができた。
しかしながらその一方で、何度も言うが、リー・クアンユーは国権主義の人であった。シンガポールでは、道端にごみを捨てると即罰金である。マーライオン広場やオーチャードロードを歩いてみるとよくわかるが、市街地は見事な程きれいで清潔であり、ゴミひとつない。同じ東南アジアの台湾やタイやマレーシアにある、アジアの雑多さの感覚がこの国にはない。住みやすさの感覚で、シンガポールと香港のどちらを選ぶかと言えば、私は香港を選びたい。文化を創造するという点においても、シンガポールはどうなのかと思う。ただし、シンガポールは、なにもない小さな島なのである。その特殊さがある。なにもない小さな島が、日本以上の豊かを持つということもかなり特殊なことであり、そうした点を差し引く必要がある。小国の経済政策の観点、人が住む社会としての国のあり方についてなど、シンガポールから学ぶべきことは多い。
リー・クアンユー亡き後の今、大国中国を前にして、これからのシンガポールがどうなっていくかについて注目していきたい。
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