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March 08, 2015

『「無知の無恥」 行き着く先 国際的孤立』

 3月7日の東京新聞の「こちら特報部」の「はびこる「無知の無恥」 行き着く先 国際的孤立」は大変興味深いものであった。今のこの国では、「知らなかった」と恥じるのではなく、開き直る異様な光景がよく見られるという。

「昔から「知らないことを恥じるな」という。知ったかぶりをするより、謙虚に学ぶことが大切という意味だ。しかし、もし「謙虚に学ぶ」という暗黙の了解がなくなれば、ただの恥知らずになる。最近、そうした「無知の無恥」が目に余るように思える。それも権力の中枢、周辺で横行している。」

 この記事の実例1では、補助金の政治資金問題について、安倍総理は先月二十七日の衆院予算委員会で「知らなければ違法行為ではないということは法律に明記されており、違法行為ではないことは明らか」なのでまったく問題ではないと述べたことが挙げられている。政治資金規正法では、国から補助金をもらう企業は交付決定から一年間、政治活動に寄付できないという。また、政治家は企業への補助金の交付決定を知らなければ、罪に問われないようだ。安倍総理は、そのことをもって、だから問題ではないと言っているのであろう。いかにも、小物感がハンパないと揶揄される安倍総理の回答である。

 実例2で取りあげられている、作家曾野綾子氏の産経新聞でのアパルトヘイト容認コラムについては、今更言うまでもないことであろう。

 曽野綾子氏は「飛躍した発想。そう考える人たちの悪意」と延べいるそうであるが、自然に、素直な心で、曾野綾子氏の文を読むと、南アフリカという文脈がなく、ただ単に人種で居住区を分けた方がいいという発言であったのならばまだしも、南アフリカの実情を知って、人種で居住区を分けた方がいいという論旨は、どう見てもアパルトヘイト容認と思われても当然であろう。

ラジオ番組で「アパルトヘイトの問題点は何か」と問われると、「全く分からない。見たこともない。私が行ったころには(アパルトヘイトは)もう崩れていた」と述べたそうであるが、曾野綾子氏が南アフリカを訪れたのは1992年頃であり、この頃にはまだ人種ごとの居住区も多くあった。そもそも、南アフリカへ行って、アパルトヘイトについてなにも知りませんというのは、あんた、小学生ですかと思わざるを得ない。

 ようするに、曾野綾子という人は、本心から住む場所を人種で分けた方がいいと思っているのだろう。その意味では正直な人であり、自分の考えを正直に述べたわけである。であるのならば、アパルトヘイトは容認すると正直に言うべきである。いやそうではなく、住む場所は人種で分けた方がいいが、アパルトヘイト政策には反対であるのならば、その趣旨について述べるべきだ。

 実例3の自民党の憲法改正推進本部の事務局長が、「立憲主義」について「この言葉は学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」とツイッターに書き込んだという。憲法改正推進本部の事務局長が、である。この人は法学部を出たそうであるが、大学の講義では教わらないことなど無数にある。大学で学ぶものはごくわずかであり、学ばなくてはならないことがあるのは大学卒業後も続くのは当然のことだ。いわば、大学で学ぶだけではまったく不十分であることを学ぶのが大学だと言ってもいい。

 この記事で一番、驚いたのが実例4だ。防衛省の大臣が文民統制の意味について問われると、自分の生まれた前のことだからわからないという回答を堂々と言ったということだ。防衛省の大臣が、である。

 奈良時代の冠位十二階制度の制定の目的を延べよとか、そういうことを言っているのではない。今の自衛隊の文民統制についての会話である。この大臣は、自衛隊という制度、組織についてもなにも知りません、わかりません、と言っているわけである。文民統制の意味がわからないのならば、今のままでも、なんでもいいはずだ。しかしながら「変える」のだという。なぜ「変える」のか。その理由が曖昧でわからないまま、物事が進展していっている。

 「自分の生まれた前のことだからわからない」という発言が通るのならば、歴史を学ぶ必要はない。この男は小学生以下なのだろう。小学生以下でも大臣になれるのが、今のこの国である。

 東京新聞のこの記事では、触れられていなかったが、安倍総理の「国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官である」から文民統制はなくてもよいという発言も意味がわからないものだ。

 戦後日本は、一貫として国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官であったが、それでも文民統制は存在していた。「国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官である」から文民統制はなくてもいいのならば、では、なぜ戦後の日本には文民統制という制度が存在していたのかということになる。最高指揮官の総理大臣は選挙で選ばれるのだから、文民統制はなくてもいいという極めて幼稚で低レベルの発言を総理大臣がしている。それが今のこの国なのである。

 この3月7日の東京新聞の「こちら特報部」のような報道は、今の大手四紙、読売、朝日、毎日、日経は報道しない。NHKも報道しない。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーは神奈川新聞でこう書いている。

「国家として重大局面を迎えているにもかかわらず、なぜ日本のメディアは国民に問題提起しないのでしょうか。紙面で議論を展開しないのでしょう。国民が選択しようにも、メディアが沈黙していては選択肢は見えてきません。
 日本のメディアの報道ぶりは最悪だと思います。事件を受けての政府の対応を追及もしなければ、批判もしない。安倍首相の子どもにでもなったつもりでしょうか。保守系新聞の読売新聞は以前から期待などしていませんでしたが、リベラル先頭に立ってきた朝日新聞は何をやっているのでしょう。もはや読む価値が感じられません。
 私がいま手にするのは、日刊ゲンダイ、週刊金曜日、週刊現代といった週刊誌です。いまや週刊誌の方が、大手紙より読み応えがあるのです。
 安倍政権になり、世論が右傾化したという人もいますが、私はそうは思いません。世論はさほど変わっていないでしょう。変わったのは、メディアです。」

 かつて、インターネットが社会に普及し始めた時、アメリカの雑誌『WIRED』に、マイケル・クライトンはこれで大手のメディアは終焉するだろうと書いた。その後、アメリカのマスコミは紆余曲折はあり、今でも問題はあるが、権力の監視機関としての位置を保ち続けている。アメリカのマスコミは、商業主義に流れるところがあるが、健全な良心と自己浄化ができる力を持っている。

 かたや日本のマスコミは、質の低下が甚だしく、終焉を迎えようとしている。新聞でがんばっているのが、大手ではない東京新聞やJapanTimes、さらに沖縄タイムスなどの地方紙だ。

 今、国民が望んでいることは、原発の再稼働はしない、集団的自衛権は必要ない、沖縄に米軍基地はいらない、憲法9条改定は必要ない、秘密保護法はいらないということだ。今、目の前にあるやるべきことは、子供の養育や教育にお金がかからないようにすることであり、教育の質の向上であり、高齢者の介護支援の充実である。中東の機雷除去がどうこうということは、国民は望んでいない。

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Comments

お久しぶりです。
いつもあなたのブログを愛読していますが、
今回の記事は・・・ちょっと危なげ・・
なのでトラックバックさせていただきました。
スルーは慣れておりますので御遠慮なく(笑)

http://45946132.at.webry.info/201503/article_1.html

葵さん、

いつも拙ブログを読んで頂き、ありがとうございます。

福島みずほさんのツイートの「文民統制廃止へ」というのは、誰も文民統制を廃止するとは言っていませんのであやまりです。文官統制を廃止することが、文民統制を緩めることになるというのは、まあ、そういう理解もあっていいだろうなとは思います。福島みずほさんですから(^_^;)

「文官統制」と「文民統制」の意味については、東京新聞のこの記事の中に記載されています(東京新聞のホームページで記事の全文を読むには有料なのですが、この記事について書いているブログは、私以外にもいくつかあって、全文を引用しているものもありますので、ネットを検索すれば東京新聞のこの記事の全文を読むことができると思います)

「文官統制は文民統制(シビリアンコントロール)の一形態で、防衛省で大臣を支える背広組(文官)が自衛隊の制服組より優位にあることを意味する。」

つまり、今の防衛省には文民統制という仕組みがいくつかあり、その中のひとつが「文官統制」であるということです。しかし、上記の説明では漠然としていて、具体的にどのようなものなのか、どのような違いがあるのかよくわかりません。

そこで、朝日新聞の以下の記事での説明がわかりやすいです。

【文民である防衛相が自衛隊を統制するのが「文民統制」。その防衛相を政策の専門家である「文官」の背広組が支えるのが「文官統制」だ。
 現行の防衛省設置法では、防衛相が制服組のトップである統合幕僚長や陸海空の幕僚長に指示を出したり、監督したりする際には、背広組幹部である官房長や局長が「補佐する」との規定がある。これが根拠になり、防衛相が自衛隊部隊へ命令を出す際や、部隊が防衛相に報告する際は、背広組を通す仕組みになっていた。
 改正案では、この規定を撤廃し、防衛相を補佐する上で、官房長・局長と幕僚長は対等となる。同時に背広組の局長をトップとする「運用企画局」を廃止し、自衛隊の運用を制服組が統括する「統合幕僚監部」に一元化する。】
http://www.asahi.com/articles/ASH2R5X1SH2RUTFK00P.html
 
これだとよくわかると思います。「文民統制」とは、文民である防衛相が自衛隊を統制することです。「文官統制」とは、その防衛相を「文官」の背広組が補佐しするということです。

ポイントは「防衛相を補佐する上で、官房長・局長と幕僚長は対等となる」という点です。つまり、今回の変更点は、現在は、防衛相を補佐する上で、官房長・局長が上位で幕僚長は下位であることを、官房長・局長と幕僚長は対等とする、にしたいということです。

私の考えを述べれば、「文官統制」の廃止は問題ないと思います。防衛相を補佐する上で、官房長・局長と幕僚長は対等とするのは当然のことです。文官は、軍事の専門家ではありません。また、「文官統制」を廃止して、官房長・局長と幕僚長は対等としても「文民統制」は変わりません。なぜならば、文民である防衛相が自衛隊を統制しているからです。戦前の誤りは、陸軍大臣・海軍大臣が現役の軍人であったことと、大日本帝国憲法の第11条に天皇の統帥権があるということです。今回の変更は、防衛相を現役自衛官にするわけでもなく、日本国憲法に天皇の統帥権を記載することではありません。まったく問題ありません。

では、東京新聞や私のブログの言いたいことはなんなのか。東京新聞の記事「無知の無恥」や、私がブログで述べたことは、「文官統制」廃止はどういうことなのかとか、「文官統制」と「文民統制」はどのように違うのかとか、そういうことではありません。

防衛大臣が「文官統制の規定は軍部が暴走した戦前の反省から作られたのか」と尋ねられた時、「その辺は私、その後生まれたわけで、当時、どういう趣旨かは分からない」という程度の発言しかできないというというのは、どういうことなのかと述べているわけです。大臣から、当時、その部署にいませんでした、担当者ではありませんでした、みたいな発言しか返ってこないというのはどういうことなのでしょう。防衛省のいち課長とか局長とか事務次官に制度の由来を尋ねているのではありません。大臣の見識を尋ねているのです。それが、このレベルの回答しかできない。これを東京新聞は「無知の無恥」と呼んだわけです。私もそう思います。

そう考えてみると、私が述べたように、安倍総理が国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官であるからオッケーですみたいな発言もおかしいことがわかると思います。本来、安倍さんはこのように回答すべきです。「文官統制を廃止しても防衛相は文民です。戦前の誤りは現役の軍人が陸軍大臣、海軍大臣になっていたことと、憲法において天皇が軍隊を統治するとされていたからです。しかしながら、文官統制を廃止しても防衛大臣は文官です。現役自衛官は防衛大臣にはなれません。さらに今の憲法では、天皇が軍隊を統治するとされていません。私は現行憲法を守ります。」と回答すればよかったわけです。

総理大臣に「文民統制」についての正しい歴史理解と見識があれば、そして今の憲法を守るという護憲意識があれば、こうした回答をしたでしょう。岸信介や佐藤栄作なら、こうした回答をしたと思います。しかしながら、岸信介や佐藤栄作の親戚の安倍晋三さんという人は、そうした人ではないようです。まあ、そうなんでしょう。

ちなみに、背広組の命令で制服組が決起するとはまったく思えませえん(^_^;)背広組は軍事を知りませんし、制服組は自衛隊のことしか知りません。お互いに対立しているのが、警察予備隊の頃からの「でんとう」ですので。

大学の法学部の授業で、これって教わらなかったよな。はっ、当たり前のことなのか。知らなかった。しっかり勉強をしなくては、と思うか。大学の法学部の授業でこれって教わらなかったよな。おれ、知らねえよ、こんな学説ねえよ、と思うかの違いなのでしょう。そして、件の議員は後者だった。しかも、わざわざ、その思いをツイートしたというわけです。「無知の無恥」なのでしょう。

自衛隊や日米安保は違憲ではないか?といえば、当然、違憲です。しかしながら、私は学生時代、砂川紛争のことを知って、ああ、この国では憲法はどうとでも解釈ができるんだとつくづく思ったものです。これはまっとうな近代国家ではありません。

私は、以前から書いているように、今の憲法は変えるべきだと思っています。ただし、その前に対米従属をやめる必要があります。今の対米従属のままでは、憲法をどう変えようと同じです。まず対米従属をやめる。サンフランシスコ体制をやめる。憲法改正はそれからの話です。

とても丁寧な返信、ありがとうございます。
書きっぱなしのブログなので、気がつかず、お礼が遅れて御免なさい。
私見を書き、トラックバックさせて頂きましたので、お知らせします。長いので、自分のブログにアップしました。

葵さん、

「自衛隊の活動は国会の決議も必要だし、国の予算も国会を通らなければならない。これこそがシビリアンコントロールだ」であるのならば、戦前の日本もシビリアンコントロールでした。戦前の日本でも、軍の活動は国会の決議が必要でしたし、軍の予算も国会を通らなければなりませんでした。軍がやりたい放題できるようになったのは、昭和13年の第1次近衛内閣の時、国会で承認された国家総動員法によるものです。大日本帝国陸海軍は国会と法律に従ったまでとも言えます。

シビリアンコントロールついて佐藤栄作は次のように発言しています。
「自衛隊のシビリアンコントロールは、国会の統制、内閣の統制、防衛庁内部の文官統制、国防会議の統制による四つの面から構成される制度として確立されている」

佐藤栄作はシビリアンコントロールには防衛庁内部の文官統制が必要であるとはっきりと言っています。安倍晋三さんは岸信介を尊敬しているそうですが、学ぶべきはおじいさんの岸信介ではなく、大叔父の佐藤栄作なのではないでしょうか。

なるほど、今どきの共産党はサンフランシスコ講和条約はんたーい!って言いませんか。あっはは、「その辺は私、その後生まれたわけで、当時、どういう趣旨かは分からない」ですね。樺美智子も安田講堂事件も浅間山荘事件も「二十歳の原点」も「朝日ジャーナル」も、みーんな「その辺は私、その後生まれたわけで、当時、どういう趣旨かは分からない」ですねえ。

私はセピア色ですから(^_^)

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