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March 22, 2015

ウクライナについて

 下斗米伸夫著『プーチンはアジアをめざす』(NHK出版新書)を読んだ。これは大変、興味深い本だった。 

 まず、ウクライナについて、考えてみたい。

 8世紀頃から13世紀にかけて、今の西部ロシアからウクライナにかけて、ルーシーと呼ばれる国があった。

 日本の世界史の教科書では、キエフ大公国と呼ばれる国である。ルーシーは周囲の東スラヴ系の諸民族を次々に支配下に収めて勢力を拡大し、また、南のビザンツ帝国とも幾度も戦い善戦する。ビザンツ帝国からキリスト教(正教会)も含めた多くの文化を吸収し、大いに発展した。

 しかしながら、この国は、チンギス・カンの長男ジョチの次男バトゥの遠征によって滅ぼされる。このモンゴルに滅ぼされたルーシーの遠い末裔が、今日のウクライナ、ベラルーシ、ロシアになる。つまり、ウクライナの人々の心情の奥底には、かつて自分たちもまたロシアと同じくルーシーの民だったという想いがある。

 1991年、ソビエトが崩壊し、ウクライナは独立国になる。ここでウクライナの人々が、自分たちはかってルーシーの民であったという心情からロシア側につくということになれば、その後の紛争は起きなかったであろう。

 しかしながら、そうはカンタンにはいかなかった。ウクライナは、親欧米派と親露派の内部対立の国になってしまったのである。これはどちらが正しい、悪いということではない。いわば歴史の必然であり、やむを得ないことだろう。西欧につくか、ロシアにつくか、その対立の中でバランスをとってやっていけばいいことなのだ。

 しかしながら、これもそうはカンタンにはいかなった。2013年、ヤヌコビッチ大統領はEUとの連携協定の締結に失敗すると、ロシアのプーチン大統領はヤヌコビッチ大統領にロシアの天然ガスを値引きして提供する約束を申し出た。ロシアからすれば、ウクライナは兄弟国のようなものである。ましてや、ヤヌコビッチ大統領は親露派であった。このままではウクライナはロシア側になってしまうと危機感を感じた親欧米派は、ここで後に「ユーロマイダン」と呼ばれる抗議活動を展開することになる。

 このユーロマイダンを支援したのは、アメリカである。もともとアメリカには、ロシア革命や第二次世界大戦でソ連の虐待からアメリカへ移民したウクライナ移民が数多くおり、その政治的な力は無視できない程大きい。彼らは当然、反ソ連(反ロシア)である。また冷戦以後も依然として、アメリカはロシアの天然資源が必要なわけではなく、経済的にロシアがいなくてもなんともないので、ロシアに対して強硬な態度に出ることできる。アメリカが親米派のNGOに支援で送った資金は、10年間で50億ドルに達したという。

 ユーロマイダンは複雑であり、ひとことでは言い表せないものがある。

 これは、ウクライナの経済を支配しているロシアの新興財閥への民衆の不満の爆発でもあった。腐敗した財閥だけが潤い、経済は停滞している。これを打破するために「ヨーロッパ」になりたいという要求があった。さらには、別の観点から見れば、西ウクライナは東のロシア正教とは違うキリスト教の地であり、「自分たちはヨーロッパ人である」という意識を持っている。

 また、スターリンが西ウクライナをソ連に強制的に組み入れた時、ソ連への反体制活動を行った民族主義グループもある。彼らはナチス・ドイツとスターリン・ソビエトのどちら側についたかといえば、まぎれもなくナチス側だ。フルシチョフによって、無理矢理にロシア正教に改宗されられた恨みを持つ人々もいる。

 ウクライナは東と西では、もはや世界観が違うといっても良い。そうした諸々のことが、この紛争を激化させることになった。この紛争によって、もし革命側が処理し、その政権になったら、ロシア語を話し、ロシア正教を信じる人々はどうなるのかというと、劣等国民に格下げになる、そういうことにまでなってしまった。

 さらに、(さらに、だ)ウクライナ紛争をややこしくしたのは、クリミア半島の存在だ。もともと、クリミアはロシアの地であったが、東ウクライナ出身のフルシチョフが、クリミア半島をウクライナに渡してしまった。このことは、ソ連憲法の公式手続きを踏んでいない違法なものであった。フルシチョフは、もともとソ連は法治国家ではなく、クリミアは共和国とはいえ、ソ連の一部なのだからという気持ちだったのかもしれない。クリミア半島のみなさんも、まあ、ウクライナはソ連なんだし、どっちでもいいなと思っていたのであろう。

 これがソ連崩壊後、ウクライナはクリミアも含めて「独立」することになってしまった。このへん、いろいろなことがあって、決してウクライナはそれを望んでいたわけではない。結果的に、そうなってしまったとしかいいようがない出来事だった。

 しかしながら、クリミアに住むロシア人にとっては、そうなってしまった、ではすまない話である。ウクライナがヨーロッパの一部になることは、ウクライナに住む新露派の人々、クリミアに住むロシア系の人々、ロシア語を話し、ロシア正教を信仰する人々にとっては、とうてい受け入れ難いことである。

 当初、プーチンはウクライナの暫定政権は非合法であると非難したが、クリミアを併合するつもりはなかった。ところが、ウクライナの新露派やクリミアに住む人々のロシア編入の希望に対抗するためか、暫定政権はロシアに対して、暫定政権は合法である、ウクライナはロシアの一部ではない。ウクライナはロシアの天然ガスを2020年までには必要としなくなること等の要求を突きつけた。いわば、ウクライナ暫定政権のロシアへの最後通告だったのであろう。ようするに、ウクライナはヨーロッパになる、ロシアはウクライナに今後一切関わるな、出て行け、ということである。

 クリミアは、ロシアに統合の是非を問う住民投票を行う。出口調査によると93%がロシアへの統合を望んだという。ユーロマイダンで樹立した暫定政権は、民族右派が武力でヤヌコビッチ政権を倒したクーデター政権であり、ウクライナ語を標準にし、ロシア語を話す者は下にされる国に、やがてこの国はなることを感じたのであろう。

 しかしながら、ウクライナの憲法では一切の分離主義や連邦制、自治権や自治を認めていない。国連総会では、このクリミアの住民投票は「無効」とされた。興味深いことに、この評決に、イスラエルは「無効」とする票を投じなかったという。暫定政権の民族右派には、先に述べたようにナチスと一緒にソ連と戦った者たちもいて、今なおナチを信奉するネオナチがいるからである。

 この住民投票の結果が出るやいなや、プーチンはクリミア併合の行動をとった。

 かつて、ルーシーの首都はキエフであった。今のウクライナの首都も、キエフである。20世紀初頭のウクライナの歴史学者ミハイロ・フルシェフスキーは、ウクライナこそルーシーの後継者であると主張した。この想いを持つウクライナの人々にとって、今のロシアは同胞の地であり、遠い昔の同じ文化を共有する国である。彼らは、自分たちはルーシーであることにアイデンティティーと誇りを持って暮らしている人々である。そうした人々を暫定政権は、「ヨーロッパ人」にしようとしている。

 だが、暫定政権もまた、ウクライナの人々なのだ。彼らのヨーロッパ人になりたいという気持ちも間違ってはいない。だからこそ、この問題は複雑なのだ。ウクライナは、日本のような、一国家、一民族で同じ神話や伝承を継承している国民国家ではない。

 以上、ウクライナの今の紛争に至る過程を述べた。この過程を考えてみると、なぜロシアがクリミアを併合し、ウクライナの紛争に介入しているのか、その理由がわかるであろう。

 プーチンには、かつてロシアはルーシーであったことの想いがある。ロシアの魂の故郷は、ソビエトではなく、その前の帝政ロシアでもなく、遙かな昔、モンゴルに滅ぼされた栄光のルーシーであると考えている。そう考えるロシアの政治家は多いという。本来、ウクライナは、その歴史的背景を考えてみれば、ロシア側、ヨーロッパ側のどちらにつくかという二者択一はできないことであった。それが、こうした極端なことになってしまった。

 欧米や日本のメディアでは、プーチンは批判されているが、プーチンからすれば、こうせざる得ない事情がある。そうした事情を知ることなく、一方的にプーチンを悪とするのはいかがなものであろうか。アメリカの主張には、ウクライナやポーランドからの移民やネオコン一派の影響力が強く、反ロシアの偏りがあることに注意しなくてはならない。

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