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March 2015

March 22, 2015

ウクライナについて

 下斗米伸夫著『プーチンはアジアをめざす』(NHK出版新書)を読んだ。これは大変、興味深い本だった。 

 まず、ウクライナについて、考えてみたい。

 8世紀頃から13世紀にかけて、今の西部ロシアからウクライナにかけて、ルーシーと呼ばれる国があった。

 日本の世界史の教科書では、キエフ大公国と呼ばれる国である。ルーシーは周囲の東スラヴ系の諸民族を次々に支配下に収めて勢力を拡大し、また、南のビザンツ帝国とも幾度も戦い善戦する。ビザンツ帝国からキリスト教(正教会)も含めた多くの文化を吸収し、大いに発展した。

 しかしながら、この国は、チンギス・カンの長男ジョチの次男バトゥの遠征によって滅ぼされる。このモンゴルに滅ぼされたルーシーの遠い末裔が、今日のウクライナ、ベラルーシ、ロシアになる。つまり、ウクライナの人々の心情の奥底には、かつて自分たちもまたロシアと同じくルーシーの民だったという想いがある。

 1991年、ソビエトが崩壊し、ウクライナは独立国になる。ここでウクライナの人々が、自分たちはかってルーシーの民であったという心情からロシア側につくということになれば、その後の紛争は起きなかったであろう。

 しかしながら、そうはカンタンにはいかなかった。ウクライナは、親欧米派と親露派の内部対立の国になってしまったのである。これはどちらが正しい、悪いということではない。いわば歴史の必然であり、やむを得ないことだろう。西欧につくか、ロシアにつくか、その対立の中でバランスをとってやっていけばいいことなのだ。

 しかしながら、これもそうはカンタンにはいかなった。2013年、ヤヌコビッチ大統領はEUとの連携協定の締結に失敗すると、ロシアのプーチン大統領はヤヌコビッチ大統領にロシアの天然ガスを値引きして提供する約束を申し出た。ロシアからすれば、ウクライナは兄弟国のようなものである。ましてや、ヤヌコビッチ大統領は親露派であった。このままではウクライナはロシア側になってしまうと危機感を感じた親欧米派は、ここで後に「ユーロマイダン」と呼ばれる抗議活動を展開することになる。

 このユーロマイダンを支援したのは、アメリカである。もともとアメリカには、ロシア革命や第二次世界大戦でソ連の虐待からアメリカへ移民したウクライナ移民が数多くおり、その政治的な力は無視できない程大きい。彼らは当然、反ソ連(反ロシア)である。また冷戦以後も依然として、アメリカはロシアの天然資源が必要なわけではなく、経済的にロシアがいなくてもなんともないので、ロシアに対して強硬な態度に出ることできる。アメリカが親米派のNGOに支援で送った資金は、10年間で50億ドルに達したという。

 ユーロマイダンは複雑であり、ひとことでは言い表せないものがある。

 これは、ウクライナの経済を支配しているロシアの新興財閥への民衆の不満の爆発でもあった。腐敗した財閥だけが潤い、経済は停滞している。これを打破するために「ヨーロッパ」になりたいという要求があった。さらには、別の観点から見れば、西ウクライナは東のロシア正教とは違うキリスト教の地であり、「自分たちはヨーロッパ人である」という意識を持っている。

 また、スターリンが西ウクライナをソ連に強制的に組み入れた時、ソ連への反体制活動を行った民族主義グループもある。彼らはナチス・ドイツとスターリン・ソビエトのどちら側についたかといえば、まぎれもなくナチス側だ。フルシチョフによって、無理矢理にロシア正教に改宗されられた恨みを持つ人々もいる。

 ウクライナは東と西では、もはや世界観が違うといっても良い。そうした諸々のことが、この紛争を激化させることになった。この紛争によって、もし革命側が処理し、その政権になったら、ロシア語を話し、ロシア正教を信じる人々はどうなるのかというと、劣等国民に格下げになる、そういうことにまでなってしまった。

 さらに、(さらに、だ)ウクライナ紛争をややこしくしたのは、クリミア半島の存在だ。もともと、クリミアはロシアの地であったが、東ウクライナ出身のフルシチョフが、クリミア半島をウクライナに渡してしまった。このことは、ソ連憲法の公式手続きを踏んでいない違法なものであった。フルシチョフは、もともとソ連は法治国家ではなく、クリミアは共和国とはいえ、ソ連の一部なのだからという気持ちだったのかもしれない。クリミア半島のみなさんも、まあ、ウクライナはソ連なんだし、どっちでもいいなと思っていたのであろう。

 これがソ連崩壊後、ウクライナはクリミアも含めて「独立」することになってしまった。このへん、いろいろなことがあって、決してウクライナはそれを望んでいたわけではない。結果的に、そうなってしまったとしかいいようがない出来事だった。

 しかしながら、クリミアに住むロシア人にとっては、そうなってしまった、ではすまない話である。ウクライナがヨーロッパの一部になることは、ウクライナに住む新露派の人々、クリミアに住むロシア系の人々、ロシア語を話し、ロシア正教を信仰する人々にとっては、とうてい受け入れ難いことである。

 当初、プーチンはウクライナの暫定政権は非合法であると非難したが、クリミアを併合するつもりはなかった。ところが、ウクライナの新露派やクリミアに住む人々のロシア編入の希望に対抗するためか、暫定政権はロシアに対して、暫定政権は合法である、ウクライナはロシアの一部ではない。ウクライナはロシアの天然ガスを2020年までには必要としなくなること等の要求を突きつけた。いわば、ウクライナ暫定政権のロシアへの最後通告だったのであろう。ようするに、ウクライナはヨーロッパになる、ロシアはウクライナに今後一切関わるな、出て行け、ということである。

 クリミアは、ロシアに統合の是非を問う住民投票を行う。出口調査によると93%がロシアへの統合を望んだという。ユーロマイダンで樹立した暫定政権は、民族右派が武力でヤヌコビッチ政権を倒したクーデター政権であり、ウクライナ語を標準にし、ロシア語を話す者は下にされる国に、やがてこの国はなることを感じたのであろう。

 しかしながら、ウクライナの憲法では一切の分離主義や連邦制、自治権や自治を認めていない。国連総会では、このクリミアの住民投票は「無効」とされた。興味深いことに、この評決に、イスラエルは「無効」とする票を投じなかったという。暫定政権の民族右派には、先に述べたようにナチスと一緒にソ連と戦った者たちもいて、今なおナチを信奉するネオナチがいるからである。

 この住民投票の結果が出るやいなや、プーチンはクリミア併合の行動をとった。

 かつて、ルーシーの首都はキエフであった。今のウクライナの首都も、キエフである。20世紀初頭のウクライナの歴史学者ミハイロ・フルシェフスキーは、ウクライナこそルーシーの後継者であると主張した。この想いを持つウクライナの人々にとって、今のロシアは同胞の地であり、遠い昔の同じ文化を共有する国である。彼らは、自分たちはルーシーであることにアイデンティティーと誇りを持って暮らしている人々である。そうした人々を暫定政権は、「ヨーロッパ人」にしようとしている。

 だが、暫定政権もまた、ウクライナの人々なのだ。彼らのヨーロッパ人になりたいという気持ちも間違ってはいない。だからこそ、この問題は複雑なのだ。ウクライナは、日本のような、一国家、一民族で同じ神話や伝承を継承している国民国家ではない。

 以上、ウクライナの今の紛争に至る過程を述べた。この過程を考えてみると、なぜロシアがクリミアを併合し、ウクライナの紛争に介入しているのか、その理由がわかるであろう。

 プーチンには、かつてロシアはルーシーであったことの想いがある。ロシアの魂の故郷は、ソビエトではなく、その前の帝政ロシアでもなく、遙かな昔、モンゴルに滅ぼされた栄光のルーシーであると考えている。そう考えるロシアの政治家は多いという。本来、ウクライナは、その歴史的背景を考えてみれば、ロシア側、ヨーロッパ側のどちらにつくかという二者択一はできないことであった。それが、こうした極端なことになってしまった。

 欧米や日本のメディアでは、プーチンは批判されているが、プーチンからすれば、こうせざる得ない事情がある。そうした事情を知ることなく、一方的にプーチンを悪とするのはいかがなものであろうか。アメリカの主張には、ウクライナやポーランドからの移民やネオコン一派の影響力が強く、反ロシアの偏りがあることに注意しなくてはならない。

March 20, 2015

アメリカでのネタニヤフの演説

 私がネットでよく見るニュース番組はRT(旧称:ロシア・トゥデイ)とアルジャジーラとCCTV(中国中央電視台)だ。RTはネットで偶然に発見し、おや、なんか英語のニュース番組をやっているなと思って見てみると、どうもアメリカの番組のような感じがせず、後になって、これはロシアのニュース専門局であることを知った。ロシアであってもすべて英語でやっている放送局なのである。この放送局は、アメリカ国内でもかなりの視聴者がいるようだが、日本では、ほとんど知られていない。

 アルジャジーラは言うまでもなく、中東のニュース専門局だ。アラビア語と英語で放送をしている。CCTVは中国の放送局である。今の時代は、こうした外国のニュース専門局が24時間、番組を流していて、ネットで無料で見ることができる。たいへん便利な世の中になった。

 先日、iPadでなにげなくRTを見ていたら、「CrossTalk」という討論番組がやっていて、3月3日の米上下両院合同会議でのイスラエルのネタニヤフ首相の演説について、イランのテヘラン大学の人、ベイルートにいるジャーナリストの人、そして前ナショナル・セキュリティ・アドバイザーでハーバードのケネディスクールの人の3人が討論するというものであった。

 ネタニヤフ首相の演説についてどう思いましたかという問いに、テヘラン大学の人は開口一番「お笑いものだった」と言うのを見て、私も笑ってしまった。確かに、ネタニヤフ首相の演説はお笑いものだった。

 イスラエルのネタニヤフ首相が米上下両院合同会議でおこなった演説については、オバマ政権が行うイランとの核協議を批判し、イランに対する強硬路線を述べたものとしてメディアで大きく取り上げられた。

 とにかく、最初から最後まで、イランは中東の危険な存在であり、世界で最大のテロ支援国家だと言う、イラン憎しの演説である。ネタニヤフが、イランがいかに悪の国であるかを述べるたびに、議場では議員が総立ちで拍手喝采をしている。これが2分ぐらいおきに、立ったり座ったりなのだ。議員のみなさんは、さぞやたいへんであったであろう。

 ネタニヤフは、相変わらず英語での演説がうまい。見事な演説をする。しかしながら、その内容は、これも相変わらずのアラブ諸国に対しての強硬姿勢である。ネタニヤフは、イランやパレスチナをこの世からなくしたいのである。

 このネタニヤフの演説のお膳立てをしたのは、共和党である。この演説には、50人ほどの民主党議員がボイコットしたそうだ。実は今、アメリカの国内のユダヤ人の中でも、もはやネタニヤフを支持しない人が多くっている。世の中の流れは、ネタニヤフのイスラエルを支持しない方向へと動き始めている。延々と続く中東の紛争について、世界はうんざりしてきたのだ。やるなら勝手にやってくれというのが、アメリカの心情だ。だから、オバマ政権はイスラエル、さらには中東そのものから距離を置こうとしている。これまでを見ても、アメリカが中東に介入してろくなことにはなっていない。そのことに、アメリカがようやく気がついたのがオバマ政権である。

 この演説の中で、ネタニヤフはパウロの言葉を引用しているが、最近公開されたリドリー・スコット監督の映画『エクソダス』では、クリスチャン・ベールが扮するパウロが、これから行くカナンに住む人たちにとっては、自分たちは侵略者になると言うシーンがある。ようするに、今の世界の良識的な人々は、イスラエルについて、そう思うようになってきているのだと言えよう。これまで、アメリカを中心として欧米諸国の中東の見方は、あまりにもイスラエル拠りに偏ったものであった。それがようやく、まっとうに中東を見ようとする世の中になってきた。

 イスラエルの中にも、ネタニヤフ政権を批判する人は多い。ロバート・フロストの詩の引用は、老人が多い議員は感動するかもしれないが、若い世代には通じない。米上下両院合同会議ではみんな総立ちで拍手喝采をしているが、これをネットで見た世界の数多くの人々は、逆にいかにイスラエルが危険な、おかしい国であるかを感じるだろう。

 イランは、核の平和利用を掲げている。RTの「CrossTalk」を見ても、イランの核を脅威とする客観的、中立的な根拠はまったくないことがわかる。アメリカの調査で、イランには核兵器を製造する意図はないことが立証されていることが述べられている。アメリカの調査で、である。イランが核を軍事利用するのだという声は、かつてイラクに大量破壊兵器があるというウソで、イラク戦争を始めたことと同じである。

 ネタニヤフ首相の演説は、ああ、また、イスラエルの暴力おっさんがなんか言っているんだなと思えばいい程度のことなのだ。今や、熱狂的にイスラエルを支持しているのはアメリカの共和党ぐらいだろう。世界の良識ある人々は、ネタニヤフのイスラエルを支持していない。

 ところが、なぜか安倍政権はイスラエル支持を表明している。この国は、対米従属だからそうしているのだろうが、その当のアメリカが中東から手を引こうとし初めている。ボルトンとかいったネオコン一派や、マケインとかいった共和党中道右派がアメリカなのではない。

 いやあ、こういう番組をやるRTはおもしろいわ。


March 14, 2015

『穹頂之下』

 私は2009年に北京に行ったきり、その後、北京には行っていない。今の北京の大気汚染のことを思うと、行く気がおきないのだ。前回、北京に行った時は、今ほどの汚れた空ではなかった。その後、加速度的にひどくなったのだろう。ネットで今の北京の汚れた空の風景を見るたびに、これはどうも行きたくないなと思ってしまうのだ。

 今年の全国人民代表会議では、政府は「大気汚染防止法」の施行状況調査を開始させ、環境保護相が記者会見し、「解決」にむけて取り組む姿勢をアピールしたという。

 今回の全国人民代表会議の開催の前に、中国国内のネットに『穹頂之下』という題名の1本の環境問題告発動画が公開された。この動画を作ったのは、元CCTV(国営中央電子台)の人気キャスター柴静さんだ。この動画は公開されるやいなや、ものすごい数の視聴回数になり、その数は4億回に達したという。

柴静さんはCCTVのキャスターとして、中国各地の環境汚染の取材をしていて、北京に戻り妊娠していることがわかり、検査をしてみると、おなかの中の子供は腫瘍があることがわかる。出産時の手術は成功したが、子供が病気になったのは大気汚染と関連があるのではないかという疑問と子供の未来ことを思い、大気汚染について調べて動画を制作し、中国国内のネットに公開した。

 『穹頂之下』は、ドキュメンタリ映画と言ってもいいほどの質の高い内容の動画である。この動画は、アル・ゴアのドキュメンタリ映画『不都合な事実』をそのまま真似たと言ってもいい作り方をしている。巨大なスクリーンの前に、ラフな格好で立ち、蕩々と語る柴静さんの姿にはカリスマ性があるとすら言える。

 写真やアニメーションや自分がキャスターを務めたCCTVのニュース動画を交え、中国国内だけではなく、イギリスやアメリカなど世界の各地を歩きまわり、北京語や英語で様々な人々とインタビューをし、この大気汚染とはなんであるのか、なぜ発生したのか、どうすれば解決するのかを語る柴静さんの姿は見るものを引きつける。柴静さんは、台湾の有名な映画女優の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)に似ていて、カメラ映りがいい。

 一人の若い母親の子どもの健康への不安、子供の将来への不安から大気汚染の解決を考えるという、この出だしの流れが上手い。アル・ゴアの『不都合な事実』は、アポロ宇宙船が撮影した宇宙から見た地球の姿から始まるが、地球の姿を見て感情移入することよりも、我が子を心配する若い母親の姿の方がずっと感情移入しやすい。環境問題という日常では無関心になりがちなことが、身近で切実な問題として思えるようになってくる。小さな子供を持つ若い親であれば、誰もが、この汚れた空気のままでいいとは思わないだろう。

 この動画を見てまず思ったことは、よくぞこのような告発もの動画を中国のネットに流す決心をしたなということである。

 今、中国政府は、こうしたネットを使った社会的な情報の発信については最も警戒し監視をしている。この動画では、さすがに直接的な政府批判はないにせよ、役所や大企業への批判をしている。役所や企業が当然やるべきことをやっていないことを指摘するのは、我々の社会ではなんでもないことであるが、中国はそうした社会ではない。中国という国は、かりに役所が一度許可を出したとしても、平気でその後で禁止にすることをやる国である。中国には先進国の一般的な社会通念と違うところがあり、そのへんが先進国側から見て信用ができないものになっている。柴静さんは公開できる可能性があると判断したから公開したのであろう。身の安全も含めて、かなり慎重な判断だったはずだ。

 ところが、この動画は、中国国内のネットからは公開後、数日で削除されてしまった。Youtubeに公開されたものは、Youtubeは国外のネットなので削除されていない。しかし、中国国内からは普通ではYoutubeを見ることはできない。動画の削除は、当局側の指示があったものと思われる。動画の影響力の大きさに不安を感じたのかもしれない。

 重要なのは、このように最新の情報機器を使って「告発動画」を制作してネットに流すことできるのだということを、人々が知ったということだ。個人がネットを通して人々に語りかけ、人々の意思が社会を変える。これは政府側にとって望ましいことではない。今後も第二、第三の柴静さんのような者が出てくる可能性は十分にある。政府は、こうしたネットの使い方が広まることを危惧したのだろう。

 環境保護運動は、どうしても個人の政治意識を覚醒させ、個人の政治参加を促すことにつながる。アル・ゴアの『不都合な事実』も、最後はアメリカン・デモクラシーの伝統を持つアメリカ人は、この事態を乗り越えることができるというメッセージで終わっている。こうした社会意識が盛り上がることは、中国政府が最も恐れることであろう。

 中国の大気汚染については、解決手段はむずかしいことではない。こうした公害は、多かれ少なかれ先進国の多くが過去、体験してきたことだ。ヨーロッパにせよアメリカにせよ日本にせよ、かつては工業化による大気汚染に悩まされてきた。どの国でも、法律や制度や技術を改良して大気汚染を解決してきた。同じことを中国もやればいいだけの話なのである。

 逆から言えば、政府や企業が「やるべきことをやれば」解決することなのであり、大気が汚染されているのは、政府や企業が「やるべきことをやっていない」だけの話なのである。これが例えば、世界各地の異常気象をどうしたらいいのかという話になると、今だ科学的に解明されてないことも数多くあり、そう簡単に解決する話ではない。中国の大気汚染は、政府や企業がやるべきことをやれば改善される問題なのである。柴静さんの動画が言っているのは、つまりはそういうことだ。

 ところが、中国の場合、この「政府や企業がやるべきことをやる」ということが、そう簡単にできることではない。中国は、簡単に国内全土を統制管理できる国ではない。乱立した石油化学企業を整理し、政府が統制的に管理ができるようする必要がある。アメリカや日本からクリーンエネルギーの技術を積極的に導入する必要がある。そして、規制を徹底して行うことができる権限を与える必要がある。中央政府がこうした方向で行こうと決めても、地方政府はボイコットする。不正や賄賂が横行する。国営企業には規制が甘くなる、など。そういう国だ。

 日本やアメリカには、中国軍が攻めてくるかのような脅威を煽る人々がいるが、今の中国にはそんなことをするゆとりはないのが実情だ。人々が求めているのは安全で健康な生活である。それは中国の人々だけではなく、世界の誰もの要求である。中国の公害問題は、大気汚染だけではない。食品や水など危険なものが無数にある。人々は安全な空気、安全な水、安全な食品の提供が可能な社会であることを求めている。つまり、人々に健康で安全な生活を提供できるかどうかに、共産党政権が今後も存続できるかどうかがかかっているのである。

 人々の「自由」への意思が政府を倒すでのはない。ただ普通のごくあたりまえの安全な暮らしを政府が提供できるかどうかが政権の存続を決める。それほど中国は、日本やアメリカやヨーロッパと比べて、まだまだ遅れているところがある。

 中国政府はそうした人々の不満を、反日に向けさせ、政府に向かわせないようにさせているという声が日本国内にはあるが、そんなことができたのは江沢民の時代である。今の中国の若い世代は、そんなものでごまかせるほど愚かではない。今の中国の人々を結びつけるものは反日ではない。ごくあたりまえの、健康で安全な生活をしたいという要求なのである。正しい法律を作り、きちんと施行して欲しいだけだ。それすらもできていないのが、今の中国の現状なのである。

 なんども述べて申し訳ないが、北京の青い空は、政府や企業がやるべきことをやれば戻ってくる。その「やるべきことをやっていない」だけなのである。そしてこの「やるべきことをやらない」というところに、今の中国の社会体制につながる本質的な問題がある。この動画を見ると、それがよくわかる。当局にすぐに削除されたのもうなずけるほど、この動画が語っていることは深い。それほど、この動画作品のインパクトは強い。

March 08, 2015

『「無知の無恥」 行き着く先 国際的孤立』

 3月7日の東京新聞の「こちら特報部」の「はびこる「無知の無恥」 行き着く先 国際的孤立」は大変興味深いものであった。今のこの国では、「知らなかった」と恥じるのではなく、開き直る異様な光景がよく見られるという。

「昔から「知らないことを恥じるな」という。知ったかぶりをするより、謙虚に学ぶことが大切という意味だ。しかし、もし「謙虚に学ぶ」という暗黙の了解がなくなれば、ただの恥知らずになる。最近、そうした「無知の無恥」が目に余るように思える。それも権力の中枢、周辺で横行している。」

 この記事の実例1では、補助金の政治資金問題について、安倍総理は先月二十七日の衆院予算委員会で「知らなければ違法行為ではないということは法律に明記されており、違法行為ではないことは明らか」なのでまったく問題ではないと述べたことが挙げられている。政治資金規正法では、国から補助金をもらう企業は交付決定から一年間、政治活動に寄付できないという。また、政治家は企業への補助金の交付決定を知らなければ、罪に問われないようだ。安倍総理は、そのことをもって、だから問題ではないと言っているのであろう。いかにも、小物感がハンパないと揶揄される安倍総理の回答である。

 実例2で取りあげられている、作家曾野綾子氏の産経新聞でのアパルトヘイト容認コラムについては、今更言うまでもないことであろう。

 曽野綾子氏は「飛躍した発想。そう考える人たちの悪意」と延べいるそうであるが、自然に、素直な心で、曾野綾子氏の文を読むと、南アフリカという文脈がなく、ただ単に人種で居住区を分けた方がいいという発言であったのならばまだしも、南アフリカの実情を知って、人種で居住区を分けた方がいいという論旨は、どう見てもアパルトヘイト容認と思われても当然であろう。

ラジオ番組で「アパルトヘイトの問題点は何か」と問われると、「全く分からない。見たこともない。私が行ったころには(アパルトヘイトは)もう崩れていた」と述べたそうであるが、曾野綾子氏が南アフリカを訪れたのは1992年頃であり、この頃にはまだ人種ごとの居住区も多くあった。そもそも、南アフリカへ行って、アパルトヘイトについてなにも知りませんというのは、あんた、小学生ですかと思わざるを得ない。

 ようするに、曾野綾子という人は、本心から住む場所を人種で分けた方がいいと思っているのだろう。その意味では正直な人であり、自分の考えを正直に述べたわけである。であるのならば、アパルトヘイトは容認すると正直に言うべきである。いやそうではなく、住む場所は人種で分けた方がいいが、アパルトヘイト政策には反対であるのならば、その趣旨について述べるべきだ。

 実例3の自民党の憲法改正推進本部の事務局長が、「立憲主義」について「この言葉は学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」とツイッターに書き込んだという。憲法改正推進本部の事務局長が、である。この人は法学部を出たそうであるが、大学の講義では教わらないことなど無数にある。大学で学ぶものはごくわずかであり、学ばなくてはならないことがあるのは大学卒業後も続くのは当然のことだ。いわば、大学で学ぶだけではまったく不十分であることを学ぶのが大学だと言ってもいい。

 この記事で一番、驚いたのが実例4だ。防衛省の大臣が文民統制の意味について問われると、自分の生まれた前のことだからわからないという回答を堂々と言ったということだ。防衛省の大臣が、である。

 奈良時代の冠位十二階制度の制定の目的を延べよとか、そういうことを言っているのではない。今の自衛隊の文民統制についての会話である。この大臣は、自衛隊という制度、組織についてもなにも知りません、わかりません、と言っているわけである。文民統制の意味がわからないのならば、今のままでも、なんでもいいはずだ。しかしながら「変える」のだという。なぜ「変える」のか。その理由が曖昧でわからないまま、物事が進展していっている。

 「自分の生まれた前のことだからわからない」という発言が通るのならば、歴史を学ぶ必要はない。この男は小学生以下なのだろう。小学生以下でも大臣になれるのが、今のこの国である。

 東京新聞のこの記事では、触れられていなかったが、安倍総理の「国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官である」から文民統制はなくてもよいという発言も意味がわからないものだ。

 戦後日本は、一貫として国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官であったが、それでも文民統制は存在していた。「国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官である」から文民統制はなくてもいいのならば、では、なぜ戦後の日本には文民統制という制度が存在していたのかということになる。最高指揮官の総理大臣は選挙で選ばれるのだから、文民統制はなくてもいいという極めて幼稚で低レベルの発言を総理大臣がしている。それが今のこの国なのである。

 この3月7日の東京新聞の「こちら特報部」のような報道は、今の大手四紙、読売、朝日、毎日、日経は報道しない。NHKも報道しない。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーは神奈川新聞でこう書いている。

「国家として重大局面を迎えているにもかかわらず、なぜ日本のメディアは国民に問題提起しないのでしょうか。紙面で議論を展開しないのでしょう。国民が選択しようにも、メディアが沈黙していては選択肢は見えてきません。
 日本のメディアの報道ぶりは最悪だと思います。事件を受けての政府の対応を追及もしなければ、批判もしない。安倍首相の子どもにでもなったつもりでしょうか。保守系新聞の読売新聞は以前から期待などしていませんでしたが、リベラル先頭に立ってきた朝日新聞は何をやっているのでしょう。もはや読む価値が感じられません。
 私がいま手にするのは、日刊ゲンダイ、週刊金曜日、週刊現代といった週刊誌です。いまや週刊誌の方が、大手紙より読み応えがあるのです。
 安倍政権になり、世論が右傾化したという人もいますが、私はそうは思いません。世論はさほど変わっていないでしょう。変わったのは、メディアです。」

 かつて、インターネットが社会に普及し始めた時、アメリカの雑誌『WIRED』に、マイケル・クライトンはこれで大手のメディアは終焉するだろうと書いた。その後、アメリカのマスコミは紆余曲折はあり、今でも問題はあるが、権力の監視機関としての位置を保ち続けている。アメリカのマスコミは、商業主義に流れるところがあるが、健全な良心と自己浄化ができる力を持っている。

 かたや日本のマスコミは、質の低下が甚だしく、終焉を迎えようとしている。新聞でがんばっているのが、大手ではない東京新聞やJapanTimes、さらに沖縄タイムスなどの地方紙だ。

 今、国民が望んでいることは、原発の再稼働はしない、集団的自衛権は必要ない、沖縄に米軍基地はいらない、憲法9条改定は必要ない、秘密保護法はいらないということだ。今、目の前にあるやるべきことは、子供の養育や教育にお金がかからないようにすることであり、教育の質の向上であり、高齢者の介護支援の充実である。中東の機雷除去がどうこうということは、国民は望んでいない。

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