『アメリカン・スナイパー』
クリント・イーストウッド監督の映画『アメリカン・スナイパー』を見た。
テキサスに生まれ育ち、幼い時から父親から、この世には弱者と悪人と悪人を懲らしめ弱者を守る者しかないと教えられ、狩猟に連れられて射撃を学び、いじめられている弟を自ら乗り込んで助けて相手を殴りまくる体力と気概を持った少年が、長じて大学を中退し、カーボーイになってロデオ大会などに出て酒を飲む日々であったが、、アメリカ大使館爆破事件のニュースをテレビで見て、国を守らなくてならないと軍隊に入隊する。シールズの入隊試験と過酷な訓練を経て、射撃能力が高いことから専門のスナイパーになる。911が起こり、イラク戦争に4回従軍して戦場で活躍し、伝説的なスナイパーと呼ばれた男の物語である。実在した伝説のスナイパー、クリス・カイルの自伝をもとにした映画だ。
国と家族を守る。これはまっとうな感覚であり、自然な感覚である。自国の大使館や貿易センタービルが破壊された、民間人に多数死傷者が出た。そうしたことをやる相手は敵であり、この世からなくさなければならない。そう考えるのは当然のことだろう。
その一方で、例えば、カルフォルニア大学の国際政治学者チャルマーズ・ジョンソンの著作を読めば、こうしたテロ行為は、実はアメリカが世界各地で行った違法行為が相手の国の人々に極端な反米感情を生み出し、めぐりめぐってアメリカに対するテロ行為になった、いわゆる「ブローバック(blowback)」であることがわかる。
しかしながら、クリス・カイルにとって、そうした知識が何になるというのであろうか。
生まれ育った祖国と愛する家族を守り、敵を憎み、敵を倒すのは当然のことではないだろうか。これは、クリス・カイルだけではない。戦争に従軍する兵士が、そう思うことは当然のことなのである。だからこそ、半世紀以上前はハワイを奇襲攻撃したファシズム国家日本を叩きのめし、日本人を殺戮した。今は大使館や貿易センタービルを攻撃した中東の国を叩きのめし、殺戮するのである。これはアメリカの正義なのだ。そう心の底から信じている人々がいる。
そう心の底から信じているからこそ、軍隊の過酷な訓練に耐え、悲惨な戦場で戦い、友人の死を乗り越えるのである。『アメリカン・スナイパー』の見事さは、そうした個人の意思を正面から描き、安易な反戦映画にしていないことだ。リバータリアンのイーストウッドは、反ブッシュ政権であり、イラク戦争には反対していた。イラク戦争は不必要な戦争であった。しかし、そうであることと、戦争で戦った兵士たちの人生は否定できないものであり、愛国者には十分な敬意を払うべきこととは別のことだ。
伝説のスナイパー、英雄と呼ばれるクリス・カイルは心を病み、家族に犠牲を強いる。彼は軍隊を除隊し、それらを兵士としての心の強さで克服していこうとするが悲劇的な最後を遂げる。この映画は最後まで、イラク戦争を大きな枠組みではなく、個人の枠組みで扱っている。そして、イラク側のスナイパーにも家族がいる描写がある。彼はシリア人で元オリンピックの射撃の金メダリストだったという。クリス・カイルはイラクを蛮人と呼ぶが、イラク側から見れば、アメリカ軍は侵略者である。この映画はこうした描写をわずかしか出さないことで、逆に考えさせられる。こうしたことにも、リバータリアン保守の視点がある。アメリカにとって、イラク戦争は必要な戦争だったのか、と。
ただし、何度も強調して申し訳ないが、だからといってリベラルがよく言う軍産複合体がどうとかこうとかという大きな枠組みは出さない。ただ淡々と静かにクリス・カイルの葬儀シーンが流れ、映画のエンドロールは無音である。この映画は愛国心を高揚する映画でもなければ、反戦の映画でもない。クリント・イーストウッド監督は、この映画を見る側に、この映画の意味の判断を委ねているのだろう。
イーストウッドには、硫黄島で日本軍と戦った兵士たちの戦場とその後の後日談を描いた『父親たちの星条旗』と、敵である日本軍の側を描いた『硫黄島からの手紙』の監督作品がある。硫黄島で星条旗を掲げたアメリカ兵士たちは英雄と讃えられたが、その後は政府のプロパガンダに利用される生涯だった。硫黄島の日本軍守備隊の総指揮官栗林中将は、日本がアメリカと戦争することには反対していたが、少しでも本土攻撃の時期を遅らせることに玉砕することの意義を見いだし、軍人としての努めを果たした人であった。その意味で、硫黄島2部作と『アメリカン・スナイパー』には同じものがある。
イーストウッドは政治的には共和党支持であるが、共和党のジョン・マケイン上院議員らからは「中道」と見られている。イラク戦争やアフガン戦争を批判し、反ブッシュ政権であったイーストウッドは、オバマ政権にも批判の声を表明している。祖国と家族を守るために、敵と戦うことは悪いことでもなんでもない。愛国心は、間違った感情ではない。問題なのは、間違った戦争をする者たちがいるということだ。
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