栄光のイスラム
8世紀から13世紀の頃、アフリカ北部から中近東にかけて広大な帝国があった。アッバース朝イスラムである。この帝国の首都バグダードは、世界史の中で燦然と輝く偉大な都市だった。
我々が学校で学ぶ世界史は、多分に欧米の世界史のスタイルを受けついている。世界史での一般的な理解では、古代ギリシャ・ローマに輝ける偉大な文明が誕生し、キリスト教が支配する中世の暗黒時代を経て、ルネサンスにてギリシャ・ローマの文化を復興させ、続く近代で科学革命や産業革命が起きるということになっている。しかしながら、事実は違う。ギリシャ・ローマ文明が滅びた後、イスラムがギリシャの自然哲学を受け継ぎ、発展させていた。ヨーロッパはイスラムを経て古代ギリシャの知識を知った。
イスラムの黄金時代を作り上げたのがアッバース朝である。アッバース朝は東西の文明の交易の中心地であり、エジプトやバビロニアなどの古代文明と、アラビア、ペルシア、ギリシア、インド、中国などの諸文明の文化を融合した新しい学問が著しい発展を遂げた。
例えば、科学のものの見方、考え方を確立したのはヨーロッパの人ではなく、10世紀から11世紀にかけてのイスラムの科学者イブン・ハイサムである。この人物なくして、後のヨーロッパの科学はなかったと言ってもいい。
もっとも、かりにイスラムが古代ギリシャを受け継ぐことがなかったとしても、古代のギリシャ人たちが考えたことを人類の誰かがまた考えたであろうから、いつの日か人類はサイエンスを持つようになったであろうが、その時期は大きく遅れたであろう。この時代のイスラムなくして、今日の人類の文明の姿はなかったといってもいい。それほど、イスラムは偉大な文明だった。
1258年、チンギス・ハーンの孫のフレグが率いるモンゴル軍がバグダードを攻め滅ぼし、ここにアッバース朝は滅びる。ギリシャ哲学やイスラム科学などの貴重な書物や実験の文物はことごとく消失した。イブン・ハイサムの著作も、今日わずかしか残されていない。
それらの知識はやがて長い時を経てヨーロッパへと伝わり、それらの知識を元にしてヨーロッパで近代科学が生まれ、資本主義経済が世界を覆い、産業革命から産業社会へとつながり、ヨーロッパ文明が世界を制する世の中へとなる。モンゴルどころか、アジアの文明そのものがヨーロッパ文明に下ることになる。アッバース朝を滅ぼしたモンゴルには、その後の未来のことはわからなかったであろう。
アッバース朝が滅んで750年ぐらいの年月がたった。なぜ今のイスラムは、アッバース朝のような偉大なイスラムになれないのだろうか。
本来ならば、イスラムは中国と並ぶ世界の大文明帝国として人類社会に知識と技術の光を照らすものであったはずだ。それが今に至ってもイスラムはかつてのアッバース朝の栄光を取り戻していないし、取り戻そうとも思っていないようである。イスラム原理主義では、とてもではないがかつてのアッバース朝の栄光の足下にも及ばない。
なぜかくも、イスラムはこうなってしまったのだろうか。欧米が悪いと言うのはたやすい。確かに、そうしたところもあるだろう。しかしながら、欧米に対抗し、欧米を凌駕する偉大なイスラム文明を樹立することがなぜできないのだろうか。
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