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January 11, 2015

フランスで起きた連続テロ事件について

 ことの発端は週刊誌の風刺漫画だった。そのために、軍事訓練を受けたという3人の若者が、国際テロ集団アルカイダの組織的な支援をうけて、その週刊誌の出版社を襲撃し風刺画家らを殺害した。

 週刊誌の風刺漫画で、である。
 丸腰の一般市民を、である。

 どう考えてみても、襲撃をやる大義があるようには思えない。

 エドワード・サイードが『オリエンタリズム』で書いていたように、近代以後の欧米は、絵画や演劇、小説、映画など、さらには社会学や文化人類学など学問においても、「西洋」と対置する姿で「東洋」を捉え、特に「イスラム」に対しては無知、野蛮、残虐、暴力的といったイメージを再生産し、政治的、経済的、軍事的な支配と従属の関係を強化する役割を果たしてきた。

 今のイスラムが変革させなくてはならないことは、このことであり、イスラム教を辱めたという週刊誌の出版社を襲撃することではないだろう。週刊誌の風刺漫画で「アラーアクバル」と銃を撃つということをやっているからイスラムは嫌われるのである。

 サイードほどの強烈な問題提起ではないにせよ、基本的に人は自分の背景の固有の文化の観点から抜け出すことはできないということなのだろう。サイードが言うように近代以後の欧米はそうであったとして、それ以前の、ローマが世界最高の文明であった頃はパリなどガリア地方のローマの植民都市であり、イスラムが世界最高の文明であった頃は、当然のことながらバグダッドが世界の中心であり、ヨーロッパの奥深い森の中に住んでいる連中の文化など見下げた野蛮な文化と見ていたのである。

 文化的バイアスについては、ヨーロッパを例に出すより、我が国日本の方がもっとよくわかるだろう。奈良の盆地に大和朝廷ができて以来、千年以上にわたって文化の先進国として仰ぎ、崇拝してきた中国・朝鮮のイメージが、ウェスタン・インパクトを受けた19世紀以後はまったく正反対になった。人間の集団が持つ他民族、他文化へのイメージなど、これほどいいかげんなものはない。

 今回の出来事は、ヨーロッパ各地で起きているイスラム諸国からの移民との文化摩擦を激化させるだろう。経済が停滞し、失業が増加すると人々の社会意識は排他的になる。社会の不満のはけ口は身近にいる「異質」に向けられる。なぜなら、そうして解消することがもっとも簡単だからである。

 欧米の価値観では、表現の自由は市民革命の基本的な価値であり、もはや絶対的と言ってもいい。もちろん、これはタテマエであって、実際のところすべてを「表現の自由」でやってきたわけではない。実際には「表現の自由」ではないが、タテマエとして「表現の自由」を侵害されることには激しく抵抗するのが欧米の市民社会である。
素地として移民のイスラム教徒を排他しようとする心理がある中に、さらに今回の事件によりイスラムは「表現の自由」を侵害するという感情が加わって、さらに対立が激化することになるだろう。

 ヨーロッパの各地での対立状態が激化することで、誰が喜ぶのかというとアルカイダであろう。今回の事件も、その意図があって支援したことは十分考えられる。アルカイダの思惑通りにことが進んでいるというわけだ。アルカイダやイスラム国の言うことに従っていては、かつてのイスラムの栄光を取り戻すことはできない。テロでは世界がひたすら混乱するだけであり、イスラムへの嫌悪と恨みが広がるだけである。

 だからこそ、今回の事件を市民社会と「表現の自由」への侵害とし、イスラム教徒との対立を煽るべきではない。

 なぜムハンマドを風刺漫画にする必要があるのか。そもそも、欧米のメディアの中でイスラムのイメージはどのように扱われているのか。欧米のメディアの中で扱われている、野蛮で遅れたイスラムのイメージは真実の姿なのだろうか。それが真実の姿ならば、それはそれでしかたがないであろう。かつて世界史に燦然と輝いていたイスラムが、今日では低レベルのものに成り下がってしまったことを受け入れるしかない。

 しかしながら、そうではないのならば正さなくてはならない。イスラムの本当の姿を欧米が理解できるように欧米を教育する必要がある。「表現の自由」の名のもとに、欧米の政治プロパガンダが表現されていいわけはない。英語メディアとしてのアルジャジーラがやっていることはそうしたことなのだと思う。

 なぜムハンマドを風刺漫画にする必要があるのか。そもそも、私たちはイスラムについてどれほど知っているというのであろうか。欧米はアジアについても同様であるように、イスラムについてあまり知らない。知ろうとしない。

 ことは「表現の自由」への侵害云々といった高尚な話ではなく、多民族・多宗教社会の一般常識の話であろう。少なくとも、イスラム教徒がいやがることはしない、不快に感じることはしないという、ただそれだけのことなのだ。ここで必要なのは、では、イスラム教徒はなにをいやがるのか、なにを不快と感じるのかという知識である。

 ようするに、今、必要なことは、テロに屈しない、対テロ戦争やテロ対策の強化しなくてならないとか、やっぱりイスラムは怖い、イスラムは排除しようという恐怖心や対立を煽ることではなく、イスラムへの理解を深めることなのである。

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