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December 23, 2014

衆院選の結果を考える

 沖縄の復興費について政府は選挙前は「知事選の結果がどうあれ、振興策や予算に変化はない」と言っていたのに、知事選挙や衆院選挙で辺野古移転反対が沖縄の民意であることが表明されると振興費を減額するという。こういうことをやるところが、いかにも安倍晋三政権であると思う。ようするに、そういう政府であるということだ。

 衆院選の結果は自公民の圧勝と言われている。しかし、投票数で言えば非自公民への投票数の方が多い。前回の衆院選よりも低い投票率で自公民の票数は減っている。つまり、票数そのもので言えば、自公民への支持は下がっている。今回、共産党の議席が大きく増えたことは、自公民には入れる気はないし、だからといって民主党にも入れる気はないという票が共産党へ流れたのだ。票数で見る限り、とてもではないが日本国民は安倍自民党を信任したとは言えない状態になっている。

 しかしながら、その一方で一番多く票数を獲得した政党はどこかと言えば自民党であり、よって自民党が政権政党になるということは紛れもない事実である。投票率が低かったから、その選挙は無効になるということはない。仮に投票率が1パーセントになろうとも、一番多く票集を獲得した政党が政権政党になる。

 自民党に対抗できる強力な政党がないため、日本の政治が低迷している。もちろん、そうした政党が一朝一夕で出現するものではない。有権者が、そうした政党ができることを望み、そうした政党を育てることをしなくては生まれない。投票は選択ではなく、政党を育てることなのだという意識が必要だ。結局のところ、対抗軸がなくなっている。対抗軸ということでは、自民党の政策と明確に対抗しているのは共産党ぐらいであって、他はどこも似たり寄ったりのものだった。これは今に始まったことではなく、以前から言われていることであるが、政党のコンテンツの不足がある。

 日本の政治は政策においても、ショーマンシップにおいても不足している。これはそうした能力を持った人材が政治に集まらないからだ。アメリカの選挙運動はこのへんが大変充実している。なんとなく土着的に人々が集まる日本の社会風土と、理念やスローガンでしか人と人が結びつくことがないアメリカの社会風土との違いはあるが、日本でも大都市圏はアメリカ型の選挙運動が合う時代になってきたのではないかと思う。

 かつて大前研一さんが都知事選挙に出た時、政策を説明しようとしても誰もそうしたことには興味を持たなかったと書いていたが、今の都心部の都民は変わってきているのではないかと思う。安倍自民党の選挙演説のように、日の丸掲げて感情が高揚すればそれでいいという有権者だけではない。

 選挙の結果がどうであろうと、そもそも投票に行こうか行かまいが、変わらない日常生活というものがある。この「日常生活」に支障がでない限り、選挙でどの政党を選ぶか、投票所で投票するかということは変わることがない人々が大多数である。そうした人々が大多数であるということは、ある意味において、政治的におだやかな安穏とした社会なのであるかもしれない。本来、人々にとって、政治というものは万事うまく、滞りなく進んでいてくれればそれでいいものなのだ。戦争の敗戦から高度成長を遂げた頃のこの国はそうだったのだろう。

 この安定はある前提条件下での安定であり、そうした前提条件は次々となくなっている。半世紀前の敗戦から政治によって復興したこの国は、これから政治によって衰退していく。今回の選挙の結果、戦後のサンフランシスコ体制、すなわちアメリカへ従属依存は続き、日本経済は停滞し、311はなかったことになる体制が続くことになる。

 ただし、沖縄の選挙結果だけには希望がある。今、政治で最も最先端なのは沖縄だ。

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