「イスラム国」の出現
シリアやイラクだけではなくアフリカにまでその勢力を拡大しつつある「イスラム国」の脅威が高まっている。
アメリカは「イスラム国」を国家ではなく、単なるならず者集団のテロ組織に過ぎないとしているが、そのならず者のテロ組織が国境を越えて活動し、カリフによる統治システムを復興し、インターネットで教義を説き、聖戦への参加を世界中に伝えている。
「イスラム国」が目指しているものは、かつてのイスラムの復権であるとされている。もともと中東の国境線は、第一次世界大戦中にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国の領土分割に関する秘密協定であるサイクス・ピコ協定で決められた。いわば国際社会の列強国が勝手に決めたものである。
サイクス・ピコ協定から約100年後の今日、「イスラム国」の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーはこれを否定し、非イスラム教徒たちが勝手に決めた国境を越えたイスラム共同体への回帰を訴え、暴力によるイスラムの統一を掲げている。いまや、この「イスラム国」に欧米やアジアなどから戦闘員や義勇兵として加わるムスリムは後を絶たない。
今日、砂漠の民がネットを通じて北アフリカや欧米やアジアのムスリムの若者たちを洗脳して集め、彼らに戦闘訓練をして戦場に送り出している。この極めて異質な「国家」の出現は、ヨーロッパで誕生した「国民国家(ネーション・ステート)」の概念と相反するものとしても大変興味深い。
「イスラム国」の台頭を作ったのはアメリカである。ブッシュ共和党政権が「悪の枢軸」と名指ししてイラクを攻撃、フセイン政権を打倒し、フセイン大統領を処刑した。まがりなりにもフセインの独裁政治の下で、スンニ派、シーア派、クルド人の3つのグループはとりあえずまとまっていたが、その安定が壊れ、イラクの社会情勢は混乱してしまった。そこに乗じてシリアなどからスンニ派の過激派組織ISIS(ISIL)が加わり、さらに事態は悪化してしまった。これらの混乱を招いたのはアメリカによるイラク戦争である。サウジアラビアはフセイン後のイラクでシーア派が勢力を拡大することを防ぐために、ISISのようなスンニ派の過激派組織を陰で支援してきた。こう考えてみると、「イスラム国」を作ったのはアメリカでありサウジアラビアであると言えるだろう。
イラク戦争を始めるにあたってブッシュ大統領とネオコン一派は、フセインさえいなくなれば、イラクはすぐにでも日本のように民主主義の国になり、中近東に民主主義が広がっていく、だからフセインを倒さなくてならないかのようなことを言っていた。それはまったくの誤りであった。イラクには大量破壊兵器はなかったし、フセイン政権を倒す正当な理由はどこにもなかったし、現にフセイン政権崩壊のイラクはこうした燦々たる有様になっている。
ネオコン一派は、未だその責任をとっていない。イラク戦争に反対した心ある人々は、フセインを倒してもイラクは民主化することなく、分断と紛争の地になると述べたが、その通りになった。このことについてネオコン一派は反省していない。反省しているのは、フランシス・フクヤマぐらいだろう。
イラク戦争は間違いであり、今日のアメリカの衰退を招いたのはブッシュ政権である。思えば、アルカイダが発生したのもアメリカの中東政策の誤りであったことを考えると、アメリカが中近東に介入して、ろくなことはなかった。
現在、オバマの中東政策は失敗していると言われているが、ブッシュの時代ですでに修復不可能な状態になっていたことが数多くあり、その後を継いだオバマはどうしようもできないことがあったのである。このことは、オバマが大統領に就任した時からすでに一部で言われていたことだ。ブッシュの政策の失敗を次に政権が引き継がなくてならなかったものである以上、すべてをオバマの誤りとするのは無理がある。
むしろ、他人の国に暴力で介入することは正義でもなんでもなく、むしろ事態を悪化させ、さらなる、もっと大きな暴力をもたらす。歴史において幾度となく繰り返してきたこの過ちを、アメリカはオバマ政権になってようやく学び初めてきた。これを逆戻りさせてはならない。
とは言っても、これほど混乱させてしまった中近東から、このままで手を引くわけにはいかず、アメリカは今後も「イスラム国」との対テロ戦争に進んで行かざるを得なくなっている。
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