香港の雨傘革命
先月の末から始まった香港の若者たちによる金融街や官公庁街の占拠運動は、長期化の様相になってきた。
香港で完全な民主化が可能になる可能性はかなり低い。それは抗議運動をしている若者たちもわかっているだろう。ということになると、なにをもってこの抗議運動を「完了」とするのか。それがまったくわからず出たとこ勝負になっている。
それは香港特別行政区政府側も同じだろう。一国二制度でありながらも、香港政府は完全な自治権を持っているわけではない。学生たちの言うこともわからないではないが、現実としてできることとできないことがある。香港政府は北京の支持に従わざる得ない。しかしながら、だからと言って強権をもって学生たちを弾圧することは香港としてはできず、世界のメディアの目もある。なにをもって、どのような点において学生たちと折り合いをつけたら良いのか。その落としどころがわからないのだろう。
1997年にイギリスから大陸に返還された時から、いつの日かこうしたことが起こることは予想されていたことだろう。今回の香港の出来事は、それほど香港と大陸の関わり合いが進んできたということだ。このままでは大陸に併合されるという危機感と、香港は香港でありたいという要求なのだろう。民主化そのものよりも、「民主化運動」の姿をした香港のアイデンティティーの表明なのである。それは抗議運動をしている学生たちだけではなく、香港政府側もそうであり、また一般市民の人々もそうだ。港人全体の意思の表明でもある。
だからこそ、香港政府にはもはや香港の抗議運動に対処することができないという判断を北京がすれば、今度は北京が強権をもって介入してくる。つまり、北京預かりの問題になるということだ。こうなると事態はたいへん危険なことになる。ここで国際社会の見方とは逆に、形式的にでもいいから、北京はとりあえずの普通選挙を香港で行うことを許せば、国際社会は中国の見事な統治に拍手を送るだろう。
しかしながら、これまでの姿を見た場合、中国という国は、地域の文化・伝統をそのまま認めながら全体としての中華人民共和国を維持していくというスキルに長けてない。これからの中国に必要なことは連邦国家のような自立分権の大国になることなのであるが、その方向へ進む動きがない。
いずれにせよ、この学生たちの民主化運動はこれからどうなるのか。香港政府はどのようにするのか。北京政府はどう動くか。動かないのか。楽観はできない。まったくの予断を許さない状況だ。
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