吉田ドクトリンが終わった
政府が集団的自衛権の行使容認が必要だとして与党に示した「邦人輸送中の米輸送艦の防護」や「米国に向かうミサイルの迎撃」「強制的な停船検査」など8事例全てを可能になるようだ。
これでいつでも、どこでも、なんにでも自衛隊を使うことができるようになった。これまでは「憲法がそれは禁じている」「憲法ではそれは認められていない」というコトバが使えなくなったということだ。かつて、ダレスが吉田茂に日本も再軍備して朝鮮戦争に参戦することを求めた時、憲法はそれは禁じているとこの要求をかわしたが、そうしたことはもうできなくなったということだ。「サンフランシスコ体制」はそのままずるずると残り続け、憲法解釈だけを変えて、アメリカの軍事行動に日本の「ぐんたい」がついて行くことがくるようになるとは70年前の日本人の誰もが思ってもいなかっただろう。
いや、終戦直後の70年前どころか、60年代安保闘争の時や70年代安保闘争の時の人々もまた、後の世でこうしたことになるとは思ってもいなかっただろう。
本来、国外で戦闘をする組織ではない自衛隊に、貧弱な装備で米軍の下請け作業をさせようというのである。まともな軍事情報分析力もまだ持っていない自衛隊に外国へ出て戦争をやってこいと送り出すのである。送り出される側はたまったものではないが、誰もそのことを論じることなく集団的自衛権の行使容認が決まってしまった。
しかも、政府と自民党のペースで内容を国民に十分に知らされないまま、あっというまに決まってしまった。こんな国家の安全保障に関わることが、かくもカンタンに決まったことに驚きを禁じ得ない。ようするに、集団的自衛権の行使容認とは、危機的な状況を想定しているようで、どこか空虚でリアリズムに欠いている状態で論じ合っているのだろう。
安倍政権としては、本当は改憲をしたかったのであろうが、憲法を変えることは国内世論の反対となによりもアメリカが許さなかったので、憲法解釈の方向へ持って行ったわけであるが、それが成功したと言えるだろう。
産経新聞によると、政府はさっそく日米防衛協力のガイドライン改定の作業を始めたようだ。中間報告を9月にまとめる方向で検討しているという。「これにより、朝鮮半島有事などの周辺事態の際に、自衛隊による米艦防護や、不審船への強制的な停船検査(臨検)などが可能になる。米軍への後方支援活動では、従来は「後方地域」に限定していた自衛隊の活動範囲を拡大し、戦闘現場以外での輸送活動や、水・食糧・燃料の提供、医療活動などもできるようになる。」という。
少なくとも、これで朝鮮半島の有事の際には自衛隊も参戦する可能性は高いということになった。中台危機の際にも、その可能性は高い。
秋の臨時国会では、自衛隊法や周辺事態法などの改正法案を提出する方針で、法案策定の作業を進めているという。小野寺防衛相は、7月上旬に訪米してアメリカのヘーゲル国防長官と会談するという。「サンフランシスコ体制」のもとで「第3次アーミテージ・ナイレポート」に沿った安倍政権の一連の政策は着々と進行している。
これで戦後史の吉田ドクトリンは終わりを告げたことになる。
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