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June 2014

June 28, 2014

吉田ドクトリンが終わった

 政府が集団的自衛権の行使容認が必要だとして与党に示した「邦人輸送中の米輸送艦の防護」や「米国に向かうミサイルの迎撃」「強制的な停船検査」など8事例全てを可能になるようだ。

 これでいつでも、どこでも、なんにでも自衛隊を使うことができるようになった。これまでは「憲法がそれは禁じている」「憲法ではそれは認められていない」というコトバが使えなくなったということだ。かつて、ダレスが吉田茂に日本も再軍備して朝鮮戦争に参戦することを求めた時、憲法はそれは禁じているとこの要求をかわしたが、そうしたことはもうできなくなったということだ。「サンフランシスコ体制」はそのままずるずると残り続け、憲法解釈だけを変えて、アメリカの軍事行動に日本の「ぐんたい」がついて行くことがくるようになるとは70年前の日本人の誰もが思ってもいなかっただろう。

 いや、終戦直後の70年前どころか、60年代安保闘争の時や70年代安保闘争の時の人々もまた、後の世でこうしたことになるとは思ってもいなかっただろう。

 本来、国外で戦闘をする組織ではない自衛隊に、貧弱な装備で米軍の下請け作業をさせようというのである。まともな軍事情報分析力もまだ持っていない自衛隊に外国へ出て戦争をやってこいと送り出すのである。送り出される側はたまったものではないが、誰もそのことを論じることなく集団的自衛権の行使容認が決まってしまった。

 しかも、政府と自民党のペースで内容を国民に十分に知らされないまま、あっというまに決まってしまった。こんな国家の安全保障に関わることが、かくもカンタンに決まったことに驚きを禁じ得ない。ようするに、集団的自衛権の行使容認とは、危機的な状況を想定しているようで、どこか空虚でリアリズムに欠いている状態で論じ合っているのだろう。

 安倍政権としては、本当は改憲をしたかったのであろうが、憲法を変えることは国内世論の反対となによりもアメリカが許さなかったので、憲法解釈の方向へ持って行ったわけであるが、それが成功したと言えるだろう。

 産経新聞によると、政府はさっそく日米防衛協力のガイドライン改定の作業を始めたようだ。中間報告を9月にまとめる方向で検討しているという。「これにより、朝鮮半島有事などの周辺事態の際に、自衛隊による米艦防護や、不審船への強制的な停船検査(臨検)などが可能になる。米軍への後方支援活動では、従来は「後方地域」に限定していた自衛隊の活動範囲を拡大し、戦闘現場以外での輸送活動や、水・食糧・燃料の提供、医療活動などもできるようになる。」という。

 少なくとも、これで朝鮮半島の有事の際には自衛隊も参戦する可能性は高いということになった。中台危機の際にも、その可能性は高い。

 秋の臨時国会では、自衛隊法や周辺事態法などの改正法案を提出する方針で、法案策定の作業を進めているという。小野寺防衛相は、7月上旬に訪米してアメリカのヘーゲル国防長官と会談するという。「サンフランシスコ体制」のもとで「第3次アーミテージ・ナイレポート」に沿った安倍政権の一連の政策は着々と進行している。

 これで戦後史の吉田ドクトリンは終わりを告げたことになる。

June 26, 2014

「くるならきてみろ!」

 集団的自衛権について、さらに言えば戦争を防ぐということについて「手出しできない国」と思わせることが必要だとか、「戦争ができる国」になることが戦争を防ぐことなのであるとかいう話が徘徊している。

 戦争の話となるとすぐに軍事力の話になる。相手に手出しされないような強固な軍事力を持つという話は勇ましく結構であるが、ではどれほどの軍事力を持てば「相手に手出しされない」ようになるのであろうか。

 最も有効な軍事力は核兵器を持つことなのだろう。核兵器をずらりと並べて「くるならきてみろ!こっちには核兵器があるんだぞ!」と世界に向かって声高く威嚇することなのであろう。北朝鮮みたいな国になるということだ。核兵器を持つことが、まさしく「手出しできない国」になることであり「戦争ができる国」になることなだろう。

 ただし、そうした国になり、それを運用し維持していくには、それなりのおカネがかかることはいうまでもない。「手出しできない国」になることが必要、「戦争ができる国」になることが必要という人々は増税はオッケー、ええ、払いますいくらでも、国のためには税金をどんどん払いますという人たちなのであろう。国民の鑑と言わざるを得ない。

 しかしながら、膨大な国家予算を使い巨大な軍事力を持っていても戦争になる時は戦争になる。戦争というものは、相手が「手出しできない国」だから手出しするのをやめようとか、相手が「戦争ができる国」だから戦争するのはやめようと思うわけではない。相手は戦争をやるときはやるのである。

 かつて大日本帝国がアメリカと戦争をした時、アメリカはまぎれもなく「手出しできない国」であり「戦争ができる国」であった。しかしながら、わが父祖の人々はアメリカは「手出しできない国」で「戦争ができる国」なので戦争をすることはやめようと思ったのであろうか。そんなことはことはなかった。日本はアメリカが「手出しできない国」であり「戦争ができる国」であることはよくわかっていても、やむにやまれぬ大和ダマシイで真珠湾を攻撃したのではなかったのだろうか。

 何度も述べて申し訳ないが、相手が「手出しできない国」や「戦争ができる国」であろうとなかろうと、戦争をやるときはやる。核兵器をずらりと並べて「くるならきてみろ!こっちには核兵器があるんだぞ!」と世界に向かって声高く威嚇しても、相手の国は戦争をやるときはやってくるのである。それが戦争なのだ。

 では戦争をやる側は、どのようなときに戦争をやるのであろうか。どのような条件であれば国家は戦争を行うのだろうか。

 かつて戦争とは戦闘を職業とする人たちだけが、一般市民が住んでいる都市や村から遠く離れた場所で銃や刀で戦いあうものだった。この戦争の姿が一変したのは第一次世界大戦である。第一次世界大戦以後の戦争は、国家と国民の生活のすべてを巻き込む総力戦になってしまった。

 為政者の判断だけで開戦し、職業軍人だけが戦死する時代は、相手の軍事力が強いか弱いかで戦争をすることができた。しかしながら、総力戦の全面戦争をやるとなると国家全土が軍事統制下になり、国民生活はそうとう困窮することになることを覚悟しなくてはならない。

 (余談ながら事実、第一次世界大戦以後の第二次世界大戦はさらにそういう戦争だった。それをわかっていてなおかつ世界は第二次世界大戦をやったというところに、第二次世界大戦のさまざまな側面があるのであるが、ここではそのことに触れない。)(日本について言えば、陸軍はともかくとして帝国海軍はそのことを理解していて日米開戦を決断したのかどうかというと、いろいろあるが、やむにやまれぬ大和ダマシイだったということにここではしておきたい。)

 戦争をするとなると、世界経済は大きく混乱する。東日本大震災で東北地方や関東北部に工場が集中していた自動車部品や半導体・電子部品の生産がストップし、そのサプライチェーンに依存していた世界の数多くの企業に深刻な影響を及ぼしたことはまだ記憶に新しいであろう。地震や津波の被害ですらこうしたものであった。ましてや戦争になると世界経済に与える影響は計り知れない。

 今の時代、どこかの某国が日本に戦争をしかけるとなると世界経済はそうとう混乱する。その某国を中国だとすれば、日中が戦争するとなれば世界経済は崩壊すると言っても良いだろう。日本人が中国を好きであろうと嫌いであろうと、中国人が日本を好きであろうと嫌いであろうと、もはや日中はグローバル経済で切っても切れない関係にあり一蓮托生なのである。今の時代は戦争がしたくてもできない、ある意味、不幸な時代なのだ。

 戦争をやるときは大義名分が必要である。大義名分があれば戦争ができる。大義名分を掲げ、国家と国民をひとつにしなくては戦争はできない。大義名分があるから、相手が「手出しできない国」や「戦争ができる国」であろうとも戦争をするのだ。撃ちてし止まん。進め一億、火の玉だ。

 つまり戦争をする、しない、は軍事力がどうこうではなく、国民の生活と生命を犠牲にしても戦争をする大義があるか、ないかということなのである。だからこそ日本のような小国において戦争を防ぐ方法とは、相手より強い軍事力を持つことではなく、相手に日本と戦争をする大義名分を作らせないということである。そして日本と戦争をするとあなたの国は不利益になりますよという状態を作り、それを保っていくということなのである。

 日本と戦争をする国は、次のような大義名分が必要であろう。

「日本は平和に暮らしている我々に侵略をしてきた悪逆非道の国である。自国の国民の暮らしと世界経済を犠牲にしても日本人をたたっ殺す、日本を叩きのめさなくてはならない。」

 こうした大義名分がない限り日本と戦争はできない。しかも、その大義はその国の中だけではなく広く国際社会が認めうる大義でなくてはならない。そうでない場合、国連決議で中止を求められることなる。戦争の大義名分は国連が納得しうるものでなくてはならない。

 それでは上記の条件を満たす大義名分が、今の中国で果たして成り立ちうるのであろうか。

 戦争ができる国にならなければ中国が攻めてくるとか言う人は、中国に日本と戦争をする(国連も納得する)大義名分が成り立ちうると本気で思っているのであろうか。メイソウのぱちもん日本製品とかは買えなくなり、日本のアニメやマンガは見れなくなって中国の若者たちはガマンができるのであろうか。ただでさえ軍事費よりも国内の治安維持やネット監視にかかる予算の方が大きいもっかの中華人民共和国の、どこに日本と戦争をする余裕があるというのであろうか。

 いやあ、やっぱりシナ(by イシハラシンタロー)は信用できないですよ。やっぱ核兵器をずらりと並べてだなあ、「くるならきてみろ!こっちには核兵器があるんだぞ!」と手出しできないように声高く威嚇しなくては安心しておちおち眠ることもできないですわ、という人はもはやマトモな会話ができない人と思われてもしかたがないであろう。

June 22, 2014

続・河野談話を見直してどうしようというのか

 政府の慰安婦問題に関する河野談話の検証報告書が公表された。この報告書は「慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない」。ではなにを検討したのかというと「河野談話作成過程等に関する検討」を行ったものである。

 興味深いのは、この報告の冒頭で「検討チームとして、今回の検討作業を通じて閲覧した文書等に基づく限り、その内容が妥当なものであると判断した。」と述べられていることだ。つまり、河野談話の内容は妥当なものであると結論している。国のおカネ、つまり税金を使って自分たちの国の政府が21年前に発表した談話について改めて検証を行い、その結論が「妥当なものである」というものだった。

 結論が「妥当なものである」であるにもかかわらず、河野談話があたかも信頼がおけないものであるかのようなものになっている。河野談話を否定する産経新聞は「談話は歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求める韓国側への政治的配慮に基づき、日韓両国がすり合わせて合作していた。」として河野談話がいかに間違ったものであったかがこれで立証されたと報じている。

 なにゆえ、このようなことになるのであろうか。

 河野談話では「募集、移送、管理等も甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた」と述べられている。私はこの文言のどこがどう悪いのかわらないのであるが、どうも河野談話を批判する人々は河野談話ではいわゆる「従軍慰安婦」の人々全部が全部、軍の強制のもとで行われたと韓国側は解釈している。だから宜しくないのであると主張しているようだ。言うまでもなく、河野談話は「従軍慰安婦」の全部が全部、軍の強制のもとで行われたとは言っていない。

 この構図はいわゆる「南京大虐殺」をなかったとする人々の主張と同じだ。彼らは中国側が言う30万人もの数の人間を殺害したわけではないと言っている。であるのならば、では「(30万人の)南京大虐殺」についてはやった憶えはないので謝罪なんてものはしないが、10万人なり20万人なり「南京小虐殺」あるいは「南京中虐殺」については謝罪しますとでも言うのだろうか。こうしたことは、外国から見ると日本人は虐殺行為を「した」ということを、虐殺した人間の「数の話」にすり替えているように見える。ここで糾弾されているのは虐殺という行為であって、何人の中国人を虐殺したのかという数の話しではない。にもかかわらず、数の大小を挙げつらうのは、そもそも悪いことをしたとは思っておらず、謝罪するつもりもなければ、その気もまったくないように見えるのである。

 同様に、河野談話を非難する人々は、では河野洋平氏がどのように言えば良かったというのであろうか。よもや「従軍慰安婦」の人々全部が全部、自発的にやっていました。強制連行の証拠はありませんので強制的なことなどなにひとつやっておりません、と言うのであろうか。朝鮮のみなさんに悪いことは何ひとつやっていません。朝鮮の皆様に愛される日本皇軍でしたとでもいいたいのであろうか。

 軍の関与した証拠がないというが、戦前の軍のやったことすべてが公式書類として残され現存しているという確証はない。終戦時に軍は大量の書類を処分している。またそもそも公式書類に残ることなのかどうかも疑問である。「軍による強制連行の証拠書類がない」という言うことは、外国から見ると日本は逆に事実を隠蔽しようとしていると見えるのである。むしろ、「軍による強制連行の証拠書類がない」。しかしながら「募集、移送、管理等も甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた」人もいたであろうとするのが常識的な判断だ。

 自発の人もいたし、強制の人もいた。全部が全部、自発ではなったし、全部が全部、強制ではなかった。であったとして、「従軍慰安婦」についての責任がまったくないとは言えない。

 いや、「従軍慰安婦」についての責任は認めるが、 自発の人もいたし、強制の人もいた。全部が全部、自発ではなったし、全部が全部、強制ではなかったという事実をはっきりとさせたいとでも言うのであろうか。こうしたことは外国から見ると、これもまた日本は言い逃れをしようとしていると見えるのだ。自発の人もいたし強制の人もいたとし、これを謝罪する河野談話はしごくまっとうなものであり、これが外国から見て十分受け入れることができるものである。

 日韓両国のすり合わせの合作で、なにが悪いのであろうか。むしろ、これで河野談話は韓国政府も承認した日本国からの公式な謝罪であることが立証されたと言えるだろう。日本国の謝罪は河野談話であって、それ以上、それ以下はない。謝罪は河野談話で終わりであって、韓国側がさらに謝罪を要求してくるのならば、再度河野談話を送るしかないであろう。100回謝罪を要求してくるのならば、100回河野談話を送る。1000回謝罪を要求してくるのならば、1000回河野談話を送りつけるしかない。

 日韓両国のすり合わせは悪いことではない。外交というものは、本来そうしたものだ。また、そうした非公式なすり合わせをしたことを日本側から韓国側にマスコミには出さないものとして欲しいと申し入れ、韓国が了解したという。これを河野氏をはじめ政府はその後、すり合わせの事実を否定し国民を欺いていたとしているが、外交交渉というのは本来、機密に行うものであり、それをこのように表に出すのは逆に日本政府への信頼を損ねることになってしまったことになる。

 韓国の朝鮮日報は社説「河野談話検証は韓日関係の破たんが狙いなのか」でこう書いている。

「韓日間の外交交渉について、安倍政権は何か「取り引き」でも行われたかのように事実を歪曲(わいきょく)している。安倍政権が今になって「外交交渉を経て日本政府はやむなく河野談話を発表した」という印象を持たせようとしているのなら、これは日本による外交の独自性を自ら否定することにほかならない。」

 今回の河野談話見直しにより、韓国以外の他の国々にも日本の政府は(政府がだ)外交交渉の機密を平気で公表する国なのだと思われることになってしまった。

June 14, 2014

「サンフランシスコ体制」の見直しが必要だ

 太平洋戦争が終わった1945年の日本の、本来の有り様について考えてみたい。本来はどうであるべきだったのかという思考実験をしてみたい。

 本来はどうであるべきだったのか。戦争が終わり、敗戦国となった日本は周囲の国々から信頼され、それらの国々と関係の強化していくことが最も必要なことであることは言うまでもないであろう。周囲の国々とは、中国であり、朝鮮であり、さらに言えばソ連である。アジア大陸の東端の島国である日本は、こうした国々との親密な関係なくしてありえない。ごく自然に考えて、これは常識的なことであり誰もが理解できることであろう。

 ところが、である。

 この70年間の日本の戦後史は、そうはならなかった。ならなかったどころか、戦後日本は中国、朝鮮(韓国・北朝鮮)、ソ連・ロシアを敵視し、これらの国々と険悪でぎくしゃくした関係を持ってきた。中国、朝鮮(韓国・北朝鮮)についていえば、もっかの日本国の総理大臣は会談すらできていない。向こうからすれば話したくもない相手が日本国の今の総理大臣なのである。

 カンタンに言うと、今の我が国の様々な外交的諸問題の原因はここにある。つまりは、これらの国々と仲が良くないから起きている。

 この70年間、日本はこれらの国々との関係改善に努め、戦争の責任と謝罪を明確にし、良好な関係を持つ努力をしていれば、今、尖閣諸島とか竹島とか北方領土とかの領土問題にもめることはなく、沖縄に米軍基地はなく、拉致問題もなく、ロシアの広大な大地の天然資源をふんだんに輸入し、世界経済第2位の中国の巨大な市場でビジネスをして、アジアの大中華圏の中で経済成長まっしぐら、隣国と仲良きことは美しきかな(笑)の世の中になっていたはずである。

 しかしながら、そうはならなかった。なぜそうならなかったのか。

 「サンフランシスコ講和条約」というものがあった。太平洋戦争で敗北し、アメリカの占領下にあった日本は、1951年(昭和26年)にサンフランシスコで日本と連合軍の間で講和条約を締結することによって、アメリカによる占領は終わり、日本は独立国に戻った。

 この「サンフランシスコ講和条約」はかなりいびつで歪んだ講和条約であった。連合国と言っても米ソ冷戦が始まっており実質的にはアメリカ主導の西側自由主義陣営との講和であった。サンフランシスコ講和会議には中国は招待されず、ソ連は参加はしたが条約に署名をしなかった。アメリカの思惑は、日本を自由主義陣営の中に組み込むことであり、そのためには戦争の賠償や領土問題はあいまいなままとされた。敗戦国日本にとってみれば、この講和条約はかなり有利なものだった。沖縄はなおもアメリカの主権のままであり、在日米軍基地の大半は沖縄に置かれ続けた。

 「サンフランシスコ講和条約」と同日署名された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(いわゆる「日米安保」)の二つの条約により、戦後の日本は隣国のアジア諸国ではなく、太平洋の向こうの遠く離れたアメリカという国の属国としてアメリカ側の一員になり、周辺の本来友好な関係を持つべき大陸中国やソ連・ロシアと敵対関係を持つというかなりいびつな体制に中に組み込まれた。戦後日本の国際的な位置はこの「サンフランシスコ体制」で作られたと言ってもいい。それは70年後の今日をもってもなおこの構造の中にある。

 この講和条約に左派の知識人の多くは反対した。アメリカ主導の西側自由主義陣営だけとの調印ではなく、ソ連、中国も含めた全面講和をすべきであると彼らは主張した。それらの反対を押し切って、単独で講和することを押し進めたのが時の総理大臣の吉田茂である。

 上に「本来はどうであるべきだったのか」と述べた。しかしながら、その「どうであるべきだったのか」という考えは、あの時代の日本と国際社会がおかれていた状況を、いわばないものとしての思考であり、各々の時代の枠の中で物事は考えなくてはならない。「ロシアの広大な大地の天然資源をふんだんに輸入し、世界経済第2位の中国の巨大な市場でビジネスをして、アジアの大中華圏の中で経済成長まっしぐら、隣国と仲良きことは美しきかな(笑)の世の中になっていたはず」と述べたが、これはソ連が崩壊し中国が経済大国になった21世紀の今だから言えることで、実際はそうはならなかったであろう。

 単独講和も警察予備隊の創設も沖縄の米軍基地化も、あの時の日本人たちが望んで行ったものではなかったと思いたい。こんなものは本当の独立ではないということは吉田茂自身もよくわかっていただろう。しかし、日本人が望もうと望まないとに関わらず、日本は冷戦という時代の中で選択をしていかなければならなかった。

 後の世の我々が「サンフランシスコ体制」を批判することはたやすい。しかしながら、あの時代の日本に他にどのような選択があったというのであろうか。左派の知識人たちが言っていたソ連や中国も含めた全面講和を行い、在日米軍は置かず、永世中立の国となるということは、冷戦下の国際社会でとてもではないが実現不可能の夢物語であった。この時、敗戦国である日本は占領軍であるアメリカの意向に従い、アメリカ側の一員として共産主義と戦うということ以外に選択はなかった。

 ただし、吉田茂は日本が実際に戦争に出ることは避けた。アメリカからの再軍備化の要請を警察予備隊、保安隊、そして自衛隊の設立という最小限程度の軍備力の保有に留めた。そして、朝鮮戦争とベトナム戦争の軍需特需で日本経済は大いに潤い、その後の高度成長時代へとつながっていった。吉田茂は「サンフランシスコ体制」の中で、日本が経済復興を遂げる道を選択したのである。

 そして70年後、この「サンフランシスコ体制」が残した中国やロシアとの領土問題や、なによりも沖縄を米軍基地化させたことが大きな障害となってこの国の前に立っている。

 過去のことは過去のこととして、問題なのはこれからのことだ。これからはどうするのか。この先も「サンフランシスコ体制」を続けようというのであろうか。アメリカの軍事プレゼンスの低下、グローバル経済と交通と情報通信技術の発達による全地球的環境の出現、中国の台頭。この3つのポイントにより「サンフランシスコ体制」は現実の世界に合わなくなってきている。

 現在の国際社会では、この70年間続いてきた「サンフランシスコ体制」が大きくきしみ始めている。今見直さなくてはならないことは日本国憲法の改正とか集団的自衛権とかではなく、日本と日本人の意識を縛りつけているもっと大きな枠組みである「サンフランシスコ体制」そのものの見直しが必要なのである。

June 08, 2014

戦争を防ぐには「戦争のできる国」にならない

 池田信夫センセイが書かれるものは、なるほどと納得できるものも多いが、時々、なにゆえこんなことを言うのかと思うものもある。NewsWeek日本版のサイトでの池田センセイのコラム「戦争を防ぐには「戦争のできる国」になる必要がある」はまったくもって理解し難い。

 ようするに、日本が「戦争ができない」国であると、中国は日本に戦争をしかけても報復してこないので先制攻撃をしかけることができる。だから、日本が「戦争のできる国」になることで、日本側が報復できるのだから中国側は先制攻撃をしかけることができないと判断し、戦争を防ぐことができるのだという。

 この手の話はよくあるもので、一番有名なのが核抑止力の話だろう。相互に核兵器を持つことで、相手は相手に対して核攻撃をしかけることができない。よって、核兵器を持つことが核戦争を防ぐ有効な方法であるとする理論だ。この理論の有効性については別の機会に論じたい。問題は、この話と同じリクツで現代の戦争を論じることができるのだろうかということだ。

 まず、「戦争のできる国」とは何であるのかということが挙げられる。どの程度の軍備を持つことで「戦争のできる国」というのだろうか。もっとはっきり言うと、どのくらいの国家予算を使うことで「戦争のできる国」になると言うのであろう。どのくらいの人数の常備兵員を持つことで「戦争のできる国」と言うのであろうか。言うまでもなく平時における軍事力は、どの程度の予算をそれに費やすことができるのかという算段があって、その上に成り立っている。国家予算という決められた枠の中でしか軍隊を持つことはできない。軍隊にカネを回せば、その分、他のカネがなくなる。こんなことは小学生でもわかる話だろう。

 戦前の帝国陸海軍は、この国家予算という決められた枠の中で、いかにより多くの予算を軍隊がぶんどるかの政略の連続だった。しかし、かりに日本国の国家予算のすべてを帝国陸海軍が使ったとしても、日本は対米戦争ができる国にはなれなかった。いくらカネをかけようとも工業力の彼我の差を埋めることはできなかった。20世紀になり第一次世界大戦によって戦争の内容と規模が大きく様変わりした。戦争はもはや人が人と戦うのではなく、機械と機械が戦うものになった。消費する砲弾の量もそれまでの戦争の概念を超えるものになった。カンタンにいうと、それなりに工業力のある国家でないと戦争ができない時代になったのである。

 鉄がなけば兵器は作れず、石油がなくては戦車や軍艦は動かないのである。つまり、いくらカネをかけようとも、日本の場合、外国資源の輸入がなければ戦争はできない。20世紀は、そういう時代になっていた。本来の常識で考えれば対米戦争なぞできないのであり、「アメリカと戦争はできません」というのが軍事常識的に「正しい」意見だった。しかしながら、あの時、軍人はそうは言えなかった。言えなかったということについて、いろいろ理由がある。そのことについては別の機会に論じたい。

 いずれにせよ、軍事というものは、目的に応じてカネがかかるということと、いくらカネをかけてもできないことがあるということである。このへんを池田センセイはどう考えて「「戦争のできる国」になる必要がある」と言われるのだろうか。日本が中国と「戦争のできる国」になるには、そうとうのカネをかけることになるのだが、その算段があって「「戦争のできる国」になる必要がある」と言われるのだろうか。

 なるほど確かに、大日本帝国が朝鮮と中国を侵略したのは、李氏朝鮮にも清朝崩壊後の中国にもまともな軍隊がいなかったからであろう。李氏朝鮮も清朝崩壊後の中国も「戦争ができない国」だった。だから日本は侵攻した。朝鮮や中国が「戦争ができる国」であれば日本は侵攻しなかった。

 しかしながら、この世の中にはA国とB国という二つの国しかないのではなく、その他大勢の国々がある。「戦争ができない国」中国は日本の侵攻に対して、広大な中国大陸を逃げ廻って戦線を拡張させ泥沼的状態にもっていくとともに、国際世論を見方につけてアメリカの援助を得ることをもくろんだ。中共も国民党もこの点について一致し、日本はこの戦略に乗っかっていったということが言える。特に、日中戦争下でコミンテルンが果たした役割は大きい。

 通常のマトモな国は、あの国はうちと戦争ができる国ではない。それじゃあ、あの国を攻めても問題ない。よし戦争をしよう、というそういった幼稚な思考で戦争はしない。かつて大日本帝国がそうした幼稚な思考で戦争を始めたとしても、当然のことながら現実はそうした思惑通りにはならなかった。

 池田センセイはこう書いている。

「20世紀は世界大戦が2度も起こったが、延べ人口に対する死亡率は1%程度で、石器時代よりはるかに低い。現代は、人類史上もっとも平和な時代なのだ。それは軍事力が均衡して、先手必勝の非対称性がなくなったからだ。ここでは核戦争のような「相互確証破壊」になるので、互いに先制攻撃しないことが合理的戦略になった。」

 この「延べ人口に対する死亡率は1%程度」の「述べ人口」ってなんですかという疑問はあるが、もし仮に20世紀以後が「人類史上もっとも平和な時代」であったのならば、それは「軍事力が均衡して、先手必勝の非対称性がなくなった」からではなく、地球規模で経済と交通と情報通信が発達したからである。戦争を防ぐには「戦争のできる国」になる必要はない。池田センセイはこれを「戦略論の初歩的な常識である」というが、こんなものは常識でもなんでもない。「戦争のできる国」になるというのは、それしか選択がない。しかも、莫大な予算が軍隊に費やされる。そうではなくて「攻撃されない国」になればいいのだ。

 「戦争のできる国」になるというのは、「攻撃されない国」になることの選択のひとつでしかない。「攻撃されない国」になることには様々な選択があり他の国々との関係も必要になる。「戦争を防ぐには「戦争のできる国」になる」しかないと思うようになったら、それはもはや末期的な状況なのである。

June 07, 2014

天安門事件

 1989年6月4日、北京の天安門広場で民主化を求める学生や一般市民のデモに人民解放軍が武力で弾圧し多数の死傷者を出した。あれから25年がたった。この間、中国はオリンピックを行い、万博を開催し、経済で日本を抜いて世界第二位になった。思えば不思議なものだと思う。ウイグルやチベットのテロに対してではない。大学生や北京の一般市民に銃を向け、戦車で押しつぶしたのである。つい最近までデモに対して平気で発砲して弾圧する国が、オリンピックをやり万博をやり、超大国であると世界中に影響力を見せつけている国になっているのである。

 今、大陸中国では「天安門事件」はなかったことになっている。暴徒が天安門を占拠したので政府がこれを鎮圧した程度のことになっている。若い世代では六四天安門事件そのものを知らない人も多いという。

 ようするに、あれはなかったこと、にしたいのであろう。

 なぜ、なかったことにできるのかというとその後の25年のすさまじい経済成長があるからである。先に述べたように、その後の中国はオリンピックをやり万博をやり、世界の経済大国になった。だから、25年前に天安門で起きたことをどうでもいいと思わせることが可能になった。中国の経済レベルが25年後の今でも当時とたいして変わりないようであったのならば、共産党政府はどうなっていたかはわからないだろう。いわば天安門事件以後の25年は、天安門事件を隠蔽することを可能にした経済成長の25年だった。

 これは、このように選択したのかどうかわからないが、選択として良かったとは言えないのではないか。中国は国が貧しい状態から民主主義の国家であったという道ではなく、「国が豊かになる」ということを「共産党の独裁政権」であることの条件というか見返りにするという方法をとったということだ。つまり、ある一定の経済水準を満たさなければ、その政権は崩壊するということである。もっとも、中国では過去の歴代王朝はみなそうであったとも言える。

 かつて中国は日中戦争の時も国共内戦の時も、国と人民は貧しくても統一的な理想に向かって進んでいくという国だった。もはや、今の中国はそうした国ではない。政権が人民を貧しくさせると人民は政権から離れ、やがて人民は反乱に及び新しい政権を樹立するという易姓革命のパターンに戻ってしまったのが今の中国の状況だ。

 天安門事件以後の25年間、大規模な民主化運動は起きておらず、チベットやウイグル等の少数民族問題を除けば司法の透明さや食の安全といったことにデモ運動が各地で多発している。今の中国の政治的な課題は民主化という抽象的、観念的なスローガンではなく、まず司法の徹底と汚職の廃絶、生活環境の安全である。逆から言えば、これらをきちんと遂行できる政府であるのならば共産党だろうとなんでも良いということだ。現在、習近平が行っている汚職撲滅運動もそうしたことのためだ。国民の大多数にとって民主主義よりまず暮らしの安定である。もちろん、これらを可能にするのは選挙による政治、つまり民主主義でなければならないとなると民主化運動が高まるということになる。

 このように中国は内政にやるべきことが万里の長城のごとく数多くあり、外征などやっている余裕はない。外国との戦争にでもなり国内の経済が低迷すれば共産党政府はひっくり返る。独裁国家としての面子があるため東シナ海や南シナ海で強硬な姿勢を見せているが、中国海軍は張り子の虎に過ぎない。巨大な内政問題を抱える中国は海軍力を保持できるゆとりがないのである。今の中国はかりに日本やアメリカやベトナムやフィリピンと戦争したくてもできない、そんな国になってしまった。その昔、大日本帝国と戦い、国民党軍と戦い、ソ連と戦い、インドと戦い、ベトナムと戦い、韓国・アメリカと戦った人々が今の中国を見たらどれほど嘆くだろうか。

 中国共産党政府は天安門事件を「なかったこと」にした。このことはつまり、天安門事件をなかったことに「し続けなくてならない」ということを負うことになった。本来、この出来事の責任と処罰をきちんととっていれば、その後、こうした憂いを持つことはなかったのだが、共産党指導部の鄧小平ら老人たちは自分たちの権力が失われることを恐れそうしなかった。

それらの老人が世を去った25年後の今、中国共産党はそのツケを払い続けなくてはならないことなった。このツケとは経済を成長させなくてはならないというツケであり、かつこのツケは経済が成長することでさらに大きくなるというツケである。このツケを払い続けることができなくなった時、中国共産党政府は終わるだろう。

 そしてこれを日本からの視点で見た場合、中国の脅威で憲法解釈を変えようとする今の安倍政権がやっていることは返って逆効果であり、中国の日本への強硬な態度をさらに強めることにしかならない。むしろ人権問題を主張することの方が大きな効果を与えるのである。

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