沖縄の反「反基地」運動
今朝の朝日新聞に、沖縄で米軍基地反対に反対する動きが表面化しているという記事があった。このことはこれまで産経新聞が何度も取り上げていたが、朝日新聞までもが取り上げるようになったということは、それなりに大きな出来事になってきたということなのだろう。
朝日の記事によると、反「反基地」運動の人々は沖縄で基地に反対する自称平和運動家は労働組合や極左集団ばかりであって、そうした沖縄の左極化を戻していると言っているとのことだ。そうであるのならば、反「反基地」運動ではなく、反「反基地運動」なのだろう。しかしながら、反「反基地運動」は反「反基地」運動になってしまっているようだ。
反「反基地」の人々の訴えに共通するのが中国の脅威だという。もっと具体的に言うと、沖縄から米軍が撤退すると中国軍が侵略してきて沖縄を占領する、だから沖縄には米軍がいるべきであるという考えだ。
ここで思うのは『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』で映画監督のオリバー・ストーンと歴史学者のピーター・カズニックが書いていた、共産主義ソビエトの脅威はハリー・トルーマンという凡庸な大統領が作った幻想だったという説だ。
ソ連の脅威などどいうものは、実は西側が一方的にそう思っていただけのことであり、アメリカはソ連への恐怖からソ連の周囲を数多くの核ミサイル基地で囲んだ。こうなるとソ連もまた国防の必要上、核ミサイルで対抗せざる得なくなった。かくて米ソはひたすら核兵器の数が増えていく競争になった。これが冷戦の本質であった。
第33代大統領がトルーマンではなく、ソ連に講和を求めようとしていたヘンリーウォレスであったならばその後の現代史は大きく変わっていた。とオリバー・ストーンとピーター・カズニックは述べている。この説は大変興味深い。私たちは、ソ連という国がどのような国であるのかということをもっぱら西側、アメリカ側の視点でしか学んでこなかった。
私は崩壊する直前のソ連を旅したことがある。モスクワに行って見れば、当然のことだがごく普通の人々が住む、ごく普通の都市だった。モスクワのマクドナルドには長蛇の列ができていて自分もその中に並んでハンバーガーを買った。店にはものがあまりなく、ショーウインドウも空っぽが多く、それでいながら道を歩いている女性のファッションが欧米の女性ファッション雑誌に出てくるようなファッションを着こなしていて、こういう情報は来ているのだなと思った。
つまり、モスクワの人々にとっては情報については欧米の人々を同じになっているのだがモノはない、商品がない。だから、西側の経済とボーダーレスにつながることを求めたのだろう。そのことはべつにおかしなことでもなんでもない。行って見れば、ソ連もまた我々と同じ人々だった。
冷戦の時代、アメリカもソ連も、お互いがお互いの恐怖や猜疑心や情報の不足から数多くの間違ったことをしてきた。そういう時代だった。ソ連は全世界を共産主義化しようとしている悪の帝国だとレーガンは語った。しかしながら、世界は何度かの核戦争の危機があったが、米ソは全面戦争になることはなく冷戦は終わった。
この終わり方についても、ゴルバチョフが終わらせたのであって、アメリカはまだ続ける気だった。軍産複合体が冷戦を終わらせることを望まなかったからであるとオリバー・ストーンとピーター・カズニックは述べている。彼らが言うように、冷戦が終わった今、ジョージ・ケナンとハリー・トルーマンが作ったソ連の脅威とはそもそもなんであったのか、実際にそれはあったのか、ということを振り返って考える必要がある。重要なことは「ソ連の脅威がある(あった)」のはあたりまえの常識であるかのような視点を捨てるということだ。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』はそのことを教えてくれた。
さて、では中国の脅威というものがあるのだろうか。
今の南シナ海で繰り広げられているような領有権の争いや中国が実効支配領域の拡大をしようという動きは確かにある。しかしながら、沖縄から米軍が撤退すると次の日には人民解放軍が侵略してきて沖縄を占領するということがあるのだろうか。ウイグルやチベットの暴動の鎮圧する中国人民武装警察部隊の話ではなく、人民解放軍の兵士が日本国民である沖縄の人々に銃を向けることがあるのだろうか。その写真なり動画なりがネットに流れるだけで中国がどうなるか。
実際のところ、沖縄さらには日本から在日米軍がいなくなったらどうなるのか、どうしたらよいのかということについて、今のこの国ではまともに考えようとしていない。まるで、そんなことはありえないことが常識のようになっている。太陽が西から昇るようになったらどうなるのか、ということを考えることがないように、日本から在日米軍がいなくなったらどのようになるのか、ということについて考えようとしない。太陽が西から昇ることはないが、在日米軍がいなくなるということは「起こりうること」として、その可能性やそうなった場合、国はどうするのかというシュミレーションがあって当然のことであろう。
日米同盟があることを当たり前のこと、自明のこととしてはならない。日米同盟というのは、日本にとってもアメリカにとっても複数ある選択枝の中の一つであり、日本とアメリカは過去にどのような経緯、どのような理由でそれを選択したのか、現在なぜそれを選択しているのか、そしてこれからも選択し続けるのかといったことについて学び考えていかなくてはならない。
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ソ連は地上戦展開のために戦車を増強し続け、自由主義国家が核攻撃を前提に経済発展を続けてソ連を破綻させます。
あなたが見たように国民は正直ですからアフガン紛争でソ連を否定したのです。
中国は南シナ海で侵略を続け、尖閣諸島でも侵略していますけど、知りませんでしたか。
Posted by: 近森正昭 | May 21, 2014 10:57 PM
近森さん、
中国が南シナ海や尖閣諸島でやっていることは決して正当性がある行為ではありません。たいへん危険な行為をやっています。ただこれを「侵略」と呼ぶのは疑問です。中国側の視点に立ってみてください。中国にとって自国の周辺の海の覇権をアメリカと日本が握っている状態で安心することができますか。彼らもまた自国の安全保障を確保したいだけなのです。
Posted by: 真魚 | May 22, 2014 11:37 PM