集団的自衛権のバカバカしさ
政府は集団的自衛権の行使容認の方向へ進んでいるようだ。集団的自衛権とはなんであるのか、よくわからないのであるが、どうも米軍が有事の際に自衛隊が援助することのようだ。しかし、アメリカ海軍が日本の海上自衛隊に援助を頼むことが、そもそもあるのだろうか。あるとしたら、かなり下請け的な作業になるのではないか。つまり、集団的自衛権の行使容認とは自衛隊の下請け化なのだろう。
そんなことは納得がいかないと言っても、事実、アメリカ海軍と比べて今の海上自衛隊の内容ではその程度の援助になる。そうではなく、しっかりとアメリカ海軍をサポートするというのならば、防衛省にそれ相応の予算をつけてもらわなくてはならない。しかし、そんなカネがどこにあるのだろうか。
集団的自衛権の行使を容認して、米軍の支援、シーレーン防衛での他国軍との共同作戦、朝鮮半島有事の際の対応など自衛隊が担うべき役割は大きい。では、そうしたことを行う軍隊とはどのような組織や設備や装備、人員が必要なのか。それが決まれば、それを実現するためにカネがいくらかかるかはわかる。さて、ではそのカネはどうするんですか、という話になる。
しかしながら、そうした話はいっこうに出てこず、集団的自衛権を容認して自衛権の活動範囲を拡大し、世界規模で自衛隊の戦力行使を可能にしたいという希望というか願望だけが一人歩きをしている。実質的な話がなにもないのは、自衛隊を今の装備で紛争地帯に送りだそうとしているのだろう。そうしたことは、これまで何度もあった。
軍隊にはカネがかかる。戦後の日本が軍事をまともに考えてこなかったのも、戦後復興の日本には軍隊にまわすカネがなかったということから始まった。とりあえず対面的に警察予備隊を作り、実質的な国土防衛は米軍に依存する。それが戦後日本の選択であった。
その路線は、戦後復興が終わり経済大国になってもそのままであった。軍隊などというものに、カネをかけずにすむのならばそれにこしたことはなく、軍備にカネをかけずひたすら経済成長を走ってきたのが戦後の日本であった。ここにきてそれはどうも宜しくないことなのではないか、日本もまた他国と共に軍隊を派遣すべきではないかという声がでてきて、憲法改正しようとか集団的自衛権の行使容認しようとかということなのだろう。
そうであるのならば、それはそれでいい。軍隊にはカネがかかるという、最初の話に戻るだけである。ところが、その点について政治家のみなさんは戻る気があるとは思えない。これまで本土の専守防衛を目的として作られた軍隊を、世界規模で活動ができる軍隊にするには、どれだけの予算が必要か考えてものを言っているようには思えない。
集団的自衛権の行使容認は、自衛隊の抜本的改革が前提になる。そうした話が出てこないのはなぜか。そうしたリアルで実質的なものごとを踏まえた上で、専守防衛でなぜ悪いのか、海外に派兵をしなくてはならないのかという話になっているとはとても思えない。この国では自衛隊はいつも政治や外交の道具でしかなく、軍事が上っ面だけの底の浅い論議になるのはなぜなのか。自民党の石破茂幹事長は地球的規模で自衛隊が活動できるようにすると述べているが、これを見ても自民党の集団的自衛権の行使容認はまとまりがなく枠組みも目的もあいまいな願望でしかないことがよくわかる。
ようするに、今の自衛隊でやれということなのだろう。それがどれほどバカバカしいことか、わかっているのだろうか。
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