ソニーの一人負け
ソニーが一人負けの赤字転落になったという。カンタンに言えば、パソコン事業とテレビ事業が不振なのである。他のメーカーはそれら以外でも商売をしていて、それなりに利益を上げているので転落にはならなかったが、ソニーだけはメインがパソコンとテレビだったので転落になってしまったということだ。
記事の中に
「「若いころはゲーム、大人になってからは映画・音楽、最後は金融分野で生涯つきあえるようなビジネスモデルを構築すべきだ」(メリルリンチ日本証券の片山栄一調査部長)との指摘も聞こえる。」
とあるが、パソコンとテレビを作ってきたメーカーが、ゲーム企業や映画・音楽企業、そして金融企業になるのはほとんど不可能に近いことだ。ソニーがなりたい企業はブランドとプラットフォームで販売ができるAppleであろうが、ソニーがAppleになれるとはとても思えない。
ようはソニーのスマホやタブレット端末が南米や中国やインドやアフリカ諸国でじゃんじゃん売れる、じゃんじゃんでなくても、そこそこには売れるようになればいいのであるが、そうなるとはとても思えない。もちろん、今のソニーはデザインを日本で行い、世界各地の安いコストの場所で生産をしているわけではあるが、それでもサムスン電子やAppleに太刀打ちができなくなっている。
もう一方の点は、もはや製造業は国内の大量雇用の場にはならないということだ。これは日本だけではなくアメリカはすでにそうなっている。日本企業は日本企業にしかできない独自の技術でやっていけば良いかのような声をよく聴くが、そうした日本独自の技術の市場は割合としては小さく、日本国の主要産業としての大量の雇用の場にはとてもならない。大量雇用の場としての工場は、同じことが外国ではもっと安くできる。従って、産業政策のメインはサービス産業にシフトし、国の大量雇用の場としてのサービス産業を考えなくてはならない。
こうしたことは10年前、20年前から言われてきたことであり、21世紀になったらどうやって国の産業を栄えさせるのか、このままの製造業一本ではもう成り立たないと言われ続けてきた。21世紀になりその時に言われてたように韓国、台湾・中国の企業が日本企業を追い抜いた今になっても、相変わらず国の政策のメインは昔のままの建設業と製造業である。
本来は情報通信技術やハード技術をつかって、どのような新しい社会、新しい未来が創れるのか。夢を描かなくてはならないのだろう。日本の製造業とかソニーとかいった概念を捨て去って、新しい製造業のコンセプトが必要なんだと思う。思えば今の時代、産業と技術に対してもっと想像力や構想力を持たなくてはならない。
アメリカの場合は、これを映画がやっている。アメリカは映画と技術革新と産業が結びついており、技術の夢を描くことができる。日本は日本が本来もっていた文学や歴史や文化のコンテンツを技術を使っていかに表現できるか、それを表現するためにはいかなる技術の開発が必要なのかといったことから新しい技術が生まれ、それが産業になる。日本にもそうしたルートがあって欲しい。
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