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February 08, 2014

東京都知事選投票日の前に

 民意を政治に反映させる手段が選挙である。しかしながら、今の世の中は選挙で変わることはない。また有権者は必ず投票しなければならないわけではない。投票率がいくつ以下の場合は、その選挙は無効になるというわけではない。無投票というのは、それはそれで政治的な意思表明ではあるのだが、獲得票数で当選を決めることに対して意味を持たない。

 立候補者が意見を表明し、それが有権者に正しく伝わり、有権者はそれらの情報をもとに判断し投票を行い。数多くの票を獲得した人がその任につき、有権者に約束をした政策を実行していく。そうした社会であり、かつ、その過程が誰が見てもわかるようになっている。という世の中なのかというと、そうなっていない。そうなっていないので、民主主義というシステムの意味がよくわからなくなっている。ここのところをどうにかしないと民主主義も選挙もなにも始まらない。しかし、どうにかしなければならないのに、いっこうにそうはならないところを見ると、そう単純なものではないのかもしれない。

 いま「そうなっていない」と書いたが、本当にそうなのかというと、例えば今回の都知事選挙を見ても、有権者の主張や街頭演説などはネットで読んだり見たりすることができる。立候補者側は有権者に「伝えている」と言えば確かに「伝えている」わけであり、有権者側も「知らない」とか「伝えられていない」とは言えない。テレビや新聞ではそれらの情報は断片的であるが、ネットで読んだり見たりすることができる人はそうした情報をトータルに入手することができる。

 ところが、ではそうしたネット環境やスキルを持っていない人々の方がそうでない人々と比べて「正しい」判断をしているのか、というとそうしたわけではない。この国の今のネット世論は右に傾く傾向がある。

 東京はもっと国際都市になれるし、もっと江戸風情のある街になれる。中華人民共和国香港特別行政区、すなわち香港は誰が香港の行政長官になろうとも、いわゆる香港らしさがある。台北もまた誰が行政の長になろうとも、いわゆる台北らしさがある。同様に、東京もまた誰が都知事になろうとも、いわゆる東京らしさがある。

 選挙の前にこんなことを書いたのは、今回も東京都知事選の候補者の誰にも期待が持てないからだ。しかし、期待が持てないからといって投票をしないわけにはいかない。そもそも選挙というのは、自分が立候補していないのならば、自分の意思と完全に一致する候補者がいるわけがなく、自分とは違う考えを持つ人を選択しなくてはならないものなのである。投票ではなるべく自分の意思に近い候補者を選択するしかない。それが選挙だ。

 自分としては選挙の結果がどうなろうと、誰が東京都知事になろうとも、この「変わることがない東京らしさ」にかけたい。東京の良さ、東京の活力はここにあると思うからだ。

 それでは、選挙したって「変わることがない東京らしさ」にかけたいというのならば、投票する意味はないではないかという意見が聞こえてきそうだけど、都知事が誰であるかで変わる部分もある。これはこれとして投票をしたい。

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