ネット選挙
今朝の朝日新聞に、先日の都知事選挙で最も若い候補者であった家入一真氏のインタビュー記事が載っていた。この人は告示日に「マイク替わりにiPhoneを! ビラ替わりにホームページを! 事務所替わりにFacebookを! 握手替わりにTwitterを!」と宣言し、クラウドファンディングで選挙資金を集めたという。
あとは投票してくれる人が増えればそれでオッケーだった。しかしながら、そうはならなかった。つまり、なぜ票が伸びないのかということである。
ここで問題なのは、家入氏は「一緒になにができるか、考える参加型の政治を作りたいと思った」ということだ。これはこれで正しいが、すべての有権者にこの考え方は通じない。基本的に日本の政治は「お任せ政治」である。有権者は「この人」に投票をすることで、あとは「この人」に一切合切を任す。その代わり任された方は私利私欲より公のために尽くすという倫理規範があった。それが日本の江戸時代以来の為政者の文化であったと思う。そうした倫理規範が今もう失われてしまった。
こうした「お任せする」有権者に対しては「一緒に考えましょう」は通じない。こちらで「私たちはこのように考えています」と説明をする必要がある。自分が当選すればこのようなことをやりますという情報の伝達が必要なのだ。政策の企画力であり、それをいかにわかりやすく表現できるかであり、それをいかに伝達するかということである。
本来、ITはこうしたことのために生まれたテクノロジーであり、今の世の中はこうしたことを行うのにハードやソフトやインフラ的にはすでに十分過ぎるほど整っている。街頭演説では政策を説明することなどとてもできない。あれはエモーショナルな場である。ネットで説明する。いわば「政策」というパッケージをネットという宅配便で有権者にお届けするということだ。必要ならば人が有権者の現地に行って説明する。ネットでなければならないということない。
もちろん、政策は一方通行だけであるわけではなく、多くの人々との対話で集団的に形成されていくこともある。つまり、トップダウンの政策伝達もあれば、集合知による政策形成もある。そうした柔軟なマネジメントが必要だ。
当然のことながら、上記のようなことをやるには、その技術とマネジメントができる人がそれなりの数で集まらなくてはできない。結局、ネットは人なのである。
今のこの国ではネット選挙を活用し運用していくことができる層が浅く、マネジメントも含めた技術が低い。ネットではネット保守とかネトウヨが強いとか言っているようでは話にならない。結局、この分野はそうした技術やノウハウを持っている人でなくてはならないが、そうした人材が不足している。そうした人材を育てようとする理念はなく、教育するネットの場もない。いわばなにもしてこなかったツケが、今の日本のネットを狭窄的な愛国心しかないネット保守がはびこるだけの場所にしてしまった。
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