都知事選の結果を見て
昨日「自分としては選挙の結果がどうなろうと、誰が東京都知事になろうとも、この「変わることがない東京らしさ」にかけたい。東京の良さ、東京の活力はここにあると思うからだ。」と書いたのは、どうもこれは当選するのは舛添要一になるような気がしていたからだ。
細川・小泉は最初の演説を見た時からこれはダメではないかと思っていた。「脱原発」というのはワンフレーズにはあるが、もう今の世の中はワンフレーズではウケないだろうと思っていた。小泉のカリスマはもう通用する時代ではない。有権者側の反応もいまひとつな感じであった。これはアカンなと思っていた。
今回、投票率は低くなるだろうと思っていたが、50%以下になるとは思っていなかった。東京は昨日記録的な大雪だったため今日も雪が残る寒い日であったが、それで投票に行かないというのは、つまりは無関心というか誰が都知事になっても同じだろうという毎度お決まりの意識がまだあるのだろう。この「誰が都知事になっても同じ」。つまり、日本の政治は個人がどうこうするものではなく組織での決まりごと従う、だから個人を特定しても意味がないと思っている、この意識を変えない限り投票率は上がらない。
Twitterで「東京都民は雪でも会社には行くのに投票には行かないのか」みたいなツイートがあった。組織で投票する組織票は、ある候補者に投票することで自分たちの組織の利益になるから投票をする。投票が自分の利益にはならない人々は投票などやる価値がないのであろうか。
結局、昨日書いたものと同じになるが、選挙の結果がどうなろうと、誰が東京都知事になろうとも、変わらない東京というのは確かにある。その一方で、都知事が誰であるかで変わる部分もある。このことを投票権を持っていても投票に行かない人々にきちんと説明し、理解してもらう以外に方法はないであろう。
いずれにせよ、どの候補者が都知事になろうと防災や福祉は変わらない。だからこそ、原発が論点の選挙になるはずだったが、そうならなかった。なんのための選挙だったのだろうか。これでまたもや原発についてはっきりしない世論が続くことになった。
猪瀬直樹が都知事に当選した時、ああいう最後になるとは思っていなかった。今回、桝添都知事はどうなるのだろうか。
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