国家の神道
お正月に見たテレビで1日と2日にNHKで放送していた『伊勢神宮~アマテラスの謎~』と『出雲大社~オオクニヌシの謎~』は興味深かった。
当時の日本は、地理的に言う今の日本ではない。大和盆地の朝廷が思っている「この国」とは大ざっぱに言って西日本であり、東日本は大和朝廷にとって預かりしれぬ場所であった。日本書紀にはヤマトタケルが宮城や岩手辺りまで東征した記述があるところを見ると、朝廷はここから東にさらに行くと広大な大地が広がっていることは知っていたようであるが、つまりはよくわからない未開の天地であった。
未開と言っても当然ながら、その地にも人々が住んでいて独自の文化社会を営んでいた。天皇を長とする朝廷は西の政体であり、もし世の中がそのままであれば、伊勢神宮も出雲大社も東日本の社会に住む人々や日本列島の先住民にはなんの関係もないものであった。
長い長い年月をかけて、大和盆地の政体がやがて日本列島全域を覆う政体になる。このへん「大和盆地の政体がやがて日本列島全域を覆う政体になる」という一言では言えないものがあるが、とりあえず、はしょってそうだったということにする。
そうであったということにしたいが、日本列島に住む人々の長い歴史の中で、政治権力と天皇制が一緒になったのは伊勢神宮や出雲大社が建立された古代の時代と明治以後の近代だけであったということと、政治権力と天皇制が一緒になった政体が、日本全土を覆うようになったのは明治以後の時代であったということは言いたい。(ただし、鎌倉幕府及び江戸幕府が京都の政体の下になるのか別の王権であるのかついては、日本史では今なお議論がある。)
明治になって政府が国家神道を作り、日本国民はあまねく天皇の臣民ということになったのである。さらに言えば、明治政府が台湾や朝鮮などを統治するようになると、その地の人々もまたとりあえず「天皇の臣民」ということになった。
伊勢神宮や出雲大社といった日本神道、あるいはさらに時代をさか登り、神道の原型である古神道から見れば、国家神道など亜流であり、本来の神道とは別のものであると言える。ロコツに言えば、国家神道は明治政府が国民の意識を統治し管理するために神道や天皇を利用して作った政治宗教であった。
ただし、伊勢神宮も出雲大社もその当時の政体が人々の意識を統治し管理するための仕掛けであり設備であったとは言える。その意味で、明治政府の国家神道も大和朝廷の神道も同じと言えば同じであり、いわゆる王政復古とは明治政府が古代の天皇制の政体を復活させようということだったということを思えば、この国は今でも王政復古が続いていると言えるだろう。
太平洋戦争の敗戦により大日本帝国が解体し、GHQの神道指令により国家神道は廃止された。廃止されたはずなのであるが、戦後半世紀以上たった今でも国家神道のカケラのようなものが残っている。そのひとつが靖国神社である。
日本の歴史の中で、政治権力と天皇制が同じではない時代もあった。天皇と結びついているが故に、時の政治権力には支配されない、無縁・無主・公界があった。本来、宗教とは政治権力とは別のもの、政治権力を超えた存在であるはずだ。
敗戦直後、GHQは靖国神社をブルトーザーで壊して、九段下のあの場所をさら地にするつもりだったという。それが諸事情でそうしないことになった。国家と結びついた天皇制や国家神道はGHQによって廃止させらるべきものであった。それが今でもあり続けている。なぜならば、GHQが戦後日本の統治のためにそれらを存続させたからである。公的には廃止になった。しかし、実質的には存続させた。このあいまいさにより、それらは今でも残っている。
だからどうということはないが、そうしたあいまいさの中にいることは留意したい。
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