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January 21, 2014

原発はもはや選挙の論点ではない

 アメリカの意図は普天間は固定しない、嘉手納に指令機能を集中させて、他は段階的に撤退する。海兵隊が尖閣を防衛することはない。だから日本としては、沖縄に海自の基地をどのように配備するか、中国に対してのアメリカの対抗的なプレゼンスがないこれからの時代、沖縄はどうあるべきなのかなどといったことが本来考えるべきことなのであるが、そうしたレベルの話になることはなく、ただ普天間の辺野古移設を賛成か反対かをやっているように、東京都は原発再稼働容認か原発停止のままにするかという選挙をやろうとしている。

 都知事選挙であろうと国政選挙であろうと、原発は選挙で決めるべきものはなくなっている。311で我々はそれを学んだはずだ。311を体験して、原発についてやることはもう決まっているはずだ。

 原発はしかるべき安全基準を満たし、万全な核廃棄が可能であれば原子力エネルギーを使っていくことは全然かまわないと思う。私は東京都民であるが、東京に原発を置くのもかまわない。

 問題なのは「しかるべき安全基準を満たせば」ということであり「万全な核廃棄が可能であれば」ということだ。今回の福島原発事故ではっきりしたことは、どこの原発も「しかるべき安全基準」を満たしていない、というかその安全基準そのものが話にならないものだったということだ。

 国際的に原発の安全基準や安全対策は決まっている。福島原発事故以後、こうした側面については改善がみられる。しかしながら、安全対策というのはそうした工学的な話だけではなく、事故になった際に誰がどのような避難命令を出すのか、どのような判断基準でどこまで避難するのかといった行政の運営対策を含まれる。こうしたことがさっぱり決まっているように思えない。

 この国はどうしたわけか昔から行政を含めるマクロな社会システム、社会マネジメント的なことになると、まとまりがなくなりさっぱり話が進まなくなる。明治初期の内務省や太平洋戦争中の政府やアメリカの占領時代のGHQなど、あるひとつの強力な権力がひとつのグランドデザインを打ち出し、それに従って各行政機関が動いていくことができたが、通常はそういうことをしない、できない国である。東北地方一帯が壊滅するかと思われた福島原発事故の時にもなにもできなかった。もはやそうしたことができない国なのだろうと思う。また原発事故が起これば、政府はまた右往左往するのだろう。

 従って、私は原発再稼動には反対したい。現状ではとても再稼働できる状況ではない。その意味で私は反原発である。ただし、10年でも、20年でもかけて原発を再稼働できる状態にする。そうした状態になったのならば再稼働することに依存はなく、その意味では私は原発推進なのだろう。ただし、上記で述べたように工学的な対策よりも、行政的な対策ができるかどうかかなり懐疑的だ。

 事前に想定できる事故は、その対策を行うことで防ぐことができる。これは安全対策の基本だ。しかしながら、事前に想定していないことも起こる。対策は「事前に想定していないことも起こるであろう」ということを想定しているものなのであるが、原発事故の場合、「事前に想定していないことも起こる」と計り知れない、桁違いの被害をもたらす可能性がある。だから、原発は今後一切使わない、人類の使用禁止のテクノロジーとして封印する。他の国はいざ知らず、とにかく日本はそうする、というのがラディカルな反原発の立場なのだろう。

 これは考えとしてありうると思うが、現実として難しい。人類が使用禁止にしたいテクノロジーは原子力以外にも数多くあるが、それらが封印できるとはまったく思えない。封印することができないのならば、人類はそれらを抱えていくしかない。

 核廃棄物の処理については、原発をやめようと続けようともはや大量の核廃棄物がある。これをなんとかしなくてならない。現状では、深い穴を掘って埋める、という方法しかない。これで永久に大丈夫なのかといえば、まったくそういうことはなく、こんなあいまいな廃棄物処理方法だけで、よくもまあ原子力を使うようになったものだと思う。原子炉の廃炉技術についても同様だ。廃炉は人類が今だかつて行ったことがない技術である。廃炉や核廃棄物の処理問題が完全に解決するまで原子力は使わないという判断はできなかったのかと思うが、できなかった、廃棄物をどうしたらいいかわからないけどエネルギーが得られるので使いました、ということなのだ。

 この解決方法は二つしかない。核廃棄物を完全に無害な状態にするか、宇宙空間へ例えば太陽に廃棄するしかないと思う。このどちらも、今だ可能になっていない人類の未知の技術である。少なくとも廃炉の技術と核廃棄物の安全な処理方法の確立は、この分野では日本がトップに立つ必要がある。国はなぜこうした政策をとらないのだろうか。

 いずれにせよ、安全ならば再稼働。安全でないのならば再稼働しない。再稼働をしたいのならば、早く安全を確定させるようにする。これはアタリマエのことではないのか。311以後、僕たちは原子力についてもう選択の自由なんてものはない。選挙でどうこうとやっていることではなく、やるべきこと、進むべき道はもう決まっているはずだ。

 決まっているはずのものを今だ選挙であれこれやっているのは、この「決まっていること」を国がはっきりさせていないからだ。政府がアタリマエのことをやらず、なし崩し的に原発を再稼働しようとするから有権者側は納得がいかないのである。

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