本来、カネの話ではないものがカネの話になる
沖縄県の仲井真弘多知事は27日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた国の公有水面埋め立て申請を承認したという。
承認した理由についていろいろ言っているが、結局はお金だったと思われてもおかしくないだろう。日本政府は来年度から2021年度まで、毎年3000億円以上の沖縄振興予算を出すという。沖縄振興予算と言っても、我々の税金からなのである。
以前、米国務省の元日本部長が「沖縄はゆすりの名人」みたいな発言をしたとのことで、ちょっとした騒ぎになった。この時、私はなに言っているんだ、このアメリカ人は、と思ったが、今回の沖縄県知事の承認を知って、外国人が「沖縄はゆすりの名人」と思ってもおかしくはないなと思うようになった。ある意味において、あの国務省の元日本部長は正しかったということになる。
沖縄県知事は安倍総理との会見の後、「よい正月になる」と述べたそうであるが、承認するならするで、この後のマスコミと沖縄世論への説明がそう簡単には済まないことを意識していなかったのであろうか。あるいは、沖縄県民に説明する必要など思ってもいかなかったのだろうか。
辺野古移設推進派と反対派が「もめる」とか「ごねる」ことによって、どんどんカネがつり上がっていく「仕組み」が政府の側と沖縄の側にある。ここに本質的な問題がある。これがある限り、沖縄問題は果てしなく泥沼化し、かつますます利権の巣窟へとなっていく。何も解決しない。何度も言うが、そのどんどんつり上がっていくカネは、我々の税金であり、本来はもっと違うものに使えたお金なのである。
こんな知事を選んだ沖縄の有権者が悪いとは言えない。東京都民の大半だって、あんな都知事を選んだ。つまりは、民主主義そのものが正しく機能していない。今の民主主義社会とは、政治に民意が反映する社会ではないのである。
しかしながら、「民主主義そのものが正しく機能していない」とココで偉そうに書いて、はい、それで終わりというわけにはいかない。戦後半世紀以上たって、この国はこんな「仕組み」がある世の中、こんな「民主主義」がある世の中になってしまった。
これから、辺野古移設反対闘争はよりゲリラ的になり激しさを増すだろう。なぜならば、そこに住む人々にとってはカネの話ではないからである。
沖縄だけに、なぜこんな潤沢な復興予算を出すのか。福島県の方にこそ出すべきなのではないか。そうした疑問がもっと出て来てもいい。
原発もまた地域への予算がらみの話だけだったが、311以後、そうでもなくなってきた。世の中にはカネで片づく話もあるが、カネでは解決しない話もある。そうしたアタリマエの話ができるようになったのが311以後の原発だ。
沖縄問題はまだそうなっていない。沖縄問題は常に、本来、カネの話ではないものが、カネの話になる。カネの話で終わらせようとする。であるのならば、日本国民の税金から沖縄振興予算なんかビタ一文も出さないこととしたらどうか。
そこから話が始まらなくては、沖縄問題の解決はほど遠い。
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