安重根
1909年、ハルビンで伊藤博文を暗殺した安重根は犯罪者であったのかと言えば、確かに犯罪者であったろう。暗殺がいいのか悪いのかで言えば、いいわけがない。日本国としては安重根は犯罪者であったと言わざるを得ない。安重根は犯罪者であった、以上、終わり、で話しが終わるのも当然であろう。
11月20日の産経新聞の産経抄では、それで話は終わらずに、例によって例の如く韓国を小馬鹿にしたことが書いてある。
「(明治)42年、統監を辞したばかりの伊藤博文は、ハルビン駅頭で安重根の凶弾に倒れた。歴史に「もし」はないが、併合に批判的だった彼が健在だったならば、その後の日韓関係はもっと違った風景になっていたはずである。そんな犯罪者をたたえる石碑をハルビン駅に建立しようという計画が、中韓両国で進んでいる。」
確かに伊藤博文は日韓併合に批判的だった。その伊藤を暗殺した韓国人はいかに愚かしいかのように書いてある。では、本当に伊藤博文の暗殺がなければ日韓併合はなかったとでも言うのであろうか。
これを歴史の理解として考える場合、あの時代の朝鮮の抗日感情を考える必要がある。
つまりは、幕末の攘夷のようなものだ。例えば、当の暗殺された側の伊藤博文もまた若い頃は英国公使館を焼き討ちなどをしたりして、犯罪者やテロリストと呼ばれてもおかしくないようなことをやってきた。安重根は犯罪者でありテロリストであったように、若い頃の伊藤博文もまた犯罪者でありテロリストであった。伊藤博文だけではない。数多くの志士たちが、みなそうであった。
その攘夷の感情と同じようなものを、朝鮮の人々も感じていたかもしれないと思う程度の想像力もないのだろうか。100年たってもこの国の韓国(朝鮮)認識は変わっていないようだ。
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