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September 07, 2013

台北で考えた

 台湾について、まだ考えている。

 司馬さんが『台湾紀行』で論じていた「台湾という国について」である。台湾という国ついて考えることは、国家とはなにかということにつながる。

 国家とはなにか。それを考えるために、台湾という島の歴史をさかのぼりたい。日本列島と同じく台湾島もまたそのはるかな太古の昔はユーラシア大陸とつながっていた。地殻の変動によりユーラシア大陸から分離され、というか大陸と台湾の間に水が流れ込み海になって、いわゆる台湾島ができた。もちろん、この島の上で人類が最初から発生したわけではない。その周囲から海を渡って台湾にやってきたのであろう。今日の台湾で、原住民、先住民、山地人と呼ばれる人々である。また、中国大陸の福建省あたりからも漢族の人々が台湾に渡り暮らしていた。

 17世紀にオランダは、インドネシアを拠点として日本と交易をするようになって台湾という島があることを知った。しかしながら、この島には首狩り族の山地人と漢族の人々が住んでいるだけで交易の相手国にはならないため、別に台湾を知ったところでどうこうすることはなかった。やがて、山地人の狩る鹿の皮や砂糖の栽培と精製・販売などが日本で商売になることがわかり、それではということでオランダは台南に交易基地を置き、福建省から中国人の移住を勧めた。ポルトガルやスペイン人も台湾に要塞などを置くようになる。この時代、台湾は誰の所有というわけではなく、ようするに、いろいろな民族が雑多に暮らしている移民の島だった。

 時に大陸中国は明が滅び清になる。福建の海賊の親玉とも言うべき鄭芝龍は、日本の平戸の大名松浦氏との商売で巨利を得た。彼は明朝の庇護を受け財を成したわけであるが、最後は明を裏切り清につく、しかし、その息子の成功は滅びゆく明を助けようと清と戦い、台湾からオランダの勢力を追い払った。鄭成功は台湾を清朝の軍と戦う拠点としたかっただけなのであるが、とにかく台湾から西洋人を追い出した。彼は、その志半ばで夭折する。異民族である清朝への漢族の明の抵抗の地であった台湾は清朝に下る。鄭成功の母親は日本人である。鄭成功の物語は後に日本で近松門左衛門が戯曲にする。国性爺合戦である。

 さらに時代が下り、19世紀の中国において鄭成功は漢民族のナショナリズムのヒーローとして脚光を浴びることになる。何度も言うが、別に鄭成功は中国人としての愛国心をもってオランダと戦い、台湾を中国の地としたわけではないのだが、そうしたものとして政治的に利用されることになる。まことにもってバカバカしい限りなのであるが。

 アジア的「版図」の概念で言えば、台湾は中国の「版図」になる。中国の「版図」になると言っても、たまたま近くの大文明が中国だったからそうであるだけであり、台湾島が例えばインド大陸の近くであればインドになるのであろう。ようするに「島」という洋上の岩っころは、そういう大ざっぱであいまいなものなのである。

 ちなみに、琉球国は中国と日本の両方の「版図」であった。この関係が変わるのは、日本が明治維新を経て大日本帝国という国になり、明治4年に日本はいち早く琉球を西洋の近代法をもって西洋式の領土として明確にしたからである。これに対して清はなにも言うことはなく、なにごともなかった。おそらく、日本がなにをしたのか、西洋の領土というものがいかなるものであるのかが、この当時の大清帝国には理解できなかったのであろう。ただし、本来の意味で言うのならば琉球は琉球の人々の地であり、日本のものでも中国のものでもない。

 19世紀末、日清戦争が日本の勝利で終わり清朝は台湾を日本に割譲する。講和条約の全権大使であった李鴻章にすれば台湾を中国の地とも思っていなかったという。李鴻章にとって、何度も言うが、洋上の岩っころ(岩っころと言うには台湾は大きすぎるけど)のことなどどうだってよかったのである。日本側も台湾をもらってどうするのかという意見が多かった。ただ、海軍が軍艦の石炭補充の基地として高尾港が欲しかったという。それではということで、台湾は大日本帝国に属することになる。それは台湾の人々が初めて体験した「国家」であっただろう。日本はこの先住民と大陸からの移民が住む島に、上から覆い被せるように大日本帝国を被せた。

 本来、帝国主義とは国内の産業が発展し生産性の向上により、国内市場だけでは商品の販売が十分すぎる程行き渡っているので、その余剰を商品を国外の市場に求めることから始まる。そして国外に市場を拡大し、さらに生産を向上させるために、国外の資源を求め、それを低コストで得る。帝国主義の原点はそうしたものである。16世紀以後のヨーロッパ諸国はそうして発展してきた。

 ところが、である。大日本帝国には、そうした高度な産業などというものはなかった。なかったのであるが、ヨーロッパ諸国の並の近代軍隊を持とうとした。これはたいへんな負担であった。その上、さらに(海軍が軍艦の石炭補充の基地として高尾が欲しかっただけなのであるが)成り行き上、台湾を植民地とし、その経営を行うことになる。これは日本にとって、さらにたいへんな負担であった。台湾の人々からは恨みを買うであろう。そうしたモロモロを思えば、帝国主義というのはコストがかり過ぎて、そこから利益を挙げることなど、大英帝国ではない日本程度の国には不可能なことであった。ただし、この当時、そう考える人はあまりいなかった。そういう時代だったとしか言いようがない。

 日本の台湾統治は決して褒められたものではなく、映画『セデック・パレ』にもあったように日本人は台湾の原住民たちや漢族の人々を侮蔑していた。この侮蔑や迫害が日本人への反乱を招き、幾度となく暴動事件や抗日運動が起きた。アジア人である日本人が同じアジア人を侮蔑するのは、欧米への劣等感と近代国家にならなければ欧米の植民地になるという強烈な恐怖感の裏返しだったと思う。もちろん、だから侮蔑して良いということはない。

 何度も言うが、日本の台湾統治は決して褒められたことばかりではない。そもそも、統治といってもされる側から見れば侵略であり支配であった。他民族の言語や文化を押しつけられて気分が良いわけがない。当然のことながら抵抗がある。統治初期の頃の台湾総督府がやったことは反乱分子を討伐することだけだったという。

 日本の台湾統治は50年に及ぶ。その行政の基礎を作ったのは第四代総督の児玉源太郎であり、児玉が民政局長として抜擢した後藤新平の二人である。日本の台湾統治は、児玉と後藤の二人から始まったと言えるだろう。植民地に対して宗主国はその国としての最も良いものを施そうとするという。日本は台湾に上下水道を施設し学校教育を整え、鉄道と郵便の制度を設け、帝国大学を設けるなどを行った。これも何度も言うが、貧乏な日本が台湾に対して精一杯のことをやったということは否定できないであろう。

 太平洋戦争での日本の敗北をもって日本の台湾統治は終わる。日本が去って行った台湾に大陸から蒋介石と国民党政府がやってきた。そして、中華民国という国家を台湾に上から覆い被せた。彼らは台湾に本来住んでいた人々を激しく虐待し管理した。このへんのことは、日本人にはわかりずらい。同じ中国人でなんでそんなことをするのかという感じであるが、そういう人々なのであるとしか言いようがない。蒋介石にとって台湾は私有物のようなものであったのだろう。ただし、これは蒋介石一人の話ではなく、そもそも中国では古来、権力者にとって国土と人民は私有物であった。中華民国の国父は孫文である。孫文は若い頃ハワイでアメリカの教育を受けたためか、そうした意識はなかった。しかし、孫文はどちらかというと文人、思想家、革命家であり、政治権力者というタイプではない。孫文の亡き後、国民党で権力を握ったのは蒋介石であり、蒋介石と中国の常として権力を私有化した。ちなみに、毛沢東も若い頃はともかくその晩年は権力を私有化し、人民を私有物のように扱った。

 今日、日本の台湾統治が台湾の人々からそれなりの評価を持って扱われているのに対して、朝鮮統治の方は恨まれるだけになっているのはなぜだろうか。台北滞在中、少し考えてみたが、よくわからない。ひとつの考えとして、日本の台湾統治は権力を私有化することが極めて少なかったことに対して、その後に来た蒋介石の国民党軍は民衆を虐待し、権力を私物化した。台湾の人々は日本が去り、これで自由な時代になったかと思っていたが、やってきたのは暴虐の限りをつくす連中であった。これなら日本人の方がまだましだったという思いがあるからという意見がある。そうした思いがあったことが否定できないだろう。しかし、そうであるのならば、朝鮮もまた日本人が去った後、アメリカ・中国が介入して朝鮮戦争になり、民族分断後、韓国は長く軍事政権だった。日本統治の頃の方がまだましだったという思いがあっても悪くはないように思うのだが、このへん単純な比較はできないのでなんとも言えない。

 台湾の人々にとって、国家とは常に他人が外からもってきて、自分たちに上から覆い被せるようなものであった。これが変わるのが、1988年に蒋介石の息子の蒋経国が死去し李登輝が総裁になってからである。李登輝は台湾で生まれ育った台湾の人、いわゆる内省人であり、大陸の中国人、いわゆる外省人ではなかった。李登輝が総裁になったということは、内省人の政権になったということであり、台湾の民主化はここから始まる。

 以上、ざっと台湾という島の上で繰り広げられてきた国家史みたいなものを考えてきた。

 台湾では、「国家」はその時その時で変わってきた。台湾の地で生きる人々からすれば、「国家」などというものは常に上から無理矢理に押しつけられるものであった。

 大陸が台湾を軍事的に占領し併呑するのではないかという危険性があるという。大陸中国が台湾を侵略することは可能であろうし、台湾にそれに太刀打ちできる軍事力はない。その防衛の役割をアメリカが担っている。だから、中華民国という強固な国家が必要なのであるという意見があるかもしれない。しかしながら、中華民国のアイデンティティーとはなんであろうか。第二次世界大戦後、大陸から蒋介石がもってきた国家は台湾に本来住んでいた人々にとってはなんの関係もないものだ。

 ただし、ないものだと言うのは台湾に昔から住んでいた内省人のみなさんで、最近大陸から来た外省人のみなさんにとってみれば祖国は大陸中国なのであろう。ひとつの「国家」で割り切れるものではない。このへん、ややこしい。

 さらに親が内省人あるいは外省人であっても、子の世代や孫の世代になると、もはやそうしたことはどうでもよくなる。台湾人のアイデンティティーはその人、その人によって幾重にも折り重なっている。ようするに、そういうものなのであろう。みんなまとめて台湾に住む人々なのだ。彼らが台湾をつくっている。重々しく、これが国家であり、オマエたちは国民なのだという観念を押しつけることは不用だ。そうしたものがなくても、人は生きていく。

 台北101やここは日本の原宿か!と思うような西門を歩くとはっきりとわかる。興味深いことに、日本、中国、韓国は国家としては不和な関係にあるが、国家などというもんにはまったく関係がない人々の暮らしでは、おのおのつながり合い「ひとつの経済圏」を作っている。台北のテレビでは大陸や韓国のドラマや香港の映画や日本のアニメが放送されている。その昔の戦前の日本人が今の台湾を見れば、それこそ大東亜共栄圏がここにあると思うだろう、かつて数多くの日本人が夢見た「アジアはひとつ」の想いは、21世紀の今、ボーダーレス経済として実現している。

 台北に行って、そう思った。

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