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September 16, 2013

オリンピックの東京開催が決まった

 オリンピックの東京開催が決まった。このオリンピック開催都市を決めるIOC総会での安倍総理のプレゼンがウソとはったりであったことは、今や周知のことだろう。「私が安全を保証する」というのははったり以外のなにものでもなく、汚染水は「完全にコントロール下にある」というのはウソ以外のなにものでもない。

 このことについて安倍総理への批判が多いようだが、オリンピックの誘致のプレゼンというものは、そうしたウソとはったりにまみれたものであることはどこの国も似たり寄ったりで、とてもではないが清く正しく美しいものではない。本当のことを言っていたら、オリンピックの誘致はできないということなのだろう。なぜ、そうまでしてオリンピックを誘致したいかと言えば、オリンピックは莫大なカネになるからである。ようするに、そういうことなのであろう。

 イスタンブール、東京、バクー、ドーハ、マドリードでの選択ということでは、現実的に考えて東京という選択はありだとは思う。オリンピックという管理された国際行事を行う上では現代の東京は極めて管理された都市であり、治安の状況や周辺国の状態において東京が最適であるという判断は間違ってはいないと思う。

 京都民というか震災を受けていない場所の人々が、自分たちの目の前の商売と震災復興のどちらを優先させるのかと言えば、まごうことなく自分たちの商売の方でろう。そもそも、東北の地に東京都民が使う原発を置くということ自体にそうした考え方がある。東京は原発が生む電気を使い、東北は原発を置くことで中央からカネを貰う。どちらも利益になるという構図である。この構図から言えば東京はウソとはったりでオリンピックを誘致し、その景気向上でカネが震災復興にも廻るであろうということなのだろう。

 それについてどうこう言おうとは思わない。そういうもんなんだなと思うだけである。

 ただ、東京は福島から離れているから安全だという言い方はないだろうとは思った。オリンピックの利権が目的なのではなくはなく震災復興のことも考えていますとは、この言葉からはとても思えない。本音といえばこれほどの本音はなく、東京は福島から離れているから安全と言って誘致に成功したわけだから、いっそのこと堂々と「東京は福島から離れているから安全です」というフレーズを東京都のオリンピック宣伝コピーとして採用したらどうか。「福島は東京から離れているから」原発を置きました。そして、今回、原発事故が起きました。でも「東京は福島から離れているから」安全です、とはっきり言えばいいではないか。

 3.11で日本は変わると言われた。ところが、この国はなにも変わらなかった。変わることはなく世の中は、3.11を忘れようとしている。東京オリンピックで景気が良くなって震災地の復興も進むと言うが、そんなことはない。結局のところ東京とそれ以外の地域の格差がさらに広がるだろう。

 オリンピックでは経済は成長しない。オリンピック景気というものはある。景気よって経済は上昇することはある。しかしながら、それはバブルようなものであり、本当の意味での経済成長にはならない。オリンピックは国の富にはならない。今の日本に必要なことは脱工業社会への移行であり、中国や韓国には作れないものが作れる経済になることだ。そうしたことはオリンピック云々とはまた別の話であり、オリンピックがあろうとなかろうと、ボーダーレス経済の動向をしっかりと把握して、やるべきことをやっていかなくてはならない。

 オリンピックが始まれば、また例によっていたる所で「がんばれニッポン」と声高に言われるだろう。その「ニッポン」とはなにか。その「ニッポン」に福島は含まれるのか。

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Comments

安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第。

>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。

不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


>東京は福島から離れているから安全だという言い方はないだろうとは思った

↑わたしもそう感じました。
「東京は安全です」という言葉を聞いて、「じゃ、福島は?」と聞き返したくなりました。


>今の日本に必要なことは脱工業社会への移行であり、中国や韓国には作れないものが作れる経済になることだ。

↑脱工業が本当に必要なのでしょうか?
脱工業して、アメリカみたいにお金でお金を生む社会に?
わたしはやっぱり技術と工業の日本でありたいと思うんですよね。

>結局のところ東京とそれ以外の地域の格差がさらに広がるだろう。

同感です。
過疎化が進んでしまう集落が、また生まれることになるのでしょうね。
人口減社会だから、仕方のないことなのかな。

nogaさん、

最近、台湾に行ってきました。台北にある国立台湾博物館へ行きました。館内の展示物をつらつら眺めながら、最上階に行くと、その通路の一画にコーナーが設けられていて、なんだろうと近づいてみると、二人の日本人の像がそこにありました。児玉源太郎と後藤新平です。そこで初めて僕はこの博物館の建物は日本統治時代、児玉総督後藤民政長官記念館として建てられたものであることを知りました。日本の統治が終わって長い年月がたつのに、この二人、第4代台湾総督児玉源太郎と後藤新平民政長官は今でも台湾の地で称えられていることを知って、ちょっと涙がでました。

日本の台湾統治は、決して良かったことばかりだったとは言えません。日本人は台湾で悪いこと、間違ったことを数多く行いました。しかしながら、その一方で日本人は台湾の人々になにかを伝えたことは確かのようです。日本人であるということはどういうことなのかを、僕は台湾に行って学んだような気がします。

悪い日本人もたくさんいました。しかしながら、台湾の人々のために、アジアの人々のために働いた日本人も数多くいました。僕もまた彼らと同じ日本人であるということ。そのことを忘れないでいようと思います。

ととさん、

五輪誘致はどこの都市も都市のエゴがでます。でも、これほどのエゴというか、本音と言えば本音はないだろうと思います。昭和の東京五輪の頃の日本人なら、こんなことは言わなかったろうと思います。今回の五輪誘致は、なんか今の日本人の劣化を見せつけられたような感じです。

アメリカのような金融資本主義の脱工業化は日本には無理です。技術と工業でやっていくことは同じです。ただし、数多くの人々の就労の場としての製造業は、コスト的に日本ではもうやっていくことができないと思います。このビジネスモデルでは、中国やタイやベトナムにはかないません。かつてアメリカも日本が台頭してきたため大量雇用の受け皿としての製造業はやめざる得なくなりました。今度は日本の番なのです。

これからは製造業であっても知識集約型・技術集約型にならざる得なくなります。ある部分は日本製で、ある部分は台湾製、ある部分はシンガポール製などいったグローバルな企業連携でモノ作りをしていくことになります。こうした産業では日本国内での大量の雇用は不可能です。少子化による人口の低下とうまく重なってくれれば良いと思います。そうした新しい状況に合った「正しい」産業政策が必要です。アベノミクスとやらではとうてい無理でしょう。なにしろ、1960年代的なオリンピックバブルで日本は再生するとか言っている人たちですから。

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