台北に行ってきた
8月の19日から25日にかけての一週間ばかり夏休みをとって、台湾の台北に行ってきた。
台湾にはこれまで台中に2度訪れたことがある。どれも所用の団体での訪問であって、自分個人で自由に街を歩き回ることはできなかった。そこでいつかは、一人でふらっと台湾を旅することをしてみたいとかねてから思っていた。
本当は台北だけでなく、電車に乗ってできれば台南まで旅をする予定であった。ところがなんと台湾には台風が直撃していて、台北に着いたその翌日から連日ほとんど雨であった。それに湿度が高く蒸し暑い。台北に着いた時、深夜の桃園空港に着き、入国手続きを経て空港を出ようと出口の自動ドアが開いた時、一歩外へ出た私のメガネがむわっと曇った。これがいわばマイ・ファースト台北の印象だった。とにかく蒸し暑く、異常に暑い東京を出て、夏休みは南の島でのんびり過ごそうと思っていたのであるが、そうした人の想いなど大自然にはなんの意味もないのであった。自然は人間の思い通りにはならない。
ようするに、そういう天候の時期なのであろう。雨なので旧所名跡に出歩くことができず、地下鉄やバスに乗って建屋の中、つまり博物館やショッピングセンターへ行き、歩き回った。歩き疲れたらカフェーでぐったりとし、夜は夜市に行きたかったが当然雨でやっておらず、つまりは夜もカフェーで過ごしていた。そして早めにホテルに戻り、シャワーを浴びてテレビを見て早々に寝るというまことに健全・健康な生活をしていた。暴風雨は連日台湾全土を覆い、とてもではないがのんびりと各駅停車の旅行に出るわけにもいかず、そういうわけで台北で一週間、ほぼそうしていた。
夜、カフェーやホテルの部屋では本を読んでいた。日本を出る時、台湾で読もうと司馬遼太郎の『街道をゆく・台湾紀行』の文庫本を買って持っていった。この本は読んだことはあったが、もうそうとう前のことなのでずいぶん内容を忘れている。今回、改めて台湾でゆっくり読んでみようと思ったのだ。
実際の所、これまで外国へ旅に出ると、旅先で読もうと日本から何冊もの本を持って行くが、まず読まずに帰ってくる。外国旅行では、本を読むという気力・体力の余裕がなくなるのである。もう一つの理由は、英語圏の国に行くと、英語の新聞を読み、英語の本を読むので日本語の本をわざわざ読もうという気にならない。
ところが、今回の台湾旅行は、それなりの時間的な余裕があったことと、自分の中国語の能力では中文の新聞や本などとても読めず、そういうわけで台北のカフェーで一人日本語の本を読んでいた。
『台湾紀行』を読むと、司馬さんは台湾を歩きながら「国家とはなにか」を考えたという。自分はこの雨ばかりで暑くて蒸す天気のもとでそんな小難しいことを考えることはなく、司馬さんの本をゆっくりと読みながら、ただ漠然と台湾と日本のことを考えていた。
日本で思う台湾は、大陸中国と「同じ」と思ってしまう。しかしながら、実際の台湾の地で思うと、当たり前のことであるが台湾は台湾であり、台湾の大多数の人々は、もちろん民族的、歴史的、文化的に中国人であるが台湾人である。大陸の中国とは違う。この当たり前のことが、日本にいると実感として感じることができない。
今の台湾の若者たちは、当然のことながら日本の統治時代を知らない。その後の大陸からの国民党による圧政も知らない。台湾の民主化は李登輝が総統になった1988年から始まる。つまり、80年代に生まれた世代以後は物心ついた時から民主主義の社会だった。80年代から国際社会は情報と経済のグローバル化が進展し、台湾もまたグローバル経済により大きく発展した。80年代以後、日本は音楽、アニメ、漫画、映画といったポップカルチャーを爆発的に生み出していくが、それらに憧れ、それらを積極的に吸収し学んでいったのが80年代以後の台湾の若い世代だった。
かつて半世紀以上前、台湾を植民地とした日本は台湾に日本の良きものを伝えようとし、それはそれで台湾の人々に大きな影響は与えたが、なにぶんそれは国家の政策であり、昭和になると大アジア主義や大東亜共栄圏というイデオロギーのもとでの日本の文物の流入であった。
ところが20世紀末に起きた出来事は、日本は日本で国策でもなんでもなく各人各様に好きなようなやっていた音楽やアニメや漫画や映画が、はるかな南方の台湾の人々に好まれたということだ。台湾の人々は長い時を経て再び「日本」と対面し「日本」と共にある。全地球社会がボーダーレス・ワールドであることによりそうしたことになった。戦前のような日本の日本による日本のための大アジア主義とか大東亜共栄圏とかいったものがなくても、国境を越えて経済が発展していけばアジアは自然に「ひとつ」になっていく。
台北にある台湾で一番大きな書店であるという誠品書店へ行った。行ってみて驚いた。本棚には英語、中国語、日本語の本がまざって並べられているのである。ちなみに以前行った北京の王府井の大きな書店には、当然のことながら中国語の本しかなかった。香港の本屋さんには中国語と英語の本があったよう思う。英語と中国語と日本語の本がまじって置いてある書店というのは台湾に来て始めて見た。台湾では大学を出た人は英語と中国語とそれなりの日本語ができるというのは当然になっているのだろう。ショッピングセンターの台北101の近くにある誠品書店は文学系や芸術系の本の品揃えが良く、本棚のデザインや売り場の雰囲気が洗練されていた。あえて言えば、歴史学や社会科学系の本の品揃えはそれほど良くはなかった。そっち方面は弱いのであろう。
台北市内は、MRTという地下鉄・電車が走っている。これに乗ってみると、スマホやタブレット端末を見ている人が多い。ガラケーを持っている人は一人もいなかった。そうしたスマホの画面を、横からちらっと覗いてみると動画を見ていたりLINEをやっていたりしている。台北は電車の中でもネットが途切れることがない。こうした光景は東京と同じだ。台湾でもLINEやWeChatなどといったメッセンジャーアプリのユーザは多い。市内には公衆のWi-Fiスポットが多い。
司馬さんが台湾で「国家とはなにか」を考え、『台湾紀行』を書いたのは1990年代前半である。今の台湾はそれから20年近い歳月を経た。日本統治時代の台湾や国民党圧政の台湾ではなく、今、新しい台湾が生まれている。
台湾は正確には台湾省という呼び名になる。大陸の中華人民共和国がそう呼んでいるのではなく、台湾の中華民国がそう呼んでいる。それは中華民国にとって自己こそが正当な中国の国家であり、中国の国家とは台湾も含めた中国大陸であり、たまたま「台湾省」という場所にいま中華民国はあるだけにすぎないという意思を示している。
しかしながら、今の台湾の若者たちにはそうした重さがない。台湾は台湾であって、そうしたことはある意味どうでも良いことなのだろう。それは司馬さんが見ることがなかったアフター『街道をゆく・台湾紀行』の台湾だった。
その台湾を歩いてきた。
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