参議院選挙
参院選の論議がいまひとつ盛り上がっていない。盛り上がっていないのは、自民党か、そうでないかの選択にしかなっていないからだ。そして、自民党かそうでないか、そうでないかの選択ならば、自民圧勝だろうから選択の余地なしで話が終わる。そもそも投票するという投票率がかなり低くなるだろうと言われている。投票によって選挙の結果が変わるのならばともかく、自民圧勝ならば投票するまでもないということなのであろう。
しかしながら、仮に自民党を支持する人であったとしても、政権は自民党であるのだから、参院は別に自民党が多数政党である必要はない。
本来、この選挙で問われていることは(実際は「この」選挙で問われているだけではなく、「これまでの」選挙でも問われていたことは)、原発・憲法・TPP・消費税・沖縄(もしくは在日米軍)・震災復興・社会保障であるはずだ。これらのモノゴトはかなり大きな議題になる。かなり大きな議題であるのだが、「かなり大きな議題である」ことが広く認識されていない。
この国では、政治がまったく脆弱になっていてまともに機能していない。日本の政治は戦後の経済復興の枠組みとして作られ、その枠組みの中ではとりあえず滞りなく機能してきた。滞りなく機能してきたために国民は政治を考えることなく、すべて「お上」「お役人」に任せてきた。ところが、戦後復興が終わり、経済大国になった頃から、この枠組みでは政治も経済も機能しなくなってきた。だからこそ、枠組みを変えることをしてこなくてはならなかったわけであるが、これまで政治改革とか経済改革とか何度も何度も言ってきて、さほど変わることなく今に至っている。
政治に対する無関心というのは、無関心であっても生活ができているからである。組織票、業界票の有権者であれば生活に即関わってくるので関心を持たざる得ないが、そうした背景がない有権者、無党者は政治は無関心であってもまったく困らない。しかしながら、原発や憲法や社会保証のことになると、そうした無党者であっても関わってくる。ところが、原発や憲法や社会保証が選挙で争点として出てこない。また、それらが争点になったとしても自民党とその他の政党の多くが明確な違いを打ち出していない。
また、日本の選挙では政策論争ではなく、顔の売り合いになる。その理由の一つとして、党議拘束があり個人として政治家の公約や考えがどんなものであって党議に従うことになるので、そうしたものはどうでもよい状況になっている。こうなると論点での対立を有権者にアピールするよりも、票をカネで買うような組織票、業界票を確保する方が良いということになる。しかし、そうであったのならば、自民党から民主党の政権が交代したことはなぜ起きたのかということになる。ただし、もはや民主党に政権担当能力はなしと思われている。民主党は、自民党ではない政党であり続けるべきであった。
今回、アベノミクスとやらで景気が良くなったというのならば、景気以外のことについて、各政党はなにを言っているのかを見てはどうだろうか。景気以外のことについて判断をして投票したらどうだろうか。今、確実にわかっていることがある。参院選後、これからこの国は、少なくとも社会保障と財政問題、そして日米関係と中国問題にはいやでも直面せざる得なくなる。これをどうするのかということが選挙の争点になる時がやがて来る。
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