なぜ日本は何度も非難されるのか
いわゆる慰安婦についての日本維新の会の橋下共同代表の発言について、また考えたい。
橋下氏は当初は軍による慰安婦の利用は仕方がない、当然だ的な発言をしていたが、諸外国からの反発の多さに驚いたのか、27日の日本外国特派員協会で行った記者会見では、前言を翻し、慰安婦の利用を容認したことは一度もないと述べ、かつて日本兵が女性の人権を蹂躙したことを痛切に反省し、謝罪しなければならないと述べた。この日本外国特派員協会での発言は、前回の発言や氏がTwitterでツイートしていたこととは明らかに矛盾している。
しかしながら、ここで考えたいのは橋下氏の発言の豹変ではなく、橋下氏の先の発言は日本国内ではそれなりの支持があったということである。橋下氏の発言について、どこが間違っているのかさっぱりわからないと思った人々が少なからずいるということだ。
今の橋下氏は当初の見解を改めて、河野談話を否定するつもりはなく、日本軍の行為について謝罪をしなければならないと言っているので、橋下発言を支持した右派の人々を裏切ったと言えるだろう。安倍首相もそうであったように、橋下氏もまた国際世論のバッシングをかわすために、国内の右派からの支持を切り捨てて、自己の保身をはかろうとしている。
このように国内右派の人々は常に政治に裏切られ、国際世論を前にすると切り捨てられる。しかし、切り捨てられるといっても、くだんの政治家も含めて、その本心はなんら変わることはない。なぜ日本だけが不当にも非難されるのか。自分たちは悪くはない、という思いはフラストレーションのように日本人の心理にあり、それは時折表面化して政治家の本音発言になり、またそれを中国・韓国が、時にはアメリカやイギリスのリベラルメディアが糾弾する。そのバッシングで、またもや右派の人々の想いは切り捨てられ、そしてまたその騒動のほとぼりが冷めたころ政治家の本音発言がぽろりと出て、また中国・韓国が騒ぎ・・・・この繰り返しなのである。このサイクルというか、この構造がある限り、この問題は終わることはない。
日本国国家として慰安婦の強制連行があったのかどうか、ということについて言えば、この問いそのものが間違っている。例えば、ベトナム戦争でのソンミ村虐殺事件やイラク戦争でのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待を、アメリカ合衆国政府や軍の中央が命じて行ったのかといえば、そんなことはない。むしろ、そうした指示や命令があったわけでもないのに、兵士たちはそれを行ったというところに深い問題があるのであるが、今ここではそれを論じない。
では日本国国家として慰安婦の強制連行があるはずもないとして、だから強制連行の出来事がなかったということを言っているわけでもない。つまり、国家として慰安婦の強制連行があったのかどうかは何の意味もない不毛な問いだ。国家による強制連行の有る無しという問題の立て方そのものが間違っているのであり、間違った問題に正しい答えなどあるはずもない。
河野談話には、国が強制連行をしたとは書いていない。宮沢内閣の河野洋平内閣官房長官が発表したこの談話は、今読んでみても見事な内容であり、なにが間違っているのかさっぱりわからない。一般的に河野談話で日本政府が日本軍による慰安婦の強制連行を認めたということになっているようだが、この理解はおかしい。
むしろ、今、必要なことは河野談話の見直しとや否定ではなく、河野談話をもっと伝えることだ。中国・韓国は日本は謝罪していないと何度も言う。この、何度も言う、ということについては、中国・韓国側の自由と言えば自由なので、100回でも1000回でも言ってきてもかまわない。その都度、日本側は河野談話を電子メールで1万通ぐらい送るのがよいのではないかと思う。河野談話は、もっともっと、繰り返し繰り返し、何度も何度も中国・韓国に伝えられなくてならない。
何度も強調して申し訳ないが、なぜ日本だけが不当にも非難されるのか。自分たちは悪くはない、という鬱屈たる想いを持っている人々は少なくない。こうした人々を、かつて日本軍が行った残虐行為を認めず、謝罪するつもりがまったくない人々と決めつけることはたやすい。しかし、中国や韓国が、あるいはアメリカのニューヨーク・タイムズやイギリスのフィナンシャル・タイムズがなんと言おうとも、こう思う人々はいる。
戦後半世紀以上、日本だけが、今だ世界から過去の日本軍の蛮行を咎められるのはなぜなのか。中国・韓国側の言う日本軍の非道行為だけが世界で通り、なぜ日本側の意見を聞き、真実を理解しようとしないのだろうか、と彼らは思っている。こうした人々は、石原前都知事や橋下市長を支持し、彼らの発言はまったく正しいものと感じている。こう思う人々はいる。
なぜ日本だけが悪者になるのか。なぜかと言えば、先日ここで書いたように、日本は第二次世界大戦の敗戦国だからである。橋下発言で、唯一、私がその通りだなと思ったのは、橋下氏が言う「フェアではない」という箇所だ。これはその通りであって、国際社会はフェアではない。今の、というか20世紀後半から今日に至る国際社会は、良くも悪くも、第二次世界大戦の戦勝国によって作られた世界である。
例えば、先日、ここで書いたオリバー・ストーンのアメリカ史の番組で述べられた、第二次世界大戦は英米による正義の戦争ではなかった、原爆投下にはなんの正当性はなかった、ソ連の脅威はトルーマンがつくった虚像だった等々のことは事実そうなのであろう。しかしながら、事実そうであったからとして、世の多くの人々がそれを受け入れるかどうかは別である。オリバー・ストーンとピーター・カズニックの現代アメリカ史は、アメリカのメインの歴史認識には決してならない。だからこそ、この番組は日本語版タイトルでは「もうひとつのアメリカ史」であり、原語タイトルでは"The Untold History of the United States"(語られざるアメリカ史)なのである。
一般的な見方で言えば、オリバー・ストーンとピーター・カズニックの歴史観は、アメリカ歴史学の左派になる。左派の歴史学者は、例えば北米大陸の先住民には独自の優れた文化と価値観があり、それを強制移住させ破壊し虐殺したのは合衆国政府であったことを主張しているが、当然のことながら、こうした見方はアメリカ史のスタンダードにはならない。
1995年、アメリカの国立スミソニアン航空宇宙博物館で、第二次世界大戦での広島・長崎への原爆投下の展示会を開催する企画があった。しかしながら、日本人が受けた被爆の実態を正しく伝えようとする博物館に対して国内で批判が高まり、議会や退役軍人たちの圧力で、開幕直前にこの原爆展は中止に追い込まれた。
このスミソニアン博物館での原爆展の企画に参加し、中止になったことに強く抗議したのがアメリカン大学で米ソ冷戦の歴史を専門とする歴史学教授のピーター・カズニックであった。映画監督のオリバー・ストーンは後にこの出来事を知り、政府は原爆投下の正当性をかたくなに保持しようとするのはなぜなのかという疑問から、ピーター・カズニックと一緒にアメリカ現代史のドキュメンタリー番組を作ることにした。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』はこうして誕生した。逆から言えば、いわゆる「正しい歴史認識」はこれほど世の中には通らない。原爆投下は間違っていたということになると、第二次世界大戦後の国際社会の秩序や歴史認識が崩れ去る。
20世紀後半以後、第二次世界大戦の戦勝国によって作られたこの世界は強固で盤石なものとしてある。ちなみに、中国も第二次世界大戦の戦勝国ということになっている。中国から見ても、日本は敗戦国なのだ。
同じ敗戦国のドイツは、戦争責任をナチスにすべて負わせて断罪することで、戦後の国際社会でのイメージを回復した。ドイツは再軍備をし、アメリカに依存しない独立した安全保障とEUでの主導的な地位を築いていった。ドイツの米軍駐留の金額負担は、日本よりはるかに低い。
その一方、日本は天皇や軍部に責任をかぶせることをしなかった。今の現代日本は、GHQによる占領政策によって作られた。日米安保は、今も継続しているアメリカの占領政策である。21世紀の世界と日本は、今だ20世紀の第二次世界大戦の枠の中にある。
日本自身もまた戦後半世紀以上、敗戦国であることのネガティブイメージを改めようとはせず、むしろそうした世界観や国家観や歴史認識とかいったものはどうでもよいものとして、ひたすら経済利益のための外交関係を求めてきた。なぜ日本だけが不当にも非難されるのか。自分たちは悪くはない、という鬱屈たる想いを持った人々が少なからずいるということの理由はここにある。そうした人々の思いを、どうでもよいこととしてきたのが戦後日本だった。それが今や、経済では中国に追い抜かれ、歴史認識で中国や韓国からだけではなく世界中からバッシングを受ける国になってしまった。
これをひっくり返すには、もう一度戦争をやって今度は勝つしかない。しかし、そういうわけにもいかない。であるのなら、オマエたちもやっただろ式のひらきなおりでは、とても英米には対抗できない。英米を超える理念と倫理を掲げ、全人類を相手として訴えかけることをやっていかないと、日本は敵国であり敗戦国であるというイメージを消し去ることはできない。
英米が、というか、アメリカが作ったこの国際社会はフェアではない。そのフェアではないことを、フェアではないではないかと憤ってもなにもならない。このフェアではないことを受けとめ、直視していくしかない。そして、今や、ここに中国という、さらに(さらにだ!)フェアではないものが参入してきた。ますます、この世界はフェアではなくなる。中国や韓国が言っていることは、いわば枝葉末節なことであって、その背後には第二次世界大戦の戦勝国が作ったこの国際社会の大きな歴史認識がある。問わなくてはならないのは、これなのである。
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