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May 02, 2013

『セデック・バレ』を観た

 台湾映画『セデック・バレ』を観た。

 これは2011年に公開された台湾映画で、1930年の日本統治下の台湾で起こった霧社事件と呼ばれる先住民セデック族による抗日暴動をセデック族の視点から描いた映画だ。この映画のことは、台湾で公開されていた時から知っていたが、日本での公開はまだされていなかったし、そもそもこの映画が日本で公開するのかどうかもわからなかった。それが、去年あたりに来年の春頃に日本で公開することが決まったことを知り楽しみに待っていた。

 映画は二部構成で、総時間4時間半の長時間におよぶ超大作なのであるが、これが見てみると内容の濃さにあっという間に時間がたつ感じだった。そう長い映画のように感じられない。

 第一部は、日清戦争での日本の勝利により、台湾の主権が清国から日本に委譲されたことにより、日本による台湾統治が始まり、台湾の先住民が住む場所にも日本人の植民が行われ、先住民のセデック族もまた日本人の開墾の労働者として扱われることになることから始まる。

 ちなみに、セデック族が話している言葉は、中国語ではなくセデック語だ。こうしたことは最近のアメリカ映画ではめずらしくないが、中国映画で使う原語は普通語が通常であり、香港映画の場合は普通語版と広東語版がある。台湾の使用言語は基本は普通語(北京語)(ただし、標準の普通語よりかなり訛りがある)だ。もちろん、今の時代ではどの民族も普通語を話すことはおかしくないが、この時代にセデック族が普通語を話すわけがない。こうした歴史物の場合、中国映画はさほど言語には配慮せず、例えば満州族も普通語を話すものなのであるが、その点、この映画は先住民は先住民の言葉で話す。漢人は普通語だし、日本人は日本語だ。ただし、日本人役の役者が日本人でない者も数多くいて、それらの人々が話す日本語は発音が少しおかしいが、十分許容できる程度だ。

 さて、日本による台湾統治である。

 台湾統治の目的は、当然のことながら台湾の資源と労働力を日本のために利用することであり、先住民に対しては同化政策を行った。日本人は先住民が住む地域に町を作り、学校を作り、彼らの子供たちも学校へ通わせた。成績が良い子供には日本本土の学校への進学もでき、卒業後は台湾での警察官になる者もいた。つまりは、日本は台湾の先住民に文明を教え、これに従う限りにおいて、とりあえずは日本人と同じ境遇を与えるというものだった。もちろん、それらはタテマエであって実際は日本人は彼らを差別していたが、少なくともタテマエは「日本人と同じに扱う」ということだった。ただし、日本人と同じ義務は課せられたが権利は与えられなかった。国家神道を強制し、氏名を日本風に改名させた。先住民固有の文化や伝統は否定された。

 こうしてみると、日本の侵略はまごうことなき悪行であったということになる。しかし、日本側にも言い分はある。

 明治日本の国是は、富国強兵であり文明開化である。19世紀の欧米諸国よるアジア侵略を目の当たりに見た日本は、大きな危機感と恐怖を抱き、それまで長い間、小さな農業国として穏やかに暮らしていた自国を工業力と軍事力を持つ近代国家に変えようとした。この変えることは、そう簡単に変えられたわけではなく、国内は改革を是とする勢力と否とする勢力に二分され、同じ民族どおしで殺しあう凄惨な状態になった。改革を是とする勢力は否とする勢力を滅ぼし、一応の安定をみたが、それでもその後何度も旧勢力の反乱は各地で勃発し、明治10年にその最大の反乱が鹿児島で起こり、それを鎮圧することでようやく国内を富国強兵・文明開化の路線にまとめることができた。

 そうした近代化への辛酸を経てきた日本人から見ると、この時代の中国人や朝鮮人や台湾の先住民たちは、唾棄すべきアジアの劣等民に見えたことであろう。こんなことだから、(自分たち日本人も、かつてそうなりかかったように)欧米列強に侮られ、支配されるのである、と。

 もちろん仮にそれが事実であったとしても、そう「見られる」側からすればおせっかいであり、だからといって「侵略される」ことの正当性があるわけでもなく、日本人のやることは、台湾側からすれば、いわばありがた迷惑以外のなにものでなかった。

 しかしながら、とにかくなにがなんでも欧米諸国と同列になることこそ正義であり、他のアジア諸国もまたそうすることが正しいことであるとする当時の日本人にはそうした考えはなかった。明治日本の文明開化のイデオロギーには、欧米文化に対する劣等感があったことは否定できない。自分たちの過去の文化も含めて、近代以前や近代文明以外の文化・文明もまた高度で優れたものであった、ということを人類が知るのは20世紀後半になってからである。

 セデック族は、これまでと同じように生きていきたいと思った。日本人の中でも、これまで通りの生き方をしていきたと思った人々は数多くいた。先祖から受け継ぎ、父親から学んだこと自分も行い、自分の子の世代に伝えていくことをしたいと思った人々はたくさんいた。しかし、そう思った日本人たちは結局、反乱蜂起をせざる得なかった。そうした日本人が、上野や会津や鹿児島で滅ぼされたように、セデック族もまた滅ぼされる運命にあったのだろう。滅ぼされる運命にあるということは、セデック族たちもよくわかっており、それでもやらざる得なかった。自分たちの狩場を守り、戦って死ぬことを価値とする文化に対して、近代日本はこれを排除せざる得なかったであろう。

 第二部では、蜂起したセデック族とこれを鎮圧する日本軍との壮絶な戦闘と、当初はゲリラ戦で優位に立ちながらも、航空機や重火器により次第に劣勢になり、追い詰められ、自害していく話だ。実際の霧社事件では、蜂起したセデック族が殺害した日本人は140人程度だったのであるが、ここでこの映画はアクション・エンターテイメント映画になる。数多くの日本人が薙ぎ倒され、撃たれまくる。なにしろ、中隊規模の日本の歩兵部隊がほとんど全滅するシーンもある。この、とにかく日本人を片っ端から叩きのめすのは中華映画でよくあるシーンであり、その意味でこの映画は商業映画としてもよく計算されて作られている。

 霧社事件は、国民党政府の抗日教育において高く評価され、蜂起したセデック族は抗日の英雄とされた。しかし、この映画にはそうしたものがない。『セデック・バレ』は、この映画として扱うことが難しい出来事を題材として、よくぞ作った映画だと思う。台湾のエスニシティーは複雑で、台湾には先住民以外にはいわゆる「中国人」がいるが、「中国人」にも本省人、外省人、客家等々がいて、おのおの異なるグループを作っている。そうした中で、先住民を扱ったこの映画は、だからといって先住民のナショナリズムを煽っているわけでなく、日本による台湾統治を糾弾しているわけではない。このへんの作り方が上手い。最後のシーンでの日本軍の指揮官が「日本ではもうなくなってしまった武士道が・・」と言う唐突で、とって付けたようなシーンは日本側への配慮としか思えない。このへんが上手い。

 こうした配慮がところどころにあることで、この映画は観る側に反日・抗日感情を持たせることなく、いわば「あの時代はこうだったね」で受け入れることができる歴史についての健全な距離感がある。逆から言えば、もう遠い昔の出来事である日本の台湾統治や霧社事件を、今、その良し悪しを挙げつらってなんの意味もないということをこの映画は述べているのだと思う。。必要なのは、こうした出来事があったということを知るということなのだろうと思う。それも今の台湾の人々だけではなく、今の日本の人々もだ。

 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』が日本近代史のいわば表であるのならば、台湾映画『セデック・バレ』は裏になる。坂の上の雲を見上げて歩いていた少年の国は、台湾からみるとこうした国だったということなのだろう。表と裏、このどちらも正しい。この表と裏の双方を観なくては、日本の近代は理解できない。

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