「主権回復の日」式典について
28日の政府主催で初めて行われた「主権回復の日」式典について、本土は沖縄を切り捨てて主権回復をした、対米従属の日の始まりという声がある。
しかしながら、1952年(昭和27年)のこの時代、沖縄をアメリカ合衆国の信託統治領とすることに同意せざるえなかったし、対米従属云々というのも他にやりようがなかった。そもそも、日本はアメリカに占領されていた。その占領統治下から、これもまたアメリカの政策によって「主権回復」になった。
この昭和27年の講和会議及び「日本国との平和条約」と「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」こそ、その後、半世紀以上にわたり、今日おいてもなおも日本国のあり方を規定している枠になっている意味において、大変重要なものである。実際のところ、この講和会議について、もっと知られていいと思うし、解説本や研究書がもっと数多く出てもおかしくない。今の我々は、昭和20年から30年代にかけての約20年間の現代史をもっと詳しく知る必要がある。
確かに言えることは、後にこの国と世界がこうした姿になることは、あの時代、誰一人としてわからなかったということだ。戦後日本は、好きこのんで沖縄をアメリカに渡したわけではなく、対米従属をやってきたわけではない。
結果としてそうなった、ということは言える。しかし、「結果としてそうなった」わけであり、半世紀前の人々は意図してこうしたわけではない。
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