米国は日本の防衛負担ができなくなった
3月23日の産経新聞でのワシントン在住の古森義久氏の記事「緯度経度」は大変興味深かった。ワシントンの大手シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ政策研究所の日本部長マイケル・オースリン氏がある下院の共和党議員から聞いた話しとして古森氏にこう語ったという。
「米国のこの財政緊縮の時代に他国の防衛を60年以上も引き受けるというのは無理だから、日本は自国の防衛には自国で責任を持つべきだ、というのだ」
古森氏は日米安保の強化論者であるオースリン氏からこのような言葉を聞くことを驚いていたと書いている。そして、そういえばと古森氏は、最近、ニューヨークタイムズにあった寄稿論文「カムホーム、アメリカ」のことを思い出したという。
私もニューヨーク・タイムズのサイトでこの寄稿論文を読んでみた。
イラクとアフガンから米軍を撤退をするのならば、いっそのことドイツと日本からも撤退したらどうだろうかと、サンディエゴ州立大学の歴史学者ホフマン教授は述べている。
ホフマン教授が述べていることをカンタンに言うとこうだ。第二次世界大戦以後、トルーマン・ドクトリンによりアメリカは西側諸国を支援し、世界の警察官としてパックス・アメリカーナの世界を作ってきた。しかしながら、冷戦は終わり、トルーマン・ドクトリンも終わりを告げた。しかるに、なぜドイツや日本に米軍が今でも駐留しているのか。アメリカがドイツと日本に必要以上に関わっているから、ドイツも日本も自分で自分の役割を果たそうとしてないのだ。アメリカが手を引けば、彼らは自分で立ち上がっていくだろう。
なぜ米軍はドイツや日本から撤退するのか。その理由は言うまでもなく予算の強制削減によるものである。アメリカにはもはや日本の防衛を負担するゆとりはない。
そして、古森氏はこう書いている。
「中国の沖縄県・尖閣諸島への軍事威嚇をともなう攻撃や北朝鮮の核とミサイルの脅威の切迫で日本側でも国防の意識は高まっているようにみえる。しかし、主体はあくまでも日米同盟、つまり米国の軍事力への依存だろう。それが戦後の日本のあり方そのものなのだ。」
この「つまり米国の軍事力への依存だろう。それが戦後の日本のあり方そのものなのだ」の認識にそもそもの間違いがある。冷戦は終わり、トルーマン・ドクトリンは終わった。アメリカは財政問題が重くのし掛かり、軍事予算は強制的に削減されるようになった。古森氏が「「つまり米国の軍事力への依存だろう。それが戦後の日本のあり方そのものなのだ」といくら述べても、当のアメリカには日本から依存される余裕はもうないのだ。
だからこそ、アメリカ側が日本の防衛負担を見直そうとしているように、日本側も戦後レジームそのものの従来の日米同盟からの脱却が必要なのである。
古森氏は最後にヘリテージ財団のアジア専門家ブルース・クリングナー氏の言葉で締めくくっている。オバマ政権の「アジアへの旋回」についてクリングナー氏はこう述べたという。「このアジア旋回策は言葉だけで、米軍の実際の強化措置はなにも取られていない」と。
つまり、米軍は日米同盟の強化をしようという意思もなければ、仮にやりたいとしてもそんなカネはどこにもないということなのだ。これをもっても、安倍政権で日米同盟の強化されたとか言っている人々はオメデタイ人々であることがよくわかるだろう。
アメリカン・エンタープライズ政策研究所やヘリテージ財団ですら、こうしたことを言い始めたということに注目したい。こうした観点から見れば、アーミテージらが言っているようなことはタワゴトであることがよくわかるだろう。
古森氏は「日本の防衛をもう負担するなという声が出てきたことは知っておくべきであろう」と書いているが、こんなことは今に始まったことはではなく、アメリカ国内ではずいぶん前から言われてきている。対米従属筆頭の新聞である産経新聞の、対米従属筆頭の記者である古森義久氏ですら、ようやくこのことを無視できなくなったのだろう。
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