なぜ日米同盟の強化は必要ないのか
今の時代で日米同盟の強化など必要はまったくない。なぜそうなのか。今の世の中、だれもかれもが日米同盟の強化が必要、日米共同で中国に対抗しなくてはならない等々、連日メディアで言われている。しかし、本当にそうなのだろうか。
日米安保とはいかなるものなのであったかを考えてみたい。太平洋戦争は日本の無条件降伏で終わり、日本の軍備は解体された。やがて、アメリカの占領が終わり、日本が独立国家に戻る時に、時の吉田茂政権は日本は今後は軍隊を持つことはしないとした。米ソ冷戦が始まった時代である。日本の隣には日本海を隔てて、中国とソ連がいる。中国はともかくとして、ソ連がいつ日本に侵略してくるとも限らない(しかし、今考えるとソ連が日本を侵略してくるかもしれないというのもフィクションだったよな)。では、日本の防衛はどうするのか。
そこで、吉田茂が考えたことは、日本に占領していたアメリカ軍が帰ることなく、そのまま日本の駐留し続け、もし外国が日本に侵略してきた場合はこれを防いでもらうということだ。アメリカ側も、日本に米軍基地を置き極東の軍事戦略の基地にできるのは有利である。ここに日米安全保障条約が生まれた。
かくて戦後半世紀以上にわたって、日本は軍備に莫大な予算をかけることなく、アメリカの核の傘の下で平和に経済成長路線を走り続けて生きた。米ソ冷戦時代はこれでよかった。そして、20世紀最後の10年が始まる時にソ連が崩壊し、米ソ冷戦は終わった。冷戦が終わったということで、アメリカは過剰な軍備を持つことはやめ、世界は大国アメリカの一極集中ではなく、多極的な数多くの国々の共同管理になると思われた。
ところが、そうはならなかった。
アメリカの軍事産業は、国の防衛予算で利益を得ている。軍隊は規模が削減されることは、兵士や士官の職やポストがなくなるということだ。つまり、軍産複合体としては軍事水準が下がることや軍備縮小になっては困るのである。そこで、ソ連がなくなっても我々の敵は存在するとした。ソ連がいなくなっても、国際社会には平和を脅かす勢力が存在する、特に中近東の紛争地帯が危ない、テロリストもいる、それらに対処しなくてはならない、だから軍事は必要なのだという論理だ。
実際のところ、ソ連がいなくなっても、それらの平和を脅かす勢力は存在しているので、これはそれなりの正当性はある。しかしながら、では、なにが平和を脅かす勢力なのか、その判断は誰がするのかということになった時、アメリカはアメリカ一国の判断でそれ判断するとした。危機において、アメリカは単独で行動する。国連とか国際憲章とかいうものに縛られることはない。カントの「永遠平和のために」や集団的国際主義は排除する。いみじくもロバート・ケーガンが言ったように「アメリカはヨーロッパの支援がなくても、世界の安全保障を維持する責任を負うことができる。」のだと。そして、アメリカの行動を支援するのが同盟国であるということになった。ここでアメリカの戦略は米ソ冷戦からポスト冷戦へ大きく変わったのである。
この90年代初頭のソ連崩壊後の世界戦略の見直しによるアメリカの新しい戦略に基づき、日米安保も大きく変貌した。2005年10月に日米で調印された「日米同盟:未来のための変革と再編」はそうした新しい内容の日米安保になっている。アメリカは共産主義と戦うのではなく、全世界で起こる安全保証上の危機に対応する。そのために、日本もまた同盟国として「世界における課題に対処する上で重要な役割を果たす」ことが求められるようになった。日米安保は本来、日本防衛の話だったはずであるが、いつのまにか「世界における課題に対処する」ということになったのだ。
この「世界における課題に対処する」とは一体なんであろうか。この「課題」とは誰が決めるのか。言うまでもなくアメリカである。日米同盟とは、基本的にアメリカの戦略の実行がイコール日米共通の目的になっている。つまり、アメリから与えられる「課題」を日本が対処していくということだ。
しかしながら、アメリカから与えらる「課題」とは、上記で述べたようにアメリカ単独で判断した「課題」であり、ヨーロッパ諸国や国連の承認も踏まえた「課題」ではない。日本外交の基本は、法と国際協調を主とするものであったはずであるが、その日本外交とは相容れないアメリカの単独覇権主義に巻き込まれることになったのである。
このように今の日米同盟そのもののあり方が、日本独自で安全保障を考えることができないようになっている。また安保本来の日本の国土防衛から大きく離れたものになっている。こうした状況の中で、日米同盟の強化が必要だとか言ってる者はこうした事実を知らない者かバカであろう。
日米同盟の強化が必要なのは、冷戦時代の話だった。ポスト冷戦の時代である今、日本もまた日本独自の安全保障の戦略を考えるべきであったのだが、上で述べたように日米同盟そのもののあり方が、日本独自で安全保障を考えることができないようになっているので、そのままずるずるとあり続けている。今なお、日米同盟以外に日本の安全保障の進む道はないかのような状況になっているのだ。
ところが、21世紀初頭になって、2つの新しい状況が出てきた。
ひとつは中国の台頭である。中国の台頭の重要なことは、軍事的な脅威であるだけではなく、経済的にも巨大な脅威であるということだ。アメリカは中近東の紛争に対処すると共に、中国の巨大な軍事力に向き合わなければならなくなった。しかし、かと言って、かつての米ソ冷戦のような対応をとるわけにはいかない。中国は世界経済のひとつの要なのである。東アジアの経済大国として中国を扱わざる得ない。オバマ政権のケリー新国務長官が「中国との関係強化が重要だ」と述べているように、アメリカは中国とは軍事的な全面対立をすることはなく良好な米中関係を築いていきたいとしている。アメリカにおける中国の重視の度合いが高まるということは、日本の存在が小さくなるということだ。昨年2010年に、中国は日本を抜き世界第二位の経済大国になった。アメリカでの日本の地位はますます低下している。
もうひとつは、アメリカの財政問題である。かつてロバート・ケーガンが言ったようなアメリカ一国が世界の警察になるかのような理想は結構であるが、それができるカネがない。これから国防総省は、オバマ政権での国防予算の大幅削減でアメリカ軍の海外派兵費の大幅削減が行われる。在日米軍も段階的に縮小されることになる。
思えば、「日米同盟:未来のための変革と再編」の中で述べられている自衛隊の海外派遣による様々な平和活動や人道支援は冷戦終了直後の力があったアメリカと、世界第二位の経済大国であった日本ならばできることなのかもしれない。しかしながら、もうそうした時代ではなくなった。中国の大国化、日本の相対的位置の低下、アメリカの財政問題、日本の財政問題等々により「日米同盟:未来のための変革と再編」は自然消滅していくものと思われる。日本は日米同盟をなくす必要はないが、だからと言って強化する必要もない。強化しても意味がないのだ。そうしたこともわからずに、日米同盟の強化が必要だとか言ってる者は、アメリカの回し者かやはりバカなのであろう。
この20年間の世界の状況を見ていて、軍事以外に抑止力になるものがあると私はますます確信するようになった。それは経済と通信・交通のボーダーレス化だ。経済のグローバル化と情報通信・交通技術の発展によるボーダーレス・ワールドの浸透こそ、軍事以上(以外ではなく、以上だ)の抑止力になる。中国に対抗するには軍事しかないという意識は捨て去るべきだ。そして、軍事による抑止力は国家にしかできないことであるが、経済の主役は企業であり、個人だ。企業や個人による日中のグローバルな活動こそが、日本の安全保障になるのである。役に立たない日米同盟の強化など必要ない。
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