『製造業が日本を滅ぼす』を読む
野口先生の『経済危機のルーツ』に続き、『製造業が日本を滅ぼす』(ダイヤモンド社)を読んだ。
野口先生の本は、なんかどうも自分の感覚にしっくりこない違和感があってこれまで読むことがなかった。野口先生は超整理法で有名な先生である。超整理法については、どんなものか読んでみたが、なにがどうすごいのかさっぱりわからなかった。野口先生のやり方は、自分には合わないのだろう。
というわけで、これまで読むことがなかった野口先生の本であるが、『経済危機のルーツ』と『製造業が日本を滅ぼす』の2冊は、その自分が馴染まない野口先生の本の中で、この2冊については、初めて自分から読んでみようかなと思い、そして初めて読み通した2冊の本であった(全然、自慢にはならないんだけど)。
なぜ、この2冊の本を選んだのか。この2冊の本は関連しているからだ。『経済危機のルーツ』は、1970年代以後の世界の政治と経済を歴史的なスパンで捉えて、なぜこのような「現代」になったのかを論じている。現在の変化の背後には歴史がある。「これまで」を理解しなくては「現在」がわからず、また「これから」もわからない。だからこそ、マクロなタイムスパンで見る必要がある。
では、そうだとして第二次世界大戦以後の経済の変遷を俯瞰しようとして、どんな本を読めばいいのか。かなりの数の本がある。どれにすればいいのか。ここでコレだ!と決めたのが野口先生の『経済危機のルーツ』であった。そして、なるほどそうか、そうだったのかとクリアにわかった。その理解を踏まえて「現在」について、さらにもう一歩踏み込んだのが『製造業が日本を滅ぼす』である。
製造業が日本を滅ぼす、などと言うと、製造業関係の方々はムカッぱらが立つだろう。しかし、これは別に製造業そのものが国を滅ぼすと言っているわけではなくて、これまでの日本の製造業のあり方や製造業についての国の政策の間違いが、国を滅ぼすと野口先生は言っているのである。
これまでの製造業は、日本国内に会社があり、そこで設計・デザインを作成し、その設計・デザインに基づいて、国内にある工場で生産を行い、そして完成した製品を外国へ売る、というスタイルである。
もちろん、大手メーカーの工場だけでは製造できない部品は数多くある。そうした部品の製造はそのメーカーの下請け企業にまわされ、その下請け企業が自社ではできない場合はさらに孫請け企業へと回される。そうした系列、つまり垂直統合の強さ、細やかさが日本の製造業のメリットだった。
このメリットによって、戦後日本は工業大国アメリカを追い抜き、経済大国へと躍進したのである。1970年代から1980年代にかけて、日本型経営万々歳の時代になり、世界の国々は日本企業の強さに注目していた。
ところが、ここに中国・韓国という競争相手が出現する。大ざっぱに言うと、日本に遅れた世界の製造業は、全世界を覆う情報通信網とIT技術の発達の波に乗り、大きく変革していった。
ここで1990年代に誕生した製造業の新しいスタイルが「EMS」(Electronics Manufacturing Service)である。EMSには、設計は発注元が行って、生産のみを委託する「OEM」や設計も含めて委託する「ODM」などがある。日本では系列会社がやっていたことを、外国では「系列」という枠で固定することなく、広く世界に相手を求め、また受注側もそれに特化したメーカーが現れたというわけである。
生産機械の進歩により、熟練した人の技術がなくても、機械による製造が可能になった現在、必要なのは、受注品ができる生産機械があるかどうかであり、あとは価格の話になる。であるのならば、生産機械があって、安い人件費の中国が有利に立ちことは言うまでもない。日本のメーカーには系列がある。これまで系列があることが、日本のメーカーのメリットであったが、このメリットが逆に足枷になった。
メーカーの系列とは、イコール、ニッポンの雇用でもあった。系列を捨てて、中国のメーカ-と提携することは、ニッポンの雇用が失われることであった。しかし、そういうわけにもいかない。なに、日本人の技術力は優秀だ。技術力で勝負だ。なんだかんだ言っても、モノ作りが大切だ、モノ作りの精神を失ってはいけない。
で、あっという間に20年たってしまったのが、「失われた20年」だった。そして、中国に抜かれ、韓国に抜かれていったのが、この20年だった。アメリカもイギリスも繁栄の成長に返り咲いたのに対して、世界の中で日本だけが没落している、そうした世の中になった。
いささか時期は遅かったが、今こそ日本の製造業は、EMS企業へと転換する時ではないだろうか。しかし、日本の製造業がEMS企業へと転換するのは、かなり根本的な転換になる。いわば、商社みたいなメーカーになるのである。そうしたことができるであろうかという程の転換になるが、この転換できなくては、日本の製造業に未来はないだろう。日本の製造業がこのままの姿であり続けるのならば、EMSでできるカメラとかガソリンとかハイブリットの車とか、テレビとか、家電とか、コピー機などのモノを作っている企業が残る可能性はほとんどない。
製造業が、日本人の雇用を支えているという考え方をもうやめよう。これからは製造業が、国内雇用を吸収するという思考を捨てて、「製造業」と「日本」はすっぱりと別れるべきだ。これからの製造業はグローバルにEMSを行っていく。中国・台湾、韓国、シンガポール、タイ、ミャンマー、ベトナム、インド、等々と関わっていくのである。
では、ニッポンの雇用はどうなるのか。当然、これが問題になる。
やせても枯れても日本である。少子化とは言え、この日本列島の上から、ある日突然に人々がぱっといなくなるわけではない。ここに一億二千万の人々が住んでいる、暮らしている。日本という国がある。製造業がグローバル化し縮小して、金融や情報サービスや医療・介護などの分野でこれまで以上に労働力が必要になる。製造業での雇用は十分吸収されて、それでもまた足りないという世の中になる。
さらに、対中国輸出だけでは、日本経済を支えることはできない。中国頼みの日本経済では未来はない。アメリカやイギリスなど先進国でも十分通用するサービスを日本から生み出していかなくてはならない。
やらなくてはならない仕事は、山のようにある。中国とは違う意味で、本当は、この国には雇用がうなるほどあるはずなのだ。国の産業構造を変えなくてはならないというこの時期に、若者の雇用が少ないとかになるはずがない。本来、今のこの国は脱工業化していて、金融や情報サービスや文化、映像・音楽コンテンツ制作や医療・介護などで、仕事はちょっとたいへんだけど収入はいい、という仕事がじゃんじゃんある、となっていないのはおかしい。それが今そうなっていないのは国の政策が間違っているからだ。
しかしながら、「間違っているからだ」でこの国の政策が変わるわけもない。実際のところ、今期の歴史的赤字を受けて各メーカーは国内でのテレビ製造をやめて、工場の海外移転やEMSを進めている。その一方で産業構造の転換は、さっぱり進んでいない。従って、雇用問題がさらに悪化することが今後予測される。
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