東日本大震災と都市東京
東日本大震災について、これまであまり書くことがなかった。あえて書かなかったのではなく、書くことがなかった。
東日本大震災での地震や津波や原発事故の直接的被害は、僕にとっては他人事である。震災後、東北の被災地へ行こうと思えば行く機会はあった。しかし、行っていない。行けばいろいろなことを考えただろうなとは思う。しかし、それは直接に震災被害を受けた者ではない、当事者ではない、ただの旅行者の感傷のような思考だ。
あの日、僕は神奈川の職場から東京の自宅まで歩いて帰った。5時間ぐらい歩いたと思う。とにかく歩いた。携帯電話での通話はできなかった。iPhoneのバッテリーを気にしながら、時々、Twitterを見たり、ツイートを書き込んだ。iPhoneでネットにアクセスすることができたので、今何が起きているのか、どこで何がどうなっているのかについてある程度知ることができた。
路上で帰宅難民になった人々を見た。交通インフラが停止した平日の夜の東京はどうなるのか、ということを実体験した。それが、僕の東日本大震災の体験だ。それが、地震や津波や原発事故の直接的被害を受けたわけではない東京都民である僕の体験だった。311の後、しばらくの間、夜の街の照明やネオンが消され、新宿や池袋や渋谷の駅前が暗かった。この時の暗さも、311について覚えていることだ。逆から言えば、これらしかない。
あの日の夜、数多くの帰宅者の中の一人として、ただ延々と歩いていた僕が思ったことは、地震のことや津波のことや、ましてや原発事故のことでもない。この程度の地震で交通インフラが止まるという都市の脆さについてだった。交通インフラが地震で簡単に止まり、数多くの人々が帰宅難民になるということと、地震で電力供給が停止して事故になった福島原発も同じだ。つまり、文明は脆い。
もちろん、文明は脆いと呑気に僕が思うことができたのは、東京が直接の震災を受けたわけではないからだ。東京でも大規模な地震が起きていれば、交通インフラが止まるだけの被害にはならない。建物が崩壊し、橋が陥落し、高速道路が倒れるなどいったことが起こり、東京でも死傷者の数は甚大なものになっただろう。
今回の震災では、2万人が亡くなったという。2万人である。この2万人が亡くなったということが、東京にいると本当の出来事だったのかどうか実感を持って感じることができない。
17年前の大地震は神戸で起きた。だから、関西の人々は震災を実感を持って感じることができる。東京には、これがない。東京で大規模な数の人々が死んだのは、60年以上前の太平洋戦争の時の東京大空襲だ。その前となると、100年近く前の関東大震災になる。もはや歴史の話だ。つまり、東京都民は震災あるいは災害をリアルに感じることがない、できない人々なのだ。
つまり、当事者ではない。当事者ではないと、どうなるか。当事者ではないと、考え方が傍観者的視点になる。そして、この出来事をすぐに忘れる。
311、あの日、文明のカプセルが少し崩れた。崩れて、しばらくの間、外の本当の世界の暗闇が、文明のカプセルの中に流れ込んできた。人々はその闇に最初は戸惑ったが、やがて慣れた。我々が住んでいるのは、文明のカプセルの中であって、その外には本当の暗闇が広がっている。文明のカプセルは脆いものなのだということを、僕たちはなんとなく感じたのだと思う。文明は脆く、命には限りがあるということを。
そのカプセルのほころびは為政者とメディアによってすぐに塞がれてしまった。東京の夜は、以前と同じ明るさに戻った。すると、僕たちの意識もまた以前の状態に戻った。ナニゴトもなかったかのように。当事者ではないと、2万人が亡くなったこの震災から、何も学ぶことなく、きれいさっぱりに忘れることである。大正12年の関東大震災や、昭和20年の東京大空襲のように、平成21年の東日本大震災として、ただの歴史の出来事になるということだ。
しかしながら、もう一方で当事者ではないということは、この出来事を距離を持って客観的に見ることができるということだ。震災にせよ、原発事故にせよ、被害は終わっていない。今でも続いている。福島原発でさらに事故が起これば、東京もまた壊滅的被害に直面する。なによりも、東京に大地震が起これば都市東京は終わる。
当事者ではないからこそ、被災地ではない東京にいるからこそ、考えることができる。考え続けることができる。
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