平清盛について、また少し考えた
清盛のすごいところは、800年前の時代にこれからは中国だと考えたことだ。これからは中国だって思ったって、具体的にどういうことかというと、それまで九州の太宰府などとかでそれなりにやっていた中国との交易を、もっと本格的にバンバンやっていこうとしたことだ。
交易であるということは、当然のことながら、中国から文物を輸入すると共に、日本側からも「なにか」を輸出するということだ。中国側は随、唐という世界史に輝く大文明の時代は過ぎたとは言え、なにしろ大中華帝国である。日本にないもの、日本より優れているものは膨大にある。つまり、輸入品はある。山のようにある。
では、日本側からの輸出品はどうか。なにしろ大中華帝国に対して、文化などペンペンたるものしかなかった日本に売れるものがあったのか。まず銀である。日本列島から大量の銀がとれたので、これで中国から文物を買っていた。それと一部の工芸品だった。日本刀とか高級美術品としての扇とかだった。
ここで、うーむとワタシならば思う。工芸品が売れるのならば、それはそれでいい。ではもっとどおーんと工芸品を作るべきじゃあないか。ほそぼそとやっているんじゃなくて、もーインダストリーとしてばあーんとやっていくべきではないか。
この「中国と商売をする」ということが政策の中心となったのならば、日本国内のさまざまな分野での改革・改善が必要になる。中国と日本を往復する船だって、当時の和船はとても遠洋航海ができるしろものではなかった。だから、中国の造船技術に学ぶことが必要だ。
もーとにかく、なんでもかんでも、日本は中華文明圏のスタンダードに追いつくことが必要だ。朝廷は、東アジアの世界情勢の収集・分析ができなくてならん。役人も商人も、もっとどんどん中国に行かなくてはならん。東アジアの公用語は中国語だ。ボーダーレスな中華経済圏の中で、日本は大きく繁栄していこうじゃないか。
これまでの王家と藤原摂関家と神社仏閣の勢力とか、なんかわけのわからん源氏及び東国武士団たちとか、ごちゃごちゃしたものは全部リセットするために福原に遷都する。そして、(今の時代のシンガポールみたいな)貿易立国に日本がなろう!!
清盛がここまで考えていたかどうかはわからない。そして、仮に清盛がこうしたことを考えていたとして、あの時代にこれができたとは思えない。王家と藤原摂関家と神社仏閣の勢力とか、なんかわけのわからん源氏及び東国武士団たちとか、みんな一斉に反対したであろう。
事実、そうなった。そして、清盛の夢は歴史から消されてしまった。
後の世の『平家物語』を代表とする軍記物語では、清盛は悪の権力者としてしか書かれず、義経はヒーローとして描かれ、平家一門は武士なのに公家になって栄華に溺れ、滅びていった悲劇の一族としてしか日本人の心情に残らなくなった。
それから、千年近くの年月がたった。
今、僕たちは中国の勃興を前にしている。この時代に、平清盛がNHKの大河ドラマに出て来た意味は大きいと思う。
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