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March 2012

March 31, 2012

緊急事態体制にならない国

 仕事が立てこもり、処理すべき案件が異常に貯まった場合どうしたらいいか。「緊急事態体制」になって、まずタイムスケジュールを根本的に変更する。そして、できることはできる、できないことはできないとしてカットする、課題に優先順位をつけることをやる。あとは、その工程に従って、ただ闇雲に仕事をしていく。とにかく、やっていく。「緊急事態体制」なんだから。

 しかしながら、「緊急事態体制」であるということは、いわば特別な状態であって、終わりはある。終わったら、大いに遊びまくる。そういうメリハリが必要だ。

 本来、この国は「緊急事態体制」になって、震災対策や財政問題等々、抱えている問題、課題を片っ端から、メドをつけて、ちゃっちゃとかたづけてしまえばいいんだと思う。もちろん、ずっと「緊急事態体制」であり続けるわけにはいかない。あらかじめ、おおざっぱな期限をつけてやっていく。時限立法も組めばいい。そうしたことができる権限を持っているのが政府であり、政府はそうしたことをやるように国民から国の運営を託されている。

 ようするに、これらはすべてマネジメントの話だ。この国は、国家運営を行うマネジメントの能力が著しく低い。というか、国の運営がこれまでとは方法が変わったのだと思う。

March 29, 2012

ニューズウィーク日本版「普天間と日本」

 今週号のニューズウィーク日本版(2012年4月 4日号)の特集「普天間と日本 海兵隊をめぐる勘違い」は大変興味深かった。日本の親米ポチの皆さんは、東アジアの安定のためには在日米軍は必要だ、沖縄の海兵隊は必要だの一点張りで、アメリカ従属意識丸出しで、日本から在日米軍が撤退するなど考えられないかのように述べている。

 しかしながら、事実はそうではない。

 実際のところ、かなり前から日本の在日米軍というか、海外の駐在米軍の規模を縮小させようという意見は、アメリカ国内で言われ始めていた。そうした意見が、今やニューズウィーク誌でも取り上げられるようになってきたということは、無視できない広がりを持ち始めたということだ。

 アメリカには、沖縄の在日米軍の規模を縮小させたいと考えている軍事専門家や外交評論家が数多くいる。このことを、日本の親米ポチのみなさんは知らないのか、あえて無視をしているのである。

 在日米軍の規模を縮小する、その最大の理由は、財政問題である。アメリカは、世界の各地に軍隊を配備させることができるカネがなくなってきた。オバマ政権下でも、アメリカ議会は国防費を大幅に削減した。

 もうひとつの理由は、世界情勢の変化である。冷戦が終焉し、グローバル化が浸透し、人類はかつてのような大規模の世界戦争をしないようになってきた。その一方で、中近東や北朝鮮などいった紛争危険地域は数多くある。そして、東アジアの覇権国になろうとする中国とロシアは軍事力を増強している。アメリカは、アメリカ一国でアジア太平洋地域の覇権国になるのではなく、同盟国との共同によってアメリカ覇権を維持していく必要がある。

 さらにもうひとつの理由は、テクノロジーの進歩と、それに伴う軍隊組織の変化だ。今の軍隊は、ただ戦場で戦っていればいいわけではない。情報収集、分析、通信、エンジニアリング、医療、人事、教育など軍隊で行うべき仕事は山のようにある。

 沖縄の在日米軍は、海兵隊などの戦闘部隊の規模を縮小させ、司令部部隊と後方支援部隊を拡充させるべきだ。そして、沖縄に在日米軍に置けば日米同盟はそれで万事オーケーのような話はもうやめるべきだ。

 もはや、沖縄に大規模な海兵隊の部隊が必要だとか、日米同盟をさらに強固なものとし、在日米軍の現状規模の維持とさらなる拡張をとか言っているヤツは、在日米軍の基地利権目当ての政治家と官僚とただのバカであると言ってもいいだろう。

March 26, 2012

『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』

 最近、ロバート・ライシュの『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』(The Work of Nations: Preparing Ourselves for 21st Century Capitalism )をまた読み直そうと思っている。

 今の時代は、ネットからニュースや情報、映像、文章等が容易に手に入る。情報の整理、表現、プレゼン、コラボレーション等はITの知識と技術があれば簡単にできる。ここで必要なのは、創造的に自分の意見や考えをアウトプットする能力である。つまり、それはシンボリック・アナリストの時代なのだと思う。

 1991年にライシュは『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』を出した。それから20年たった今、ライシュの予測した未来の通りになった。世の中は格差社会になり、中間層が消えてしまうということや、シンボリック・アナリストが社会の富を作るということは、見事に的中している。国の役割は大企業を育てることではなく、国際的に競争力のある個人の育成を行うことであるということなど、21世紀になって10年以上が過ぎた今、まさにその通りだったと思う。よくぞまあ20年前に、こうした本が書けたものだ。唯一予測できなかったのはIT技術の進歩だろう。

 これほど世界がネットでつながり、iPhoneやiPadで簡単に情報の収集、整理、編集、発信ができるようになるとは書いていなかった。IT技術の進歩が、ライシュの予測通りに世の中がなることを決定づけたと言ってもいい。IT技術によって、シンボリック・アナリストの仕事がやりやすく簡単になり、なによりも楽しいものになったということが一番大きな出来事であろう。

 その昔、私はこの本を翻訳で読んだが、シンボリック・アナリストというワードに違和感を感じて理解できなかった。はっきり言って好きになれなかった。あれから10年以上の年月がたって、気がつくと自分はシンボリック・アナリストの職業であることに気がついた。そうかライシュの言っていることは正しかったのだと気がついた。

 というわけで、今度は英語で読んでみたいので、Kindleで"The Work of Nations"を読み始めている。

March 24, 2012

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観ました

 先日、映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観てきた。主演のメリル・ストリープが、この映画でアカデミー賞主演女優賞をとったというが、そういうことにはあまり関心がなく、ふーんそうなのかと思っていた程度だった。

 観る前に、とりあえずサッチャーについてWikipediaでちらりと読んでみた。この人は、オックスフォードで化学を学んでいたとは知らなかった。卒業後、企業の化学研究の職についていたが、保守党から下院議会議員選挙に出馬する。この時期に法律を学び弁護士資格をとったそうだ。以後、政治家の道を歩む。政治家になったのは、市長も務めたこともある父親の影響だろうか。

 サッチャーについて、わからないことがいくつかある。

 なぜ化学研究者から政治の道を選んだのか。なぜ、保守党の党首に成り得たのか。そして、サッチャーについて考える際に、どうしても触れなくてはならない新自由主義について。この思想はどのようにして生まれ、どのようにイギリスにおいて実行されたのか。そもそも、イギリス現代史の中でThatcherismとは一体なんであったのか。

 この映画は、そうした疑問に答えてくれるものではなかった。やはり、自分で調べていくしかないな。ただし、メリル・ストリープの演技は見事だった。

March 18, 2012

台湾に行ってきました

台湾に行ってきました

 今月の10日土曜日から14日水曜日まで台湾に行ってきました。通っている中国拳法の道場での台湾研修です。台湾研修には二回目ですので、今回は何がどうなっているのかわかっているので、十分余裕のある研修旅行でした。

 場所は台中です。台中というのは台湾の中心部に位置します。そもそも、台湾は面積は約35,873平方キロメートルで日本の九州ぐらいの大きさで、2千3百万人が住んでいます。首都は台北市です。都市の規模としては、台中市は高尾市に続く台湾で第三の都市になります。

 前回行ったのは、一昨年であった。今回行ってみて街の道路を走る車の数が増えたような気がした。まあ、感覚で言っているのだけど。

 拳法の稽古旅行なので、観光ができる時間があるわけでもなく。さらには今回、ここに着いた10日から14日まで、台湾にはめずらしく曇りか雨の寒い毎日で、ここは本当に南国なのかと思った。そうした天気のためか夜市は一昨年訪れた時のような活気と大きさがなく、なんかまーとりあえず屋台でやっていますという感じであった。

 雨の降る新宿や池袋とか、雨の降る香港とかは、モロ、『ブレードランナー』のイメージなのであるが、雨の降る台湾の街は、『ブレードランナー』のイメージがしないのはなぜなんだろうと考える。が、考えてみるもののうまくまとまらない。街中の看板や標識での英語文字の量の違いだろうか。

 当然のことながら、台北や台中は東京とも香港とも北京とも違う。台湾で感じたのは、妙な懐かしさだ。自分が幼い頃の遠い記憶の中の昭和40年代の東京の風景と重なるものがある。

March 04, 2012

たいらのきよもりについて、さらに考える

きよもり2

 平清盛っていうのは、日本の歴史を見る上でのキーポイントのひとつだと思う。実際のところ、僕たちには清盛ついてひとつのイメージとわかりにくさがある。

 ひとつのイメージとは、言うまでもなく「悪いヤツ」だったというものだ。ちなみに、中世における「悪」の言葉の意味は今日の意味とは少し違うけど、ここではその違いについて触れることなく、とりあえず今日の意味での「悪」の言葉を使おう。さて歴史上、旧来の秩序の破壊者として有名なのは信長であるが、清盛は信長のような旧来の秩序の破壊者のようなイメージほどでもなく、じゃあなんだったのかと思ってもよくわからず。とにかくなんか「悪いヤツ」だった、ということになっている。

 「悪いヤツ」だったというイメージの背景のひとつに、清盛は権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉があるように、平家一門は栄耀栄華を極めた、というものがある。しかし、権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、一門は栄耀栄華を極めたというのは、先に前例がある。藤原道長だ。けれども、藤原道長には清盛のような悪人のイメージはない。この人もなんかよくわからんけど、従一位で太政大臣になった公家というイメージしかない。では、道長はどんな政治を行ったのかということついてはよく知らない。いや、もちろん、専門的に勉強すればわかるのだろうけど、一般的に言ってあまり知られていない。

 清盛については、なにをやったのかは、それなりによく知られている。厳島神社を造営し、都を福原に遷都させようとした、奈良の東大寺や興福寺などの寺院を焼討ちした等々。様々あるけど、これだけと言えばこれだけで。京都の貴族中心の社会から武士の政権の世の中へと社会を変革した人としては、清盛よりも実際に幕府を開いた源頼朝がその人とされている。清盛というのは、武士だったくせに公家化したヤツみたいなイメージなのである。

 ところが、である。

 こうした清盛=「悪いヤツ」は真実ではなく、後の時代が創作したものであるという見方がある。清盛=「悪いヤツ」は、誰にとって都合がいいのか。まず、なんと言っても平家から政権を奪った鎌倉幕府だ。繁栄を極めた平家が没落していくというイメージを強烈に植え付けたのは『平家物語』であるが、『平家物語』は鎌倉時代にできたものだ。その他の軍記物の『保元物語』や『平治物語』も鎌倉期にできた。当然のことながら、現政権に都合が悪いように書くことはできない。

 もうひとつ、清盛=「悪いヤツ」で都合がいいのは誰か。朝廷である。清盛は都を神戸に移そうとした。京都の公家が喜ぶわけはない。清盛は娘の子を安徳天皇とし、朝廷を混乱させた元凶の人物である。武家の世の先駆けとなった人物でもある。できることならば、歴史から抹殺したいであろうが、そういうわけにもいかないので、できることと言えば、後の世に到るまで「悪いヤツ」だったというイメージを残すことだ。

 かくて、清盛=「悪いヤツ」は、鎌倉幕府と朝廷によって創作された。それから800年たった後の時代にいる我々も、その創作の枠の中にいる。よく、歴史は歪曲されたりねつ造されたりすると言うが、源平時代もまたそうだったということになる。

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