たいらのきよもりについて、さらに考える
平清盛っていうのは、日本の歴史を見る上でのキーポイントのひとつだと思う。実際のところ、僕たちには清盛ついてひとつのイメージとわかりにくさがある。
ひとつのイメージとは、言うまでもなく「悪いヤツ」だったというものだ。ちなみに、中世における「悪」の言葉の意味は今日の意味とは少し違うけど、ここではその違いについて触れることなく、とりあえず今日の意味での「悪」の言葉を使おう。さて歴史上、旧来の秩序の破壊者として有名なのは信長であるが、清盛は信長のような旧来の秩序の破壊者のようなイメージほどでもなく、じゃあなんだったのかと思ってもよくわからず。とにかくなんか「悪いヤツ」だった、ということになっている。
「悪いヤツ」だったというイメージの背景のひとつに、清盛は権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉があるように、平家一門は栄耀栄華を極めた、というものがある。しかし、権力を取得し、娘を朝廷に嫁がせ、一門は栄耀栄華を極めたというのは、先に前例がある。藤原道長だ。けれども、藤原道長には清盛のような悪人のイメージはない。この人もなんかよくわからんけど、従一位で太政大臣になった公家というイメージしかない。では、道長はどんな政治を行ったのかということついてはよく知らない。いや、もちろん、専門的に勉強すればわかるのだろうけど、一般的に言ってあまり知られていない。
清盛については、なにをやったのかは、それなりによく知られている。厳島神社を造営し、都を福原に遷都させようとした、奈良の東大寺や興福寺などの寺院を焼討ちした等々。様々あるけど、これだけと言えばこれだけで。京都の貴族中心の社会から武士の政権の世の中へと社会を変革した人としては、清盛よりも実際に幕府を開いた源頼朝がその人とされている。清盛というのは、武士だったくせに公家化したヤツみたいなイメージなのである。
ところが、である。
こうした清盛=「悪いヤツ」は真実ではなく、後の時代が創作したものであるという見方がある。清盛=「悪いヤツ」は、誰にとって都合がいいのか。まず、なんと言っても平家から政権を奪った鎌倉幕府だ。繁栄を極めた平家が没落していくというイメージを強烈に植え付けたのは『平家物語』であるが、『平家物語』は鎌倉時代にできたものだ。その他の軍記物の『保元物語』や『平治物語』も鎌倉期にできた。当然のことながら、現政権に都合が悪いように書くことはできない。
もうひとつ、清盛=「悪いヤツ」で都合がいいのは誰か。朝廷である。清盛は都を神戸に移そうとした。京都の公家が喜ぶわけはない。清盛は娘の子を安徳天皇とし、朝廷を混乱させた元凶の人物である。武家の世の先駆けとなった人物でもある。できることならば、歴史から抹殺したいであろうが、そういうわけにもいかないので、できることと言えば、後の世に到るまで「悪いヤツ」だったというイメージを残すことだ。
かくて、清盛=「悪いヤツ」は、鎌倉幕府と朝廷によって創作された。それから800年たった後の時代にいる我々も、その創作の枠の中にいる。よく、歴史は歪曲されたりねつ造されたりすると言うが、源平時代もまたそうだったということになる。
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