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May 2011

May 15, 2011

久保亨『社会主義への挑戦』を読む

 久保亨著『シリーズ中国近現代史④社会主義への挑戦』(岩波新書)を読んだ。岩波の中国近現代史の4巻目は、1945年から71年の26年間を扱っている。この時代の中国でなにが起きたのか。アメリカ、ソ連、日本、韓国との関係も踏まえ、マクロ的に社会主義政権の成立と大躍進、文革の破綻を記述している。

 中国は、共産党の一党独裁国であり、社会主義の国である。今の中国を見て、これは社会主義であると言えるのかどうかはいろいろあるが、今でも共産党の一党独裁国であることはすぐにわかる。

 中国とはそうした国であり、第二次世界大戦以後、そうした国になった。というのが、僕も含めた数多くの人々の中国理解であろう。大ざっぱにおいては、これは正しい。しかし、あくまでも大ざっぱにおいては、の話であって。正しく言えば、そうではない。この本は、そうしたことがわかりたいへん勉強になった。

 第二次世界大戦が終わり、国民党と共産党は、それまで共通のスローガンであった抗日が消滅し、双方の対立が再び激化する。ここで政権を取得したのは国民党である。以後、1949年に共産党が中華人民共和国の成立を宣言するまでの4年間は、中国は民主主義国家であった。この間、思想と文化は活況を呈し、新しい民主主義の憲法である47年憲法が制定された。いわば、この時期、中国は辛亥革命を達成し、孫文の理想に基づく民主主義国家建設へ進もうとした輝ける時代だった。この4年間の時期は重要で、今後、中国が民主主義国家になった時、新憲法の基盤になるのは、この47年憲法であろうという著者の記述は感動的ですらある。

 国民党政権は、復興政策、特に経済政策の失敗によって民心を失う。米ソの対立により、アメリカは日本を東アジアの防共の盾にするため日本の復興を優先させる。つまり、国民党政権は、アメリカの支援と日本から賠償金を得ることができなかった。

 興味深いのは、この時期、中国はアメリカからの支援を得ることができなかったということだ。この時日本は、米ソの冷戦のまっただ中に置かれることになり、アメリカは日本が必要であり、日本はアメリカが必要だった。冷戦下で、日米の思惑は一致する。日本側からすればアメリカの属国のようになったが、だからこそ日本はアメリカの援助と支援を受けて戦後の復興ができた。これは韓国も同様である。しかしながら、中国はそうはならなかった。そうはならなかったというところに、日本と韓国と中国の戦後史の違いがある。

 そして、蒋介石と国民党政権は共産党の追撃を受けて台湾へと移り、中国は人民共和国になる。この本で初めて知ったのは、人民共和国は当初から社会主義をめざしたわけではなかったということだ。当初に掲げられていた建国の理念は、社会主義を目標とするということではなく、共産党以外の政党も含めた人民民主主義の国家を目指すものであった。それがなぜ共産党一党独裁になったのか。

 1950年に朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発し、中国もまた参戦する。参戦することで、中国は国際社会にその存在をアピールすることができたが、その反面、朝鮮戦争に参戦したことにより経済はさらに低迷した。この時、中国にとって、頼るべき相手はソ連しかなかった。ソ連の支援のもとで、ソ連型の経済政策を進めていくしかなかった。

 さらに1956年、ソ連のスターリン批判により中ソ関係は決裂する。また、チベット問題や国境問題によりインドやパキスタンと争うようになる。こうした、ソ連、インド、パキスタンとの間で対立的関係になり、孤立化しているという危機的状況から脱却するために毛沢東が考えたことは、急速に社会主義国家になるということであった。その後の大躍進も文革も、その背後には毛沢東の急進的な社会主義国家建設、つまり工業化の推進と軍事力の強化をしなくてはならないという意識があった。それはこうした周辺諸国との対立と緊張があったからであるとも言える。

 この本を読んで、なるほどそうかと思った最も大きなことは、現代中国は、結果として社会主義国家になったのであって、社会主義国家が現代中国の本質ではないということだ。何度も繰り返すが、毛沢東の時代とは、わずか26年にすぎない。大躍進や文革というすさまじい社会病理のようなものを経ながら、それでもなお、その後の開放経済へと進むことができたのは、毛沢東と共産党独裁の時代でありながらも、中国がその根底において持ち続けていた現代中国の本質、辛亥革命から民国の時代にあったものがあったからだ。それは具体的になんであったのかということは、本書に続く鄧小平時代の巻によって明らかにされることを期待したい。

May 02, 2011

古い原子力の時代は終わった

 今回の福島原発事故をきっかけとして、現在稼働中の原発を全部なしにして、危険なのでもう原子力を使いませんという方向に全面転換するかというと、そうはならないようだ。

 むしろ、これまで覆われてきた原発の安全性やエネルギー資源について、オープンかつ活発に論じるようになっってきた。東電がこれまでやってきたことや、危機管理のずさんさ、国の原子力行政の問題を大手マスコミも堂々と扱うようになってきた。ある意味、これは当然のことというか、本来、こうであったはずなのだ。大前研一さんが言うように、原子力の時代は終わったのだろうが、それは、これまでのような原子力の時代は終わったわけであって、これから、原子力も含めて、必要十分な量の、かつ、コストが安く、かつ、安定供給ができる電力を発電し送電し配電するにはどうしたいいのか、ということ最初から考え直すという作業が待っている。我々国民は、これまでそうしたことを電力会社及び政府に丸投げしていた。今回の件で、そうしたことを企業や国にまかせて、無関心であるとロクなことにならないということがよくわかったわけだ。

 これからは、国民が行政や企業を監視するシステムが必要だ。もちろん、本来、そうしたことはメディアの仕事であるが、この国では官・民・マスコミが一体化して利益団体を作るので、社会への健全なチェック機能が働かない。しかしながら、今やその役割をネットが果たしている。

 もうひとつの課題として、今ある原発をどうするのかということだ。継続運転するにせよ、原子力はやめにして原子炉は全部廃炉にするにせよ、今ある原発での災害や事故への事前対策や危機管理、そしてそもそも核廃棄物処理をどうするのかということをはっきりさせる必要があるだろう。そのためには、さらに原子炉や原子力についての知識、技術、ノウハウを蓄積していく必要がある。

 つまり、これから必要なのは、ソフトバンクの孫正義社長が提唱した「自然エネルギー財団」のような自然エネルギーの普及を促進する機関とともに、新しい(というか、当然で普通であたりまえの)原子力テクノロジーの研究・開発や、人々へのパブリシティや教育を行う組織だ。閉鎖的でゆがんだ原子力の時代は終わった。

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