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November 2010

November 27, 2010

映画『戦火の中へ』を観た

 韓国映画『戦火の中へ』を観た。YESASIAの新作韓国映画をチェックしていたらクォン・サンウの新作映画ということで、これは見なくてはと思い購入した。朝鮮戦争での学徒兵の物語だ。ワタシの韓国語能力ではわかるわけはないので、英語字幕で見た。これまで、朝鮮戦争を扱った映画としては『ブラザーフット』と『トンマッコルへようこそ』を見たが、どちらもあの戦争の愚かしさを見事に伝えていて、とりわけ『トンマッコルへようこそ』は、よくぞここまで見事な「戦争」寓話映画をつくったものだと感動した。この『戦火の中へ』は、『ブラザーフット』のようにストレートに戦争の悲劇を描いている。

 この映画は、1950年に浦項女子中学校であった学徒兵71名の実話に基づくという。日本での公開も決まり、来年の2月に公開される。

 戦争という国家的危機状況においては、職業軍人ではない者たちもまた戦場に送られる。1950年、北朝鮮は韓国に侵攻し、ここに朝鮮戦争が始まる。北朝鮮は南に進撃を繰り返し、韓国軍の敗北が濃厚になる。ここで韓国軍は連合軍の到着を待っち、洛東江に残った戦力を集結させるわけであるが、このため最前線の浦項を守備していたカン・ソクテ大尉(キム・スンウ)の部隊も、洛東江に集結するようにとの命令を受ける。しかしながら、そうなると浦項は北側にわたすことになり、それを阻止したいカン・ソクテは、やむを得ず学徒兵にそれまで守備隊本部であった浦項女子中学を守るように指示する。そして、学徒兵たちのリーダーとして、以前戦場に行ったことがあるということだけの、ごくフツーの男子生徒だったチャンボムを中隊長に任命する。この学徒兵たちの中には、少年院送りになることをいやがって学徒兵を志願したガプチョ(クォン・サンウ)がいて、ガプチョはことごとくチャンボムと対立する。

 クォン・サンウが学生服を着ていると『火山高』とか『マルチュク青春通り』を思ってしまうのだが、この役者はこの年齢になっても学生服が似合うなと思った。この人は、こういう役はハマリ役だな。チャンボム役は、韓国のアイドルグループBIGBANGのT.O.Pが演じている。BIGBANGって見たことも聴いたこともないのだけど、まあつまりは、アイドルグループなんだなというわけで。彼は役者ではないのだか、なかなかどうして、クォン・サンウの相手役として、しっかりとした演技をしている。

 この、ごくフツーの男子生徒だったチャンボムをリーダーとし、少年院に送りになるはずった不良のガプチョとかいるが、とりあえずみんな、銃など撃ったこともないフツーの子供さんたちである。この、ごくフツーの生徒だった者たちが、浦項女子中学校で、北朝鮮の人民軍と激烈な戦闘を行う。この少年たちは、すさまじい戦闘を人民軍相手に行い、人民軍側も学徒兵相手に戦車を投入する程の激戦になるのである。この戦闘シーンがものすごい。

 ちょっとここで、朝鮮戦争とは一体何であったのか、ということについて考えたい。

 第二次世界大戦が終わり、大日本帝国の崩壊とともに、京城では支配国の日本が去り、代わりにアメリカが来た。ここで重要なのは、第二次世界大戦とは、連合軍側による植民地の解放、自由と民族の独立のための戦争であったかのようになっているが、実際はそうしたものはなく、例えば朝鮮の独立など、英米は考えてもいなかった、ということだ。この「考えてもいなかった」ということが、ソ連による朝鮮半島侵攻を阻止することができず、38度線は、アメリカによって、半島のどこかに境界線を置いて、そこでソ連の侵攻を止めようという程度の考えで決められたものであった。ソ連側も、侵攻はしたが朝鮮そのものについてはさほど関心はなく、欲しかったのは朝鮮半島の沿海州に接している地域だけであって、アメリカ側から境界ラインを38度線にしたいと提案があった時、スターリンはあっさりと承認した。以後、今日に至るまで、朝鮮は分断されたままになる。そして、おのおの側で、おのおのの側の傀儡政権が立てられた。米ソの冷戦が終わった今でも、北と南の対立構造は変わらず残されたままになっている。

 朝鮮戦争は終結したわけではなく、休戦の状態にある。休戦の状態にあるといっても、戦争が終わり約60年もたっている。この60年間、韓国では様々なことがあった。北朝鮮軍による大延坪島への砲撃事件について、韓国がすぐさま軍事行動をとることはなかったというのは、この60年の年月での韓国の意識の高さだと思う。『ブラザーフット』にせよ、『戦火の中へ』せよ、つきつめれば、これらの悲劇はなぜ起きたのかということであり、戦争は避けることができたはずだという思いがある。『トンマッコルへようこそ』では、さらに突き進み、この民族分断ももたらした張本人はアメリカであるということすら暗示している。朝鮮戦争は、アメリカとソ連という大国に翻弄されただけだったということを韓国の人々はわかっている。朝鮮半島での韓国と北朝鮮の関係、韓国の人々の意識、そうしたことが韓国映画や韓国ドラマを観ていくとわかる。

November 14, 2010

中國人不是東亞病夫

 ドニー・イェンの最新作映画『精武風雲・陳真』が日本で公開するのかどうか危ぶまれている。いや「危うい」と思っているのは、私のような李小龍と甄子丹のファンだけの話で、日本の配給会社としては「売れる」か「売れない」かというビジネスの話なのであろう。つまり、ビジネスの話で言えば、この映画は日本では「売れない」と判断しているわけだ。

 なぜ、「売れない」のか。「尖閣問題が起きたため、反中感情の激化を恐れた日本の映画会社が配給権を買おうとしない」のだという。なにしろ、この映画はモロ抗日なのである。簡単に言えば、悪逆非道な日本軍を中国武術の達人の中国人が叩きのめすというもので、中国のみなさんとしては愛国心が高揚して、アクションのキレもいいので爽快感もあるという、これはヒットしないわけないではないかという映画で、事実、この映画が9月の中秋節での興行収入がトップになったという。

 一方、日本のみなさんとしてはどうか。日本の李小龍と甄子丹のファンは、この映画を見るだろうが、これはつまり「その人数しか見ない」ということであり、「その人数しか見ない」となると「採算がとれない」ということになるのであろう。私は、そもそも映画の収益とは、観客の数でまかなう、つまり観客が多ければ多い程収益が上がる、観客が少ないと収益が下がる、という映画産業最盛期の頃のビジネスモデルを今でも続けていることに無理があるのではないかと思っている。しかしながら、外国の映画を買って、日本で公開商売をする側としては、ある一定以上の観客が獲得できなければ赤字になるという損益分岐点みたいなものがあるのであろう。今の日本で、この映画がどれほどの人数を獲得できるか判断するというのもわからないでもない。抗日映画が日本でウケますかと言えば、そりゃあウケないでしょうなあと言わざるを得ない。

 この映画は、藤原紀香が香港で映画のプレミアパーティに参加して、向こうの主演俳優から「釣魚島は中国の領土だ」と言われたという一部で報道があった、その映画である。釣魚島とは、尖閣諸島の中国名である。しかしながら、実際のところは、甄子丹が藤原紀香にそう言ったわけではなく、甄子丹は共演の舒淇に、香港の南Y島は俺たちのものだと彼女に言ってやれよと冗談を言っただけだったそうだ。南Y島とは、香港の離島のひとつで、別に領土問題でもめている島でもなんでない。もちろん、甄子丹のこの冗談のウラには、今の日中間の尖閣問題があることはあるだろうが、だからと言って別に政治的な意味があったわけではない。ちなみに、この後で舒淇は藤原紀香と会話したわけでもなく、甄子丹も藤原紀香と話すらしていないそうだ。そもそも、藤原紀香はこの会場へなにをしに行ったのかわからん。香港の大きな映画パーティなら、なんでもよかったのであろう。

 さて、この「悪逆非道な日本軍人もしくは日本武道家を、中国武術の達人の中国人がボコボコに叩きのめす」のストーリーは、中国の映画では数多くある。しかし、台湾映画では見ないような気がする。これは日帝時代の台湾の統治は良かった云々とかいう話ではなく、映画のジャンルとして台湾映画は、そうしたアクション映画を扱わないのではないかと思う。台湾映画において、ナショナリズムはどのように扱われているのか考えてみたいテーマだ。ちなみに、韓国映画にも、この手の話の映画はいくつかある。

 おもしろいのは、対欧米についてはどうかということだ。「悪逆非道な欧米人を、武術の達人のアジア人がボコボコに叩きのめす」という話の映画があるか。まず中国映画では、当然のことながらある。最近では『葉問2』はまさにそうした内容だった。韓国映画ではどうあろうか。うーん、韓国映画では、ちょっと浮かばない。日本映画ではどうか。これはあるような気がする。具体的に、どの映画がそうだったとパッとは出てこないのだけど。しかし、最近の日本映画では皆無だな。今の日本映画や韓国映画では、露骨に正面から欧米を「敵」にするのは、物語上の必然性をつくるのがむずかしい。やはり、悪の西洋人(とか日本人とか)を叩きのめす映画を、今でも堂々と作り、それにたくさんの観客が喝采を送るのは中国だけなのではないかと思う。

 このへんに、今の中国の今の中国らしさがある。

November 03, 2010

映画『唐山大地震』を観た

 最近、馮小剛監督の映画をよく見る。『戦場のレクイエム』も『女帝[エンペラー]』も、気がつくと馮小剛監督の映画であった。だたまあ、この監督の映画だから見ようと思ったわけではなくて、例によって好きな俳優が出ているから、じゃあ、ちょっと見てみるかという感じで見てみて、見終わった深く考えるというワタシのお決まりパターンがあって、この『唐山大地震』もそのパターンに見事にはまった映画だった。

 20世紀最大の被害を起こした1976年の唐山地震について、そうした地震があったことを、この映画で初めて知った。2008年の四川大地震と今年4月の青海省での大地震は記憶に新しいが、これらは唐山市ほどの大規模の都市での災害ではない。唐山地震では、死亡者だけでも公表で24万人なのだ。これは公表であって、なにしろ、当時の中国のことなので、実際のところはどうであったのか今なおわかっていない。それほどの大規模の被害だった。この時代、中国は文革のまっただ中であり、政府は外国からの援助を拒否。北京でのパニックを防ぐため政府は、この地震の情報を封鎖した。これらが被害を大きくした原因のひとつであったと言われている。

 物語は、『戦場のレクイエム』と同じく、冒頭に衝撃的な出来事が起こり、その後は、その出来事によって人生が変わった人々のその後の人生を長いタイムスケールで描くというものだ。最初に河北省唐山市に大地震が起こる。この地震のシーンは、特撮映画を見慣れている身からすればそれほどでもないが、とにかく人が死んでいく。

 地震そのものは数十秒で終わる。しかしながら、その振動による建物の崩壊や火災等によって被害が起こる。これが地震災害である。建物も都市インフラもなにもない野原で、地震が起こりました、では、震災は起こらない。唐山市は、中国有数の工業都市である。中国有数の工業都市であるからこそ、その被害は甚大なものだった。当時、唐山市は、この地震によって壊滅したという。

 つつましいながらも幸せに暮らす、どこにでもいるような若い夫婦の家族が、この地震に巻き込まれる。崩壊していく住居ビルの中にいる二人の子供、姉と弟を助けようと父親はビルの中へ飛び込み帰らぬ人になる。二人の子供は、瓦礫の下敷きになる。救助の男達は、二人のうちの一人しか助けられない、どちらを助けるかと母親に問う。母親は子供二人を助けられないかと嘆願するが、それが無理だとわかり、弟の方を選ぶ。瓦礫の下で、こ母の言葉を姉は聴き、そして気を失ってしまう。

 結局、子供は二人とも瓦礫の下から救い出されるのであるが、姉の方は死んだものと思われ、その場に置き去りにされる。雨の中、息を吹き返した女の子の見た風景は、累々たる死者が横たわる災害現場だった。救援活動をしている人民解放軍の人が、この子を保護し、そして、子供のいない軍人夫婦がこの子を養女として育てることになる。

 母親は、この時の選択がその後の人生でぬぐい去れない負い目となる。姉の女の子もまた、この時の母の選択が、その後の人生の重い傷になる。これがこの物語のテーマだ。

 この女の子の養父を、陳道明が演じている。実は、僕はこの人の映画ということで、この映画を見ようと思ったのだが、見る前に、陳道明がどんな役でなにをするのかまったくわからなかった。予告編を見ても出てこない。どこで陳道明が出てるのかと思って見ていたら、人民解放軍の人で、女の子を引き取り、娘として育ていく人として出てきた。この陳道明がいい。この人は皇帝やマフィアのボスとかいった役が多いが、あの雰囲気ががらっと変わって、小さい身体に悲劇を背負った娘を心から想ういい養父になっている。軍人といっても戦闘部隊の人ではなくて、ごくフツーの軍の人でいい感じになっている。やはり、陳道明、名優だ。ちなみに、この映画は、災害救援活動に活躍する人民解放軍のみなさんといった感じで、とにかく人民解放軍がカッコいい。

 母親を演じる徐帆が、若い母親から年老いた老年の母親を見事に演じている。成長した娘を演じている人が、どこかで見たような人だと思っていたら、『七剣』で出ていた姉姉であった。この娘の大学での恋愛相手の男子学生を演じているにーちゃんも『七剣』で出ていた人であった。この娘は、ある出来事で大学を退学になり、英語の個人教師をしながらシングルマザーとして生活し、外国人と結婚してカナダで暮らすという平凡ではない人生を歩む。

 この映画は、1976年の唐山地震のその後から2008年の四川大地震という、なんと30年間ものタイムスケールで話が流れていく。物語の最初に、唐山の市街風景のシーンがある。みんな人民服を着て、大通りには車は大型トラックしか走っていなくて、人々は自転車に乗っている風景だ。思えば、自分が知識として持っていた中国のイメージはこれだったなと思う。つまりは、1970年代の毛沢東がまだいて、開放政策前の中国が自分の知っていた中国なのであった。結局、日本での中国のこれまでのイメージというのは、そういうものだった。

 この姉と弟は、四川省で大地震が起きたことを知り、救援ボランティアに行く。二人はそこで再会する。この再会のシーンは、割合あっさりしていて。もっとなんかあってもいいのではと思ったが、このへんからも、この物語は姉と弟の物語ではなく、娘を捨てざる得なかった母親と、母親に捨てられた娘の物語なんだということがわかる。

 姉は弟に連れられて、30年ぶりに唐山市へ行く。その街は、当時とはまったく違う、発展した街になっていた。この街の風景の変化の描写が見事で、この30年間で、中国は別の国になったかのように発展したことがわかる。救援活動での人民解放軍のカッコよさや、この30年間での中国の発展ぶりをみせるなど、この映画は、国策映画であるとも言われているらしい。

 母と娘の対面で、死んだものと思っていた娘を置き去りしたことを謝る母親を、あの当時、十分な救援活動ができず、これほどの大規模の災害になってしまった国からの謝罪に重ねることができるという評論をネットで読んだ。しかし、そこまで深読みする必要があるのかどうか。2008年の四川大地震では、中国政府はイメージ対策にかなり配慮していたと思う。この映画では、なぜこれほどの規模の死傷者になってしまったのかということについての問いかけはない。このへんもまた国策映画と言われる所以である。

 それはそれでわかるのであるが、その一方で、この災害に直面した人々にとってそうしたことはもはや意味がないのではないか。もちろん、これから起こる災害対策のために、そうしたことはしっかりとやらなくてはならないが、それを映画にもってこなくてはならないわけでもないであろう。さらに言えば、今の中国は、映画で現政権が批判ができる国ではない。この映画には震災を金儲けにしているなどの批判もあるが、優れた作品には批判も多い。

 ラストの慰霊碑のシーンに流れるフェイ・ウォンの般若心経がいい。ここはやはりフェイ・ウォンだろう。中国語で般若心経を始めて聴いた。結局のところ、生者は死んでいった人々への鎮魂の意を表すことしかできない。地震によって、互いに心の傷を負いながら、それぞれの人生を歩まざる得なかった母親と娘。そうした人々は、この母親と娘以外にも無数にいたのだろう。そうした数多くの人々の想いを、フェイ・ウォンの般若心経が静かに清めていく。

 この映画もまた日本で公開することはないかもしれない。こうしたまっとうな良質の中国映画に、今の日本で観客が数多く入るとは思えん。言葉は北京語とは少し違うなと思っていたら、唐山の発音であるらしい。


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