ファリード・ザカリア"The Post-American World"を語る
Fareed Zakariaの"The Post-American World"についてのBBCのインタビュー動画。
ようするに、この世界は経済によってリンケージされていて国境なき世界(ボーダーレス)になっているが、政治の世界では依然として国境がある。しかしながら、ボーダーレスな潮流、つまり産業や情報の国境なき動きが、旧態依然とした政治の世界を変えていくという、20年くらい前から当時マッキンゼーにいた大前研一さんが言っていたようなことを言っている。あの当時、大前さんは、日米の経済関係はボーダーレス化していることから、世界経済全体がボーダーレス化しつつあることを論じた。あれから20年、さらに言えば、21世紀のこの10年で、この世界は実質的にグローバル経済が覆うようになった。この10年で、本質的変化が起きたのである。
重要なことは、これはいわゆる「アメリカの没落」ではないということだ。「アメリカの没落」ではなく、「その他の国々が台頭してきた」ということだ。
日本で言えば、19世紀以後、アジアで日本は唯一の近代化に成功した国であった。この時代、産業社会の国家とは、日本以外にはなかったのである。しかし、21世紀の今、日本以外の国々、中国、韓国、台湾もまた急速に発展してきた産業社会の国である。それは同様に、インドやロシアなどについても言える。アジア経済において、日本は今でも巨大なパワーを持つ国である。しかしながら、その他の国々もまたアジア経済において大きな位置を持ち始めている。日本が没落したのではなく、日本以外の国々が台頭してきたのである。先に親米の人々の愚かしさを述べたが、今の東アジアを嫌中感情や嫌韓感情でしか観ることができない我が国のナショナリズムの人々もまた、世界の見方が間違っているとしか言いようがない。中国も韓国も、反日が目的ではない。彼らは、ポスト・ジャパン、日本以後のアジアに対応していかなくてはならず、そのために(反日も含めて)(笑)「いろいろやっている」のである。
そして、それは日本自身についても同じだ。ポスト・ジャパンの東アジアに、日本はどう対応していくのか。これからの時代は、日本と中国と韓国を「ひとつ」のフレームで観ることができる視点というか能力のようなものが求められるであろう。今、「日中韓」という枠組みで国際社会と世界経済を語ることができる人は少ない。そうした論者は、少なくとも今の自分の知る限りでは、北京にも上海にもソウルにも台北にもシンガポールにもまだいない。インド出身のFareed Zakariaにも、それはできていない。それは、我々、東アジア人で国際社会に関心を持つ者の課題である。
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