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August 02, 2009

プラハ演説に反対する国

 アメリカのシンクタンク「憂慮する科学者同盟」(UCS)のグレゴリー・カラキー氏が日本人に向けたメッセージを見て欲しい。

 アメリカは、オバマ政権によって今、新しい核政策に変わろうとしている。一言で言えば、核兵器のない世界の実現だ。ところが、これに反対している人々がいる。そういう連中は、オバマのカイロ演説やプラハ演説に反対する国防総省とか、国家安全保障会議とか、軍事産業とか、旧ネオコン一派の連中だろうと思うかもしれないが(まあ、そうだけど)、なんと、それに反対しているのは我が国、日本国の政府であった。ようするに、日本国政府としては、アメリカの軍事パワーが低下すると「困る」のである、というわけである。このように、アメリカのいわば「理想」的な方向への転換を、日本政府が反対するということは、これまでも何度もあった。アメリカの国防総省とか、国家安全保障会議とか、軍事産業とか、旧ネオコン一派とか(あーくどいか)(笑)、いわゆるそうした人々を支持する人々が日本にもいる。この人たちは、アメリカが巨大な軍事パワーで世界を管理し続けることが、日本国の国益になると考えている。この考え方自体が、そもそも間違いであり、かつ、アメリカそのもの未来にとっても良い選択ではない、ということがこの人たちにはわからないのであろう。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

アメリカの「理想」的な方向への転換、と仰られるが、それは一体誰にとって理想的なのか、全く言及されていないのはどういうことか。
憲法9条の存在により脆弱な自衛権しか持ちえぬ我が国が、未だアナーキーな国際社会において、その安全を確保してきた手段が無くなるやも知れぬという時に、それを黙ってみているほうが異常ではないか。
アメリカの軍事力が低下するならば、その庇護下にある日本は自らの自衛権を拡大せねばならない。しかしそれには説明するまでもなく長い時間と巨大な対価が必要だ。そして、今の我が国にそれ払うだけの能力は無い。
核の無い世界は理想かもしれない。また、その旗振り役にアメリカ自らが手を挙げるのもまた道理であり、理想であろう。しかし、そのときに我が国の安全保障が如何なる局面に立たされるか、ということは常に留意されねばならない。

Posted by: | August 10, 2009 at 12:02 AM

「しかし、そのときに我が国の安全保障が如何なる局面に立たされるか、ということは常に留意されねばならない。」

というのは確かにその通りであると思います。しかしながら、その結論として、これまで通りの世界がこれからも続くことをアメリカに求めるというが私には理解できません。

アメリカには、アメリカの事情があります。アメリカの事情として、アメリカは、アメリカ単独の軍事パワーによる世界覇権の維持ができなくなってきたということを我が国は知るべきです。

これに対して、在日米軍維持のコスト(思いやり予算も含む)を支払うから、これまで通りの旧態依然とした「日本防衛」をやってくれというのは、都合がいい甘えとしか見えません。アメリカの軍事力の圧倒的優位性に基づく世界秩序の安定と平和という考え方は、もはや時代遅れの幻想以外のなにものでもありません。その幻想にすがることこそ危険だと思います。現在、およびこれからの時代の新しい軍事的リアリズムに基づいた新しい安全保障を考えることが必要なのではないでしょうか

「しかしそれには説明するまでもなく長い時間と巨大な対価が必要だ。そして、今の我が国にそれ払うだけの能力は無い。」

その通りです。その第一歩を踏み出そうという意志はないのですか。我々自身が変わろうという意志はないのですか。この半世紀以上にわたるアメリカ従属的な日米関係をまだ続けようというのですか。実質的には我が国の防衛にならない「日本防衛」を、これからも続けてくださいと言うのですか。

Posted by: 真魚 | August 11, 2009 at 04:14 PM

>その第一歩を踏み出そうという意志はないのですか。我々自身が変わろうという意志はないのですか。
 返信ありがとうございます。もちろん、私個人としては日本が自らの国益、国民の生命、財産を守るに十分な自衛力を得ることが必要であると考えています。独立国家なのですから、それが理想であり、また当然であることは言うまでもありません。しかし、それを現実の物とするには途方も無い時間と経済的な対価が必要であることも留意せねばならない、ということも、否定できない事実でしょう。
 今後、アメリカの軍事的、経済的な力が及ぼす影響力が弱まり、国際社会のアナーキーな本質がより露出しやすい状況が生まれるのならば、日本もそれに向けて備えなければならないことは当然です。それが、「我々自身が変わろうという意志はないのですか」という問いへの答えになるかと思います。
 当然、日本の安全保障が変化するには長い時間と対価が必要なのですから、そのための、言わば「時間稼ぎ」が必要なのではないか、ということを示したかったのです。
 理想を実現するためには、まず現実を認識し、課題を定義し、その解決法をさぐる必要があること。この認識を欠いた理想は危ういのではないでしょうか。

Posted by: | August 21, 2009 at 01:06 AM

 北○○とか、中○とか核兵器を持った国が脅威としてあるのに、非核三原則みたいな理想的なことを言ってる場合ではなーい。核抑止力は必要なのだ。われわれも核武装を考えなくては。それが現実だー!!と自分たちが一番現実をわかっているような言い方をされる方が多くて困ります。われわれは実はいつでもかんたんに核武装できるのが現実です。核兵器5000発分以上の分離済みプルトニウムを持ち、自前で静止軌道に打ち上げられるロケット制御技術を持ち、あとは起爆の技術のみですが今はほとんどコンピュータでシミュレーションできます。また通常兵器と違い、抑止力ですから実際爆弾としての完成度はそれほど問題にはなりません。つまり、核武装、防衛力云々を声高に主張する人たちは、わが国の偉大な力を非現実的に過小評価する、実は自虐史観の人たちではないですか。IAEAは日本に対して厳しい査察をしていますが、そんなものは、屁のツッパリにもなりません。だって、最終的に製品にしていないだけなのですから。偉大で奥ゆかしいわが日本国は、夜郎自大にちゃちな核兵器で脅しをかける低級な国にびびる必要はまったくありません。いつでも核武装できる力を持ちながら、「われわれは作るつもりはありませんよ。」といい続けるのが偉大な国の品格というモノです。

Posted by: monjiro | September 21, 2009 at 04:25 PM

「核兵器は持ちません」と言うだけであるのならば、なんの意味もありません。「で、どうするのか」が問われているのです。もちろん、「核兵器を持ちます」でもなんの意味もありません。国の品格とは、核兵器があるから強いとか、核兵器がないから弱いとか、そうした次元の話ではありません。

Posted by: 真魚 | September 21, 2009 at 11:26 PM

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Tracked on August 02, 2009 at 01:56 PM

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