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June 2009

June 16, 2009

映画『ハゲタカ』を観る

 北京にいたある日、王府井大街にある巨大ショッピングモール「東方新天地」のスターバックスでコーヒーを飲みながら、僕は経済のグローバル化について考えていた。

 北京には、スタバもあるし、マクドナルドも、ケンタッキーも、吉野屋もある。かつて、New York Timesのジャーナリストのトーマス・フリードマンは『レクサスとオリーブの木』の中で、マクドナルドのある国同士は戦争を行わないと書いた。こうして中国にはマクドナルドがある。これはどう考えればいいのか。

 ようするに、今や中国でも、人々の暮らしがグローバルな経済に組み込まれているということだ。経済はボーダーレスであり、企業と情報と金は国境を超える。そしてまぎれもなく中国は、そのボーダーレス経済の中にあることを、「東方新天地」にいるとつくづく実感する。これはもう中国と戦争がどうこう、という時代ではなくなったな。

 これを、全世界を覆う資本主義がついに中国に侵入し始めた、と言ってしまうとミもフタもないことなのであるが、事実上そうではないかと言われると、そうですねとしか言いようがない。それと、これに反対する視点として、中国政府が「その気」になれば、スタバも、マクドナルドも、ケンタッキーも、吉野屋も閉鎖して営業停止にすることができるではないか、という意見もあるであろう。これもまあ、そう言ってしまうとミもフタもないことなのであるが、事実上そうではないかと言われると、そうかもしれませんねとしか言いようがない。ただし、では戦争は可能かというと、ボーダーレス経済なくしてパソコンすら供給できない今の時代では、世界経済から孤立して大規模な戦争を行うことは不可能である。

 しかしながら、戦争がないとしても、ボーダレス経済の中での競争は、戦争に勝るとも劣らない戦いである。そして、ここに今や中国やインドや中近東諸国が参入し、グローバルな規模での金融や物流の運用が繰り広げられている。

 もうひとつ北京で感じたことは、変わりゆく中国、ということである。王府井や北京商務中心区は、北京のボーダーレス経済の最先端の場所のひとつであろう。しかし、豊かであるのはごく一部であり、大多数は貧困のままである。中国にグローバル経済が入っていくということは、絶対的貧困の人々の前にモノが溢れた世界が広がるということであり、そのモノを手に入れるには、つまりはカネを得るということになる。

 今、「豊かであるのはごく一部であり、大多数は貧困のままである」と書いたが、では、そうした格差があるのはよくなく、数多くの人々が豊かになればいいのか、というとそうでもないなとも思う。つまり、人はなんのために働くのか、ということだ。もちろん、幸福になるためであろう。では、その幸福とは何であるのか。例えば、北京商務中心区で働いて、休日は王府井でショッピングするライフスタイルが幸福なのかというと、それは人それぞれであろうと思う。しかしながら、このへんの自由な感覚が今の北京には感じられない。ようするに、お金をより多く得るのが幸福なのだという意識がある。鄧小平が言ったように「先に豊かになれる人が豊かになればいい」ということなのだ。経済発展を遂げてしまった国から見ると、これから経済発展をしていこう、貧困から脱出し豊かなろうという国の人々が、拝金主義のように見えてしまうのはしかたがないことであろう。中国は、今でも鄧小平時代の新自由主義的な考え方が生きている。

 新自由主義とは、つまりは、お金儲けができる能力を身につけ、お金儲けができる機会を得て、お金儲けをしましょうということだ。そのため、結果的にお金儲けができる能力があり、お金儲けができる機会を得ることができた者は勝者になり、そうでない人々は敗者になるのは当然であるという考え方である。

 これはこれで考え方のひとつとしてまっとうであり、説得力のある考え方である。お金儲けができる能力を身につけたのは自己努力によるものであり、お金儲けができる機会を得てきたのも自己の努力によるものである。そうした自己の努力を認め、評価する社会が「正しい」社会なのだとする考え方である。いわば、「お金を儲けて何が悪いんですか」ということだ。

 この考え方は、考え方のひとつとして「正しい」と思う。しかしながら、1980年代のアメリカのレーガンやイギリスのサッチャー政権下から始まった、福祉や公共サービスを縮小し、公営事業を民営化し、市場の規制を緩和して自由競争を促進し、労働者の保護を廃止するなどといった数々の政策が、結果として貧富の格差の拡大をもたらし、2000年代のブッシュ政権になって金融資本が経済のファンダメンタルを破壊するほどのバブルを生み出し、今日の世界金融危機を起こした。そうした資本主義の荒廃した焼け野原に、今我々はいる。今の時代は、崩壊していく資本主義が、内部の弱い部分を切り捨てて、それでもなお生き残ろうともがいているかのように見える。しかし、その資本主義システムの中にいるのは、我々、人である。では、人は、なんのために資本主義経済を生み出したのか。

 というわけで、映画『ハゲタカ』を観た。膨大な資金を持つ中国系ファンドが日本の代表的な大企業を買収しようとするという、近い将来に十分あるうることからこの映画は始まる。NHKの、いかにもNHKのドラマと言うべき『ハゲタカ』の、その後の2009年版とも言うべき内容になっている。

 見ていて、ああそうなのかと思うシーンが満載で、NHKドラマの方を見ていない人は、ぜひ見てからこの映画の方を見ることを勧めます。ちなみに、映画のパンフの中にストーリーが書いてありますから、映画を見る前には見ない方がいいです。自分は見終わってからパンフ買いましたのでよかったです。さらに言えば、1997年の銀行破綻から2009年の世界金融危機の今に至る日本経済の出来事を把握してから見ると、この映画の内容はさらによくわかります。派遣社員や非正規社員の雇用問題など、今のこの国が抱える数々の社会問題をこの映画は浮かび上がらせています。

 中国ファンドに対抗するために、鷲津があそこへ行ったということが、おーここへ行ったかと思った。中国金融に対抗するには、欧米以外となると、ロシアかここしかないなと思い、これはなるほどと思った。ここならば確かにカネが無尽蔵にあるよな。ここと手を組むことで、中国や欧米に対抗できるんだと思った。これすごい重要だ。で、鷲津さんって、ここの国の言葉も話せたんですね。

 映画の中の、この国は、小泉改革でも何も変わることがなかったという台詞が印象的だった。世界で何が起ころうとも、この国はなにも変わらない。

 メインのキャストはNHKドラマの時と同じ。大森南朋が遠い眼をすると、あーこれ鷲津だなということを感じさせる。鷲津が最後にやったどんでん返しは、日本のいち企業の買収劇以上のことだった。腐っているのは日本だけではなくアメリカも同じであり、いわばボーダレス金融そのもの全体を相手にしていた。この男はやはり天才だ。栗山千明の三島由香はちょっと化粧が濃くなったと思うが、まあ年齢が進んだということで、今やニュース・ジャーナリストか。この子もマスコミの現実の前で悩む。その姿は見ていて凛々しい。由香に限らず、この映画に出てくる人物は、みんな凛々しい。芝野さんは相変わらず理想主義者であり続ける。理想があって、人は物事を変えていく。だから、人は理想を持つ。

 そして、金融とかボーダーレス経済とか、いろいろコムズカシくてヤヤコシイことがあるのだけど、結局、人はなんのために働くのか、お金とはそもそもなにか、ということ考えさせられるラストだった。もう一度、映画館に見に行きたいのだが、さて時間があるかどうか。

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June 07, 2009

オバマのカイロ演説

 オバマのカイロ演説は、アメリカの中近東やイスラエル政策だけではなく、国際社会そのものの大きな変化になるだろう。アメリカの新しい外交の始まりである。イートスウッドの『グラン・トリノ』が、これからのアメリカは異文化への寛容をもう一度取り戻すことと暴力の連鎖を自ら断ち切ることの必要性を述べていたことに応じるかのように、オバマは新しいアメリカの外交をイスラム社会に語った。今後、アメリカの外交が大きく転換するのならば、この演説は歴史に残る演説になるだろう。これを聴いていると、イスラム社会を敵対視し、イスラエルを擁護する共和党ブッシュ時代というのはつくづく間違った時代だったということがよくわかる。As the Holy Koran tells us, "Be conscious of God and speak always the truth." なんてキリスト教右派が多い共和党には言えないであろう。

President Obama Speaks to the Muslim World from Cairo, Egypt

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June 01, 2009

イーストウッドの『グラントリノ』を観る

 GWに中国へ行く前のことである。用があって実家へ帰った。実家では、おそらく私が生まれる前から読売新聞を購読している。自分は自宅で新聞をとっていないので、実家に帰るたびに、その数週間前あたりから当日までの読売新聞を片っ端から読む。その時、その読売新聞の映画紹介の記事に、クリント・イーストウッドの新作映画の紹介があった。

 その映画は『グラントリノ』といって、イーストウッドは朝鮮戦争の英雄で、戦争後フォードの自動車工場に長く務めてきて、定年退職して余生を過ごしている老人を演じている。妻を亡くし、息子たちに同居を勧められてもわずらわしく、とにかく50年代の良き伝統を無くした今のアメリカで、見るもの聴くものみんな腹ただしくてしょうがないという頑固で保守な老人である。そうした老人の隣の家に、アジア系の一家が引っ越してくるという話の物語であるという。

 これは見なくてはならんなと頭の片隅に記憶をしながら、中国に行っている間はすっかり忘れていて、そして帰って、さあスタトレの新作映画を見に行こうかと思ったその時、おーそういえば、イーストウッドの映画もあったなと思い出して、じゃあ行ってみようかと思って見に行ってきた。

 ようするに、その程度の、あまり内容を事前に調べることなく、時間があったので映画館に見に行ったということだけだった。

 ところが、である。これが良かった。

 あのラストシーンを事前に知ることなく、この映画を見たことは幸運だった。とにかく、イーストウッドが最後にああしたということが衝撃だった。

 力に対して力で対抗するのは、アメリカの建国以来のスタイルである。これに対して色々なことが言えるが、こうでしかありえなかったというのは(それは不幸なことであったが)アメリカの歴史である。だからこそ、銃がアメリカ人の魂のようなものになっている。銃を持って自分の身を守る。イーストウッドは、『ローハイド』や『荒野の用心棒』の時から、まさにアメリカのこのスタイルそのものであり、彼は自分の信念を、国や権力や体制に頼ることなく、自分の力(銃)で貫く男を一貫として演じてきた。それは『ダーティハリー』でも『許されざる者』の時でもそうだった。そのイーストウッドが、老いた先に出した「結論」がこうだったということが、かなり重く心に残った。

 アメリカはもともと移民の国であった。みんな移民の子孫たちである。その国が、今は国内のアジア系やヒスパニック系やアラブ系などに拒絶感や不快感を示す国になっている。そうした人々への教育や就職の援助は極めて低い。今のアメリカは、受容する心を失っている。911以後から、その傾向が強くなり今に至っている。

 もうひとつの問題は、アメリカが過去に起こしてきたアジアや中近東での戦争だ。アメリカは他国を蹂躙し、多くの一般市民に犠牲者を出した。その罪を贖うことない傲慢なアメリカの態度が、世界で反米・嫌米感情をもたらしている。テロという暴力に戦争という暴力で対応することが、新たなるテロを生む土壌を作っている。

 暴力が暴力を生む、この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいのか。彼は、それはアメリカ自身が変わらなくてはならないと言っているのである。“CHANGE”. 初のアフリカ系大統領が誕生した今のアメリカで、奇しくも同じ考え方をイーストウッドが言っていることは、たんなる偶然ではない。結局は、今のアメリカが抱える数々の問題を前にして、アメリカ人自身が見い出すべき道は、保守もリベラルもない。真実に対して誠実であるのか、どうかの違いだけなのである。

 イーストウッドは保守主義者である。その彼が、こうした「おとしまえ」を自分でつけるということに、最高の保守主義を感じる。このラストシーンは、確かに彼のこれまでの映画の「スタイル」、アメリカの「スタイル」とは別のものだ。しかし、その姿に『ダーティハリー』や『許されざる者』と同じ「男」を感じる。その意味で、クリント・イーストウッドは一貫とした、確固たる保守主義者であり、今でも荒野を独り行く、魂のガンマンである。

 今のアメリカで、本当の保守であるということは、どういうことなのかということを、この映画は教えてくれるのである。

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