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May 2009

May 30, 2009

映画『ブッシュ』を観る

 オリバー・ストーンの映画『ブッシュ』を観た。史上最低の大統領と呼ばれるジョージ・W・ブッシュの伝記映画だ。

 ここでこんなことを書くと、それはウソでしょうと言われるかもしれないが、ワタシは基本的にアンチ・ブッシュではない。そもそも、この人には合衆国大統領の職は無理なのであると思ってきただけだ。今のアメリカを悪くしたのは、ジョージ・W・ブッシュであるというのならば、それは酷な話であろう。アメリカを今のような悪い状態にしたのは、2000年の大統領選挙で不正選挙を行ってまでブッシュを大統領にしたかった「ある勢力」というか「ある人々」であって、ブッシュその人ではない。ブッシュその人は、その「ある勢力」というか「ある人々」に、巧みに利用されただけなのである。もちろん、だからと言ってブッシュその人に責任がないというわけではないが。

 では、その「ある勢力」というか「ある人々」とは一体何であったのか。オリバー・ストーンのこの映画は、そこには触れない。この映画は、ブッシュその人に焦点を合わせ、かくも父親へのコンプレックスに悩んでいた人物であったかということを物語る。ジョージ・W・ブッシュは、祖父プレスコット・ブッシュが上院議員、父親ジョージ・H・W・ブッシュが上院議員であり、そして第41代合衆国大統領であるという名門の長男として生まれた。しかしながら、まるで絵に描いたような典型的なバカ息子であった。親のコネでイェールとハーバード大を出る。親の関係する石油会社で働くが、現場の仕事が辛くてすぐに辞める。何をやっても上手くいかない。これに対して、弟のジェフは勉強もできるし、フロリダ州知事になる。こうした諸々のことから、彼はアルコールに救いを求め、神への信仰に救いを求めるようになる。父親への反発は、神からの啓示という形になって、彼にテキサス州知事への道を歩ませ、そして大統領選挙への出馬に向かわせる。

 これらはみな喜劇以外のなにものでもない。映画の中でも出てくるセリフであるが、人はそれぞれ器がある。ブッシュは大統領になる器ではなかった。とにかく、ブッシュ政権時代の2001年から2008年までのアメリカは最悪だった。

 リチャード・ドレイファスが演じるディック・チェイニーがうまい。ジェフリー・ライトが演じるコリン・パウエルが「なぜ(911とは何の関係もない)イラクを攻撃するのか」という問いに対して、結局は石油の確保のためというチェイニーの説明は、もはや常識といってもいいイラク戦争の目的のひとつだ。大量破壊兵器が見つからなかった時のブッシュの反応が痛々しい。それは己の愚かさが招いた過ちであるが、その過ちを前にして何をすることもできない、その姿は哀れでさえある。大量破壊兵器など何ひとつなく、イラクを混乱と無秩序にし、アメリカを世界の嫌われ者にしたその罪を反省せよと言っても、そういうレベルの話ですらなかったのだ。

 私は、オリバー・ストーンの『ニクソン』で、ケネディへのコンプレックスのカタマリであったニクソンの姿を見て、ニクソンへの評価を変えた。同じく『ブッシュ』を観て、ブッシュの評価を変えたい。ジョージ・W・ブッシュは喜劇であり、悲劇の人であった。今のアメリカがこうなってしまったことに反省すべきなのは、こんな人物を合衆国大統領にした者たちであり、そして、こんな人物が合衆国大統領になっているアメリカを支持した者たちなのである。

映画『スタートレック』は見事な出来だ!!

 スタートレックの新作映画はアメリカで見ることが多い、っていうか、スタートレックの新作映画を見るためにサンフランシスコへ行っているわけであるが、今回は東京で観た『スタートレック』。これがまた見事な出来で、ものすごくいい。あのAでもなくBでもなくCでもなくEでもない、U.S.S.エンタープライズNCC-1701の雄姿をもう一度映画のスクリーンで観ることができるとは思わなかった。スタートレックのファンとして感動ものの作品である。

 物語の内容については多く語られているので、ここでは述べない。「彼」が出るということは、ネットでちらっと読んだくらいで、本当に出てくるというか、物語の中で重要な位置を占めていて、それでいて、スタートレック・シリーズの中で何度も出てくるタイムトラベルものの定番的ストーリーにはならず、前回の映画『メネシス』よりはしっかりとした話になっている。未来から誰が来ようがきまいが、そんなことはどうでもよくて、「今」の人間はとにかく精一杯やるしかないという雰囲気というか態度があるのがいい。

 カークにせよ、ウフーラにせよ、スルーにせよ、チェコフにせよ、スコティにせよ、ある意味で特殊な技能というか、自分の得意分野があり、その分野でのスキルを伸ばしていくことに、並々ならぬ情熱を注ぎ込むワカイモンである。このへんがいかにもアメリカらしい。日本でそういうことをやると、間違いなく「変な人」に見られる。しかし、「変な人」どころか、人は「本来そういうもん」であり、あたりまえのなんでもないことなのだ。ワカイモンっていうのは、いや、ワカイモンでなくても、オジサン、オバサンであっても、人はとにかく自分の得意分野、自分の関心のある事をどんどんやっていけばいいのだ。他人がどうこう、周囲がどうこう、ということはどうでもいいことなのである。

 この映画自体、監督は1966年生まれで、もはやクラッシックと呼んでもいい往年の名作SFをリメイクして作ろうという、その精神を賞賛したい。そして、それを映画ビジネスとして成り立たせるインフラがあるのは今の世界の中でアメリカしかない。社会が自由であるということ。自由な社会とはどういうものなのかということを、自分はスタートレックを見るたびに、そのことを強く感じる。ここにこそ、アメリカの良さがある。

May 07, 2009

中国旅記5

というわけで、ここは成田第二ターミナルである。

行く前は、これからどんな苦労が待っているであろうかと思ったものであるが、さほど苦労したこともなく、とにかく歩き回ったというだけであった。

紙の手帳の方にはそれなりに書いていたし、デジカメと携帯で写真を今回は数多く撮ってきたので、後日整理してアップしたい。

May 05, 2009

中国旅記4

1日から3日の3日間、中国は連休であった。北京では、「今年メーデーの連休中、北京市は国内外の観光客、延べ370万人を受け入れ、去年同期より22.7%増えた」であったという。だから、あんなに人が多かったのかと思う。とにかく、天安門広場の人の数がものすごかった。地下鉄の人の数もものすごかった。「人海」という言葉を実感したというのが、いかにも中国に来たな感じがすると思ったものだったが。とにかく、人の数が多かったのである。

というわけで、4日の今日は平日なので、それほど混むことはないだろうと天安門広場へ再度行ってみると、2日ほどではなかったが、それでも結構な人の数であった。とにかくまあ、いつ行っても人が多いということなのであろう。

前回は、人の多さで恐れをなして入ることがなかった故宮博物館、つまりは紫禁城へ入る。

紫禁城は、かつての皇帝の政務の場所であり、住居である。今では、世界遺産となり、世界各国の観光客のみなさんが、こうしてどんどん入っていく。

自分もまた観光客の一人として、紫禁城の中へ入っていた。おおっ、これは『ラストエンペラー』のあのシーンではないかみたいな光景が多く、興味深かったわけであるが。この中を歩きながら考えてしまった。ワタシは日本人である。日本には、今でもエンペラーがいるのである。

これを日本の場合で考えてみれば、共産党が革命によって政権を奪取し、日本が共産主義国家になったとして、その政府が皇室一家を皇居から撤去させて、皇居が観光地になるということなのである。皇居は世界遺産にでもなって、全世界からの観光客が押し寄せる、ということなのである。今、京都の御所は観光地にはなっていない。あの場所には、一般人は入ることはできない。これは、天皇制であることには、明治以前も、以後も変わっていないからだ。

中国の歴史では、王朝が変われば、前の王朝のものなどガラクタ同然のものになるかというと必ずしもそうではない。紫禁城は、清朝の前の明朝でもあったし、さらにその前の元朝の時からあった。王朝が変われば、前の王朝のものは破壊されるのならば紫禁城など、元から明に変わった時になくなるものであった。しかしながら、紫禁城は受け継がれ続けたのである。そして、中華人民共和国はこれを受け継ぐことはなかった。

ただ、これを共産主義革命による変化と考えるのも十分ではないと思う。そもそも、紫禁城をシンボルとする中華文明では近代に対応することはできなかった。紫禁城的なものがある限り、中国は近代化できないということは、20世紀の中国の時代の雰囲気のようなものであったし、それを実行し、紫禁城的なものを徹底的に破壊し、紫禁城そのものを広大な観光地にしたのは、いわばなるべくしてなったとも言えるであろう。さらに言えば、日本はエンペラーを残しつつ近代化に成功したが、中国はエンペラーを叩き出さなくては近代化はできなかった。もちろん、どちらが良い悪いというわけではない。

明治政府は、徳川宗家の居城であり、徳川幕府の中心地でもあった江戸城を破壊することをなく、そのまま天皇家が居住する場所とした。このことに政治的な意味があったとするのならば、明治維新は徳川日本から天皇日本への「革命」であり、武家政権が確立した以前の古代日本と同じになるという「王政復古」であった。しかし、天皇が政務を行うわけではなく、つまりは、祭政一致ではなく政教分離であった。ただし、それでは完全な政教分離であったのかというと、そうではなく、その曖昧さが軍部の独走を生み、20世紀の日本は戦争へと進み、国家が崩壊した。

で、それでは中国はどうか。晩年の毛沢東はエンペラーのようではなかったのかとか。広い紫禁城の中を歩き回りながら、疲れ果てたアタマでそういったことぼおーと考えていた。

紫禁城の中のスタバを探したのだか見つからず。なくなったようだ。紫禁城の中で、グローバル資本主義の代表たるスタバでコーヒーを飲むことを楽しみにしていたんだけどなあ。

May 03, 2009

中国旅記3

なんかコメントの書き込みができない。
なにゆえか、禁止になる。
中国からはダメってことか。
しかし、こうして記事部分の投稿はできるのか。

中国も連休のためなのか、昨日の天安門広場はものすごく人が多かった。

というわけで、先のおぎしんのコメントへの返事をここに書いておきます。

漢字は同じと言えば同じだけど、違う部分もかなりある。それと単語としての漢字が同じでも、用法や文法が根本的に違う(あたりまえだな)(言葉の背景にある文化が根本的に違う)(ということが、ここに来るとホント骨身に染みるように思い知らされる!!)(とにかく違う!!)ので、中国語と日本語は本質的に違う言語であると思った方がいいよ。たまたま、似ている漢字がありますね、ということなんだと思った方がいい。

May 02, 2009

中国旅記2

北京に到着した。成田発18時20分の便なので、北京空港について、入国審査を経て、荷物を受け取ってタクシーに乗る頃にはもはや深夜である。ホテルについて、荷物をほどき、ホテルの周りを歩き回る。ホテルに戻り、ではという感じでホテルのインターネット接続につなげると簡単につながった。宿泊しているホテルがアメリカ系のホテルなので、ネット接続はできるだろうと思っていた。

しかしながら、携帯やデジカメで写真も撮っているのであるが、ネットブックにそれらの画像をもってくるケーブルを持ってこなかったのは失敗だった。というわけで、画像なしである。

May 01, 2009

中国旅記1

中国へ行く。

というわけで、ここは成田空港の第2ターミナルである。JALは、第2ターミナルになることを、さっき第2空港駅に止まった京成ライナーの中で初めて知って、あわてて京成ライナーから飛び出した。思えば、日本の航空会社で外国へ行くのも初めてなのだ。

ちなみに、今回の北京の旅は、こりゃあもう中国に行くのだからというわけで、日頃、自分の稽古で使っている中国剣術の剣を一振りもってきたのであるが、京成ライナーの改札を出て、空港へ入る前の持ち物検査で、さっそく尋問となり、警官立ち会いのもと、住所、氏名等を書類に書き込むことになってしまった。木製の剣なので、銃刀法では「剣」にならないので没収ということにはならないが、とにかくまあ、文明国では武器らしきものを持ち歩くのは、いろいろややこしい。

ということは、さておき。

ちょっと中国へ旅してこようと思う。中国と言っても、チベット自治区とかモンゴル自治区に行くのならば、それなりの覚悟と根性、そしてしかるべき日数が必要であろうけど、一ヶ月も二ヶ月も行ってくるわけにはいかないので。ここはひとまず、マイ・ファースト・チャイナは北京だなというわけで、北京へ行く。

とうとう、というか。ついに、というか。である。

思えば、15年くらい前に、生まれて初めての海外旅行のタイ、インドの旅に出てから、それなりの数の国々を旅してきたが、我が人生の中で中国に足を踏む込むことは一度もなかった。日頃エラそうに、中国はどうこうと言っていながら、その国を直に自分の眼で見て、自分の足で歩いて、自分の頭で考えることをしてこなかった。

問題は、言葉である。私は日本語と英語しかできない。英語ができればなんとかなるだろうと思って、なんともできなかった国が、私のこれまでの旅の中ふたつある。当時はソ連だったロシアと、当時はイギリス領だった香港である。香港は英語でなんとかなるだろうというイメージがあるかもしれないが、香港の人々は英語を解さない。香港は広東語でなくてはならない。

この香港の時は、現地にいる友人まかせであったので、バスに乗るにも、食事をするにも友人が広東語で会話してくれるので何の不自由もしかった。

ロシアの時は、ものすごく苦労した。「ものすごく苦労した」と一言ではとても表現できないほどの、我が人生にとって、ものすごい苦労だった。私にとって、ソ連の旅は、外国で言葉が通じないと、どうなるかを骨身に染みるほど思い知らされた旅であった。言葉がわからなくてもなんとかなるだろうと思うかもしれないが、言葉がわからなくてはなんともならない。つまりは、言葉がわからないと、「言葉がわからなくても、なんとかなる」レベルのことしかできず、「言葉がわからなくては、わからない」ことはわからない。あたりまえのことであるが。だから、必死になって言葉を学ぶしかない。語学というものは、そういうものであろう。しかしまあ、ロシアでそんな苦労しながらも、その後、ロシア語を学ぶことはしなかったワタシもワタシであるが。

それを、またやろうというのである。

その昔、弘法大師空海が、大唐へ旅立った時、同じ船団に搭乗していた最澄とは違い、まったくの無名のただのワカイモンだった。しかしながら、それでもこの人は唐の都の第一級の知識人、文化人と対等に渡り合える知識と教養を持っていた。つまりは、中国語をしっかりとマスターして、佐伯真魚君は中国へ旅立ったのである。

その時から遙か千年以上の後の、キリスト教歴で21世紀の初頭に、中国に旅立とうとしているワタシは、「これはなんですか」とか「これはいくらですか」ということぐらいしか言えないレベルの中国語で中国へ旅に出るのである。

どんな苦労がこれから待ち受けているのであろうか。
ようするに、中国という国はいかなる国なのであろうか。

そうしたことをぼおーと考えながら、日本を出る。

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