この年末年始に読んでいた本は、内田先生の次の2冊の本であった。
『昭和のエートス』バジリコ
『街場の教育論』ミシマ社
『昭和のエートス』の方は昭和回顧の内容で、正月2日間で読み終わり。で、次に『街場の教育論』を読んだ。
『街場の教育論』は内容が深い。かなり、いろいろなことを考える。いわゆる、今の教育というか、教育へのビジネスメソッドの導入や就職予備校、専門学校化する今の大学に対して、なんか変だよなあと漠然と思っていたことが、この漠として感じる、そうしたものへの違和感は、こういうわけだったのかと納得できる。理想の大学空間は、学園漫画の『ハチミツとクローバー』と『もやしもん』で、今の大学生活はこうではなくなってしまったと書いてあるが、今の大学生も、まあ似たような暮らしをしているんじゃないかと思う。このへん、よくわからん。ワタシも含めて、オジサン的年代以上の人々が、過ぎし昔の大学生活を想うと、戦前の旧制高校の寮生活のようなイメージを回顧するのは、おきまりのパターンというか。今の大学生にはネットもあるし、そうそう「戦前の旧制高校の寮生活のような」ものとかけ離れてとも思えない。むしろ、そうであるのに、人生設計と目的意識をもって、就職のことを意識して、将来役に立つことを勉強せよと言う側がおかしい。
ネットでの教育では、これから学ぶものについて、まだわけのわからない者どおしが、キャンバスの中で、みんなでなんだかわけのわからないものに巻き込まれていくことによって学んでいく、ということができない、ということはまったくその通りであって、大学そのものをネットオンリーでやるのは無理があるだろう。しかしながら、ネットでの大学教育は、大学での専門教育を支援するものであって、むしろ大学を卒業した者が、もう一度、大学を授業を受けるというものだ。サイバー大学のような、大学教育そのものをネットですませるというのは稀な話である。大学教育におけるIT技術の活用というのは、もっといろいろな側面があります、とワタシは内田センセーに言いたいが、この本はそういう本ではないし。
内田先生は、フランス文学の先生なので、この本に書かれている大学教育は文学部文学科的な気がしないでもない。経済学部とか経営学部とか、理学部とか医学部とか工学部とかであると、また違う考え方もあるであろう。もちろん、だからどうということではない。
教育制度というものは、実際のところ、いつの時代においても数多くの問題を抱えている。そして、そうした「数多くの問題を抱えていた」中学校や高校に、自分も生徒として、そこにいた時のことを思うと、楽しかった。しかし、だからといって、教育が今の姿でいいとも思えず。ようは、「数多くの問題を抱えていた」教育制度であっても、その当事者たちは、それなりにやっていますということなのだろう。教育改革とは、そうしたものを改革するということであって、内田先生も書いている通り、行いながら改革をするというものなのだ。教育に問題があるので、一度、教育をストップして、メンテナンスします、ということができない。このへんに、教育問題のややこしさがある。
今の教育のあれが悪い、これが悪いと問題点を列挙し、これらを解決するためには教育のにビジネスの手法を導入して、悪い学校、悪い教師を判別し、指導する、とかではなく、むしろ、今の現場の教師がのびのびと教育ができるようにすることの方が必要であるという内田先生の指摘は正しいと思う。
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