高校の学習指導要領の改定案をつらつらと眺める
文部科学省の高校の学習指導要領の改定案をつらつらと眺める。
つくづく、自分は高校生でなくてよかったなあ、と思う。なにしろ、英語の授業は英語でやれというのである。生徒の方もたいへんであろうが、教師の方もたいへんであろう。高校で英語の授業を英語でやることに意味があるのか、私はかなり疑問に思う。
英語だけではなく、国語にせよ、理科にせよ、歴史にせよ、とにかく、あれもこれも「やれ」という。こんなたくさんの物事を教育せよというのは不可能ではないかと思う。今の高校生は、これらをやらされて、なおかつ、大学受験があるのだ。とてもではないが、オレにはできんなと思う。もちろん、文部科学省のこのお達しは、目標であり、指針である、タテマエであって、本当にこれらができると思っている人は誰もないのであるのかもしれないが。そうした、お上がタテマエをお達し、現場は現場でやっていくという構造そのものをもうやめにしてもらいたいものである。
自分がもし、現場の高校教師であったのならば、この学習指導要領改定案を見て、ひたすらうんざりし、途方に暮れるだろう。
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