もう一度、国際柔道について
もう一度、国際柔道について考えたい。
当然のことながら、試合はルールに縛られる。今の国際柔道が、柔道どころかレスリングのようなもの、それも本当のレスリングならばもっと見事の寝技をかけることができるが、中途半端なものになっているので、柔道でもレスリングでもない、なんなのかわからん、少なくても断じて柔道ではないものになっているのは、すべて今の国際柔道の試合ルールによるものだ。
選手であるのならば、試合に勝とうとする。試合での勝利を求める。そのためには、あらゆることをやる。自分の稽古のすべてを試合に即したものにする。ルールという限定された動きの中でどうやってポイントをかせぐかか目的になってしまった。ここでは、本来の柔道はどうであるのか、どうであるべきなのかという意識はない。何度も書くが、そんなことを考えていたら試合に勝てないのである。試合で勝ち負けを競い合う。それはスポーツとして当然のことであるが、それが今日の柔道を本来の姿とは大きくかけ離れたものにしてしまった。特に、オリンピックの柔道は、スポーツ化した柔道が行き着いた先の姿だと思う。それが、あれなのだ。何度も言うが、あれは柔道ではない。
ちなみに、空手もまたオリンピックでの公式競技になろうとする動きがある。結局、スポーツになると、やることは最後はオリンピックで試合をすることのようだ。日本柔道の誤りを空手もまた繰り返そうとしている。
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