さる6日(金)は、仕事で大阪へ行った。このところ、何度も大阪へ行っている。
東京駅、朝6時27分発という、仕事でなきゃこんな時間に乗るものかという新幹線「のぞみ」に、どうにか乗り込み。とりあえず、朝ご飯。

一日中かかると思った仕事が午前中で終わってしまった。やったあ。
というわけで梅田でのんびりしようかと思ったが、ものすごく久しぶりに、千里の国立民族学博物館へ行く。


前回行ったのはいつだったか覚えていないぐらい久しぶりである。まあ、行っても、中を見る時間は正味1時間ぐらいしかないのだけど。
中の展示は、おぼろげに覚えている前回の展示と、同じ部分もあれば、新しい部分もあった、ように思う。平日金曜の午後の博物館の中には、中学生の団体の子供たちと、年配のご婦人の姿がちらほら見えるぐらい。壮年のおじさんなんて、ワタシ一人なのであった。
国立民族学博物館、通称みんぱくには、世界各地の人類の伝統的な道具が集められている。ただし、これらは道具であって、道具というのは、その道具を使う技術や知識があって初めて意味を持つ。しかし、それらの技術や知識は、歴史の中で次々と消えてしまった。今の時代は、情報と通信と経済のグローバリゼーションによって、人類の生活様式は「同じ」になろとしている。「同じ」になることで、失うものは何であるのか。そうしたことを、ぼおぉぉと考える。
やはり、一番興味深いのは、朝鮮民族の文化や習俗の展示コーナーであった。これまで、朝鮮文化をさほど意識して見ることはなかったのであるが、今回はなんか注目してしまった。特に感動的だったのは、展示コーナーとは別に中庭のような場所に、古い朝鮮の民家の実物展示があって、なんと靴を脱いで、その民家の中に入れるである。これは、まさに韓国ドラマ「ホジュン」に出てくる民家ではないか。これは、いい。さすが、みんぱくは違う。思わず、「アニヨンハセヨ」と口に出して入ろうかと思ったが、なんか恥ずかしいのでやめた。自分以外に、誰もいなかったんだけど。

入ってみて、裏の方へ回ってみると、どうもこれは民家ではないのではないかと思い始めてきた。酒と書かれた印が掲げられているし、食堂(?)みたいな部屋もある。民家にしては、なんかへんだなと思う。よくわからん。(あとで自宅で、みんぱくのウェブサイトで見たら、これは、酒幕(しゅまく)という旅人の相手の居酒屋みたいなもののようだ。1920年当時の建築物だというので、「ホジュン」の時代よりはるか後の時代ではないか。まあ、変わらない風景だったのであろう。)
もっと、「ホジュン」に浸っていたかったのであるが、帰りの新幹線の時間もあるので、みんぱくを出て、万博記念公園の中を歩く。みんぱくは、万博記念公園の中にあるのである。
ちなみに、この万博記念公園の中を歩いたのは初めてであった。ほほう、これが、アレか、と初めて太陽の塔の実物を見た。

記録映像で何度も見てきた、日本の戦後史のビックイベントであった大阪万博である。太陽の塔の前にして、万博とは一体なんであったか、というか、万博に始まり、80年代のバブル崩壊で消えた、戦後日本のお祭り騒ぎとは、一体なんであったのか、と考えようかと思ったのであるが、歩き疲れて、どうでもいいやという気分になって、ベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、ただひたすらぼぉーと太陽の塔を眺めていたのであった。
というわけで、東京の自宅に帰り。夕食は、新大阪の駅で買った駅弁を食べた。

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