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January 2008

January 15, 2008

『朱蒙(チュモン)』見始めました

 今年のNHKの大河ドラマは、なんか朝の連続ドラマみたいなので見る気なし。そこで、じゃあというわけで、韓国歴史ドラマ『朱蒙(チュモン)』を見ようと思い(間違っても『24』を見ようではなく、『朱蒙』を見ようというのが、いかにもワタシらしい)(笑)、本日、第一話から見始める。なにしろ、韓国の国民的人気歴史ドラマなのである。これは、なんかものすごく面白いと評判いいのだ。それを聞くたびに、うーむ、そーか、コレハ見なくてはなるまい、と思っていたのである。韓国の剣術は、もちろん日本のとも違うし、中国とも違うので、こっち方面でも関心がある。

 第一話を見てみると、これは、おもしろいではないか。ちょっと韓国古代史の本を読まんと時代背景がよくわからんですね。韓国古代史というと、そもそも古代の朝鮮半島は中華帝国のひとつだったのか、それとも独立国と見ていいのか、ということで韓国と中国の間に歴史論争がある。もっか韓国は東の日本だけではなく、西の中国とも歴史論争で戦っている。そのためのドラマでもあるのかもしれない。我々は、漢に屈していたわけではないと。

 このドラマの時代の頃、我が日本国はどうだったのかというと、倭の時代である。邪馬台国の時代よりさらに前だ。竪穴式住居に住んでいて、木の実や米を食べていたという時代である。それはそれで、それなりの暮らしがある社会であったかもしれないが、こうした豪華絢爛なドラマにはならんな。日本が、とりあえず「国」らしきものになるのは(といったって、大和盆地とかの周辺の小さな王権でしかないのだけど)、これからずっと後の聖徳太子から大化の改新の時代になってからである。

 というわけで『朱蒙』、見始めました。

January 12, 2008

給油活動を再開します

 もはや、日本のインド洋で給油をやろうがやるまいが、日米関係がどうなるわけでもなく、国際社会での日本のイメージがどうなるわけでもなく、ましてやテロ対策のなにがどうなるわけでもない。

 しかしながら、である。我が国において重要なことは、もっかの国際社会の状況や今後の動向はコレコレである。従って、我々はコレコレの行動をする、ではなくて、アメリカ様がどのような意向であるのか、が重要なのである。国際社会がドウコウ、ではなく、アメリカ様はどうなのか、である。日本政府のやることとは、アメリカ様の意向と国内世論の間をどう調整するかということであろう。

 アメリカはパキスタンがここまで混乱していても、それでもなお巨額の軍事援助をやめることはできないのは、アルカイダに対抗するためと、パキスタンは核兵器を持っているため、ここに反米政権ができてしまっては困るためだ。

 民主党の小沢代表は「インド洋での給油は憲法違反」とし、インド洋での海自派遣は中止となった。そして、日本の国際貢献とはどのようなものであるべきか、現法憲法下で自衛隊のISAF参加が可能なのかどうかまでを含めて考え直す方向へと進んだ(はずだった)。ところが、だ。そこまでいった時になにが出てきたのかというと、守屋前防衛事務次官の不正疑惑である。ここにきて、国会の審議は防衛利権問題へと大きくシフトしてしまった。そして、論議されるべき本来のことはさほど論議されることなく、多数決ということで給油再開になってしまった。やるならやるで、日本は給油活動でイラク戦争に参加するということをきちんと表明できるようにするべきであるが、そこまでやるつもりはなく、とりあえずこれから1年間、給油活動ができさえすればいいようだ。で、1年たったらどうするのであろうか。また、再延長すればいいのであろうか。

 日本の政治での意志決定のプロセスのおもしろい特徴は(おもしろい、と言っていいのかどうかわからんけど)、ある時、ある部分においては、非常に論理的で、理が通っていているのであるが、そのまま、その方向へ進むことなく、必ず(必ずだ)わけのわからん方向へと曲げられて、あとは時間切れかのように、駆け込みで物事が決定されてしまうのである。

January 11, 2008

2008年を考える

 ざっくばらんに今年を考えてみたい。

 まず、国内の政治について。

 おおざっぱに言うと、今の日本では、政治は公共サービス業みたいなものだと捉えられているのではないかと思う。もちろん、政治は「こうきょうさーびすぎょう」なのであると言えば、確かにその通りである。しかし、この観点からは、国民は、有権者であり参政権を所有する市民ではなく、日本政府や地方行政のサービス業の顧客であり消費者である意識しか出てこない。国民は行政のお客様であり、政治は顧客にとって満足のいくものであるかどうかという顧客満足度で判断されるものになっている。顧客満足度で判断するのならば、それは良いことなのではないかと思うかもしれないが、その満足の中身が、公共サービスの側から提供される選択肢の中での選択でしかない。公共サービスをもっと充実させたいのなら、消費税を上げるしかないという選択肢を国民の前に出し、さあ選択して下さいとするのである。

 例えば、住宅を購入しようとすると何千万円もして、20年ローンとか30年ローンとか組むのが当然になっているが、なぜそもそもこんなカネがかかるのか、なぜもっと安くならないのかといった「顧客要求」はなぜか出てこないのである。あるいは、なぜ子供を育てるのにこんなにカネがかかるのか。教育費ひとつをとってみても、なぜもっと安くならないのか。安くするためには、なにをどうしたらいいのか。そうした根本的な議論はなぜかまったくされることがない。つまり、まるであたかも公共サービス業の顧客であるかのような意識を持ちながら、本当の意味での顧客優先、生活者優先になっていない。本来の問うべきこと、やるべきことが巧みに隠蔽されている。

 かつて昭和35年、時の内閣総理大臣の池田勇人は「みなさんの所得を倍にします」と公言し、国民所得倍増計画を経済政策とした。所得を倍にしますというのは、簡単に言えば、日本の経済の成長率を上げ、国民一人あたりの平均所得を倍しますということだ。事実、日本経済は驚異的な成長を遂げ、数年後に国民1人当りの実質国民所得は倍になった。国民所得倍増計画は達成されたのだ。この政策を企画し実行したのは、この時代の官僚たちであったことを思うと、当時の日本は政治家も官僚も国民生活の向上が国の復興であるという共通の目的に邁進していたということがわかる。

 では、あの時代から半世紀後の今日、あのように、政治が国民の暮らしを豊かにすることができるであろうか。「住宅購入は今の半額でできるようにします」とか「子供の教育費を今の3分の1にします」とか「高校まで義務教育とし、国公立大学は入学試験なしにします」といったことを公言する総理大臣はいるであろうか。しかし、今、必要なのはそうした根本的なことではないかと思う。生活の質を上げて、生活のコストは下げることは可能だ。消費税を上げれば、なんとかなるという思考では、やがてまた税収が足らないので上げざる得ませんということになるだろう。

 今の経済政策の考え方は、簡単に言えば、少数のお金持ちが豊かになれば、そのお金が一般大衆の層にも回り、全体の底上げをするという考え方だ。しかし、太平洋戦争が敗戦で終わり、焦土と化した日本の国土を復興した経済の考え方は、大衆に安く良質の製品を大量に提供することで経済を成長させるというものであった。大雑把に言うと、私は1990年代に、「大衆に安く良質の製品を大量に提供することで経済を成長させる」というこれまでの路線ができなくなったので、「少数のお金持ちが豊かになれば、そのお金が一般大衆の層にも回り、全体の底上げをする」というアメリカの共和党レーガン政権時代に始まった経済政策の思想に日本は変わったのだと考えている。どちらも経済を成長させることを目的としたものであるが、そのやり方は大きく異なる。そして、現状を見ていると、「少数のお金持ちが豊かになれば、そのお金が一般大衆の層にも回り、全体の底上げをする」ではなくて、実際にできたものは格差社会であった。アメリカでは、共和党の経済政策がもらたしたものは、巨額の財政赤字とますます進行する社会格差だけである。

 よく言われることに、これから日本もアメリカのような格差社会になるということがあるが、それもその通りで、レーガン政権やイギリスのサッチャー政権の経済のやり方を日本も導入したが故に、同じ結果になるのは当然であろう。こうした現状の姿を、生活者主体の経済政策に変えなくてはならない。

 そうした考え方は、官僚の側からは出てこない。官僚組織とは、自己の組織の存続を第一とし、その存続と利益に反するものは巧みにこれを排除する。しかしながら、官僚というのは、本来そういうものであって、これをとやかく言ってもしょうがない。また、役所は非効率、非能率なので、民営化させればいいというのも、それでは民営化させればなんでもいいのかというとそうでもない。このなんでも民営化させればいいという思考もまた、アメリカのレーガン政権以後の共和党政権のやり方のマネである。なにがなんでも小さい政府が良い、だから民営化させれば良いという思考はおかしい。本来、生活者にとって必要なものはなんなのかという視点が必要であろう。不必要な役所は不必要であり、必要な役所は必要なのである。

 政権交代がポイントなのではない。自民党であろうと、民主党であろうと、その区別はあまり関係ない。ようは生活者主体の政策ができるのか、できないのか、ということであろう。極端なことを言えば、政治家とは本来のやるべきことをやるのならば、企業から賄賂や裏金をもらっているかどうかなどどうでもいいのである(いや、良くはないけれども)。

 次に、国際面について考えてみたい。

 年末年始のNews Week(Dec 31,Jan 7,2008)の特集は、中国であった。今年は、北京オリンピックがある。東京、ソウル、そして北京と、アジアで開催される三番目のオリンピックである。アメリカの国際メディアはどこもそうであるが、News Week誌もまた、中国への注目が大きい。今年はThe Year of China Watchingなのであると書いている。今のアジアは、中国、そしてインドの存在によって大きく変貌しつつある。20世紀末の世界経済は日本と、アメリカと、ヨーロッパという3つの大きな「経済大陸」に分けられ、その相互依存によって動いていたが、今ではその3つに加えて中国の存在を外しては世界経済は成り立たない。そういう時代になった。

 そうした時代になったのであるが、日本国内では日中関係は必ずしも良好ではない。中国では、日本は先の戦争の謝罪をしようとしないと思われている。また、日本では、中国は反日政策であり、軍事大国化して日本に圧力をかけていると思われている。これら意味することは、ますます日中関係の不和を招くだけである。実際のところは、これらは両国の一つの側面であって、これらを過大に強調することによって、保守的な対外強硬派の勢力拡張になっている。日本が先の戦争について反省もなにもしていないと言うのはまったく見当違いも甚だしいように、中国が日本に謝罪を要求し、反日感情を強く持っているだけというのも見当違いも甚だしい。胡錦濤政権は、その前政権である江沢民の政権とは異なり、対日政策においても柔軟で新しい思考を取り入れている。ナショナリズムはどこの国にもある。特定の政治目的のために作られた世論や、あるいは逆に世論を特定の政治目的のために迎合したりすることなく、中国情勢の本質を考えたいものである。

 同様に、ただ単に反米、嫌米意識を高めることもいかがなものかと思う。戦後60年、日本がアメリカと同盟を持ってきたのは、時代背景や国内事情等、様々な理由がある。本来、行うべきことは、戦後60年のアメリカとの、結果的には依存になっている関係の、そのプラスとマイナスを客観的に評価することである。そして、ではその評価をやっているのかというと、親米かもしくは保守反米のアメリカ論があるばかりで、しっかりとした日米関係の総括があるように見えない。それは、近現史の研究・考察がそれほど大きく進展していないということにもつながっている。アメリカ依存から抜け出したいのならば、過去の60年間の日米関係を客観的に分析し、その功罪を理解することがその第1歩なのである。

 今年はアメリカの大統領選挙の年でもあり、アメリカの新しい外交方針はどのようなものになるかが大変重要なことになる。レーガン政権以後の保守の時代が、今年で終わりを告げる可能性が大きくある。アメリカ単独による世界管理が困難になりつつある。アメリカの意思は、アジア地域の管理は米中が行うというものである。中国の台頭により、相対的に日本の地位は下がる。しかし、それは逆から見れば、日本外交の自由度が高まるということである。米中という二つの大国の間にあって、日本は独自の方針を貫くことができるということだ。そうしたことができるような国になるのか、あるいは中国の覇権に怯え、北朝鮮や韓国の主張に振り回され、相変わらずアメリカ依存のままでいるのか、ということであろう。

『炎立つ』DVD完全版

 去年の12月あたりから、このお正月の休みにかけて、さしてここに書くこともなく、なにをしていたのかというと、別に仕事が特別忙しかったわけではなく、NHK大河ドラマの『飛ぶが如く』と『炎立つ』のDVD完全版BOXを買ってきて、それを延々と見ていた。

 本当は、『独眼竜政宗』の完全版も買おうかと思ったのであるが、なにしろ安いシロモノではないので、まあ、近所のTSUTAYAにあるんでレンタルで借りればいいやと思って買うことをやめた。大体、NHKのDVDは価格が高い。ちなみに、役所広司が宮本武蔵を演じたNHKの『宮本武蔵』のDVD完全版もBOXで全巻買ってしまった。総集編のDVDは前から持っていて、完全版がでないものかと思っていたが、ついに完全版がでたのだ。この作品は吉川英治の原作に最も近いと言われ、数多くの武蔵ものの中でもトップクラスの名作なのである。まあ、役所広司の武蔵はともかく、奥田瑛二の又八と鈴木光枝のお杉婆さんは、数多くの又八、お杉キャラの中で最高であろう。ワタシの「宮本武蔵」のベストは、この役所広司版の「宮本武蔵」と、内田吐夢監督、萬屋錦之介主演のあの名作映画「宮本武蔵」5部作の二本である。この二本がいい。

 というわけで、宮本武蔵の話ではなくて、『炎立つ』である。

 平成5年の7月から翌年の3月にかけて放送されたこの作品を見るまで、自分は「前九年の役」と「後三年の役」のことなどひとつも知らなかった。日本史の教科書にそんなことが書いてあったなあ、というぐらいで、平安末期、公家の政権から武士の政権に変わろうとする時期に、東北の方でなんか反乱みたいなことがあった、という程度の知識しかなかった。そんなわけで、『炎立つ』を見て、なんと、こんな出来事だったのかと初めて知って、それからそっち関係の本を何冊か読みまくったものだ。おかげで、今では、あの時代の奥州で何が起きたのか、それなりに理解しているつもりであるが、奥州藤原氏というと、渡辺謙の経清と、村上弘明の清衡と、渡瀬恒彦の秀衡がすぐに頭に浮かぶようになって、では、毛越寺の伽藍を建立した基衡はどうなのかというと、『炎立つ』では出てこなかったので、ここはすっぽりと理解が欠けている。まあ、その程度の知識なのだ。

 今回改めて、完全版で『炎立つ』をじっくり見直してみて、自分は何を思ったかというと、日本国とはそもそもなんなのかということだ。

 『炎立つ』の冒頭は、8世紀、坂上田村麻呂が奥州でアテルイと戦うところから始まる。ここは歴史学的にも、なぜそうなったのかよくわかっていないのであるが、坂上田村麻呂側がアテルイを許すということで、アテルイ側が降服したということになり、アテルイは京都へと連行される。ところが、朝廷はアテルイを反逆の将として処刑する。アテルイとしては、騙されたということなり、彼は恨みをもって死んでいく。この出来事から、『炎立つ』は始まる。

 NHKは、日本国の国営放送のテレビ局だ。今の日本国は、2千年前の大和朝廷の時代からつながる天皇を象徴とする政権の国家である。その国家が、その大昔、朝廷は東北地方を侵略し、かくも卑劣な手段で奥州の英雄を殺害したということを堂々とテレビで放送していいんかいということになるのであるが、そこはさすが天下のNHK、堂々と放送をしたのだから、たいしたものである。

 我々、平成の世にいる日本人は、この時代から1千年の後の世にいる。我々が思う「日本」というのは、この千年によって作られたものであって、千年前の人々にとって、この国は違うイメージで捉えられていた。日本という国家は、天皇を象徴とする国家とするのならば、千年前の日本では、そうした「国」は京都を含む西日本地域でしかなかった。奥州のアテルイの国が、京都を中心とする国に攻撃をしてきたわけではない。京都を中心とする国側が、その支配範囲を拡大するために、奥州のアテルイの国を侵略したのである。

 その昔、京都から見れば東北は遠い板東(関東平野)のさらにその向こうにある辺境の彼方の地であった。しかし、京都から見れば辺境の彼方であろうと、なんであろうと、太古の昔からその「辺境」の地に住み、生きてきた人々がいた。彼らは京都の人々から、蝦夷と呼ばれ、蔑まれてきた。

 ちなみに、その京都ですら、そこに都ができる以前には、そこには朝廷とは縁もゆかりもない人々が住んでいた。奈良もそうであったし、その前の大和盆地に天皇の政権ができる以前もそうであった。そうやって遡っていくと、この日本列島の先住民たちにとって天皇の政権とは、外部からから来た侵略政権ということになるのであるが、ここではそこまで触れない。この問題は、考えていくとややこしく、かつ奥が深い。他の文化や種族を差別し蔑むというのは、別にこの時代の日本だけにあったわけではなく、人類のどの時代でも、どこにでもあったことであり、今でも存在する。人の社会というものは、そういうものなのだと理解するしかない。

 陸奥奥六郡の俘囚の長である安倍頼時が考えていたことは、奥州を京都の政権とは独立した国にすることであった。奥州には、豊富な金が産出し、名馬を生み育て、優れた工芸品を作る文化があった。その文物をもって中国と交易を行うことによって独立国としてやっていくことができるという考えである。実際に、安倍頼時はそうした国を奥州に作っていたのである。この考え方は、今のボーダーレス経済の考え方と同じだ。地域国家と言ってもいい。京都の帝を中心とした体制に与することなく、奥州は奥州で独自にやっていくということだ。。もちろん、奥州が京都の公家政権を滅ぼして、日本国を治めようというのではない。京都は京都でやっていればいいのだし、奥州は奥州でやっていけばいい。共に共存して、共に栄えようという考えである。

 しかしながら、ここにそれとは違う発想というか意識がある。「奥州は奥州でやっていけばいい。京都は京都でやっていけばいい。」ではなく、「日本国全部を統一的に支配したい」という意識である。8世紀の坂上田村麻呂による奥州征伐の時代から京都の朝廷には、そうした意識があった。さらに、11世紀頃から朝廷とは別の一団もまたそうした意識を持つようになる。武士団という者たちである。西日本の武士団を束ねる平家と、東国武士団を束ねる源氏の二大武士団もまた日本全土(ただし、この時代ではまだ南の琉球と北の蝦夷は意識外である)を支配したいと思うようになる。

 なんで、そう思うのか、奥州は奥州でいいじゃんとワタシなどは思うが、そうは思わず、全部を支配したいと思うのである。全部を支配して、富を独占したいということなのであろうか。ここでちょっと思うのは、土地の所有権ということだ。「前九年の役」で源頼義が考えたことは、源氏の勢力の拡大のためには、源氏に組する武士団を数多く集めることであるが、そのためには武士たちに与える褒賞が必要なのである。褒賞とはなにかといえば、土地なのである。手下に与える土地がないと、統領は数多くの手下を集めることができないのだ。数が多くなければ合戦では勝てない。よって、より強力な軍団であるためには、より多くの兵を集めなくてはならず、より多くの兵を集めるためには、より多くの(褒賞として与えるべき)土地を所有していなくてはならない。従って、奥州の土地も手に入れたい、というのが源頼義が考えたことなのだろう。

 さらに考えてみたい。なぜ、より多くの土地が必要なのか。ここで重要なのは、耕地面積から得られる作物の量であり、質である。ある一定の耕地面積から得られる作物の量も質も同じである場合、収益を上げるためには、耕地面積を増やすしかない。これに対して、安倍の富の源は金であった。金は、金鉱から得られるものであって、つまり農業ではない。安倍はその金を京都や中国と交易を行い、必要な文物を得ているのである。良質の金鉱が必要なのであって、耕地面積を増やさなくてはならないわけではない。いわば、安倍の経済基盤は天然資源と、それをもとにした商業というまさに資本主義であり、源氏の経済基盤は農本主義なのである。

 では、耕地面積を増やさずに、生産性を上げることはできないのか。それこそ、すなわち技術革新である。知識や技術さえあれば、ある一定の耕地面積から得られる作物の量や質を上げることができる。しかしながら、人々がそうした意識を持つようになるには、日本国内にはもはや未開のフロンティアなどなくなった、つまり、限りある土地の中で作物の生産性を上げなくてはならないということになったもっと後の世のことである(大雑把に言えば、江戸時代からであろう)。安倍は京都の朝廷に対し、常に恭順の意を表し、有力公家に献上品を欠かさず送っていた。奥州の側から侵略行為をしたことなど一度もなかった。それでも安倍は、朝廷勢力の代表としての源頼義に攻め滅ぼされるのである。「前九年の役」とは、そうした出来事であった。

 「前九年の役」の次の「後三年の役」が終わり、頼義の息子であり、頼義の没後、源氏の統領となった源義家が考えたことは、公家に変わって武士が政権を司り、国を運営していくという考えであった。この考えは、後に、義家の三代後の頼朝によって実現する。渡辺謙が演じる奥州藤原氏の粗である藤原経清が言う「蝦夷の誇り」という言葉を、同じ渡辺謙が演じる奥州藤原氏の最後の藤原泰衡もまた言う。このシーンは感動的だ。「蝦夷の誇り」は奥州藤原氏とともに消え去り、鎌倉幕府が登場した以後、日本の政権は大きく分ければ西日本と東日本に分かれ、天皇と武士団による二重構造の政権の時代になる。

 以後、奥州は奥州として独立し、中国と交易をして栄えるということは、二度と行われることはなかった。「蝦夷の誇り」、大和朝廷から続くこの国の政権の国史である日本史の教科書には、当然のことながらそうした記述は、ない。

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