『炎立つ』DVD完全版
去年の12月あたりから、このお正月の休みにかけて、さしてここに書くこともなく、なにをしていたのかというと、別に仕事が特別忙しかったわけではなく、NHK大河ドラマの『飛ぶが如く』と『炎立つ』のDVD完全版BOXを買ってきて、それを延々と見ていた。
本当は、『独眼竜政宗』の完全版も買おうかと思ったのであるが、なにしろ安いシロモノではないので、まあ、近所のTSUTAYAにあるんでレンタルで借りればいいやと思って買うことをやめた。大体、NHKのDVDは価格が高い。ちなみに、役所広司が宮本武蔵を演じたNHKの『宮本武蔵』のDVD完全版もBOXで全巻買ってしまった。総集編のDVDは前から持っていて、完全版がでないものかと思っていたが、ついに完全版がでたのだ。この作品は吉川英治の原作に最も近いと言われ、数多くの武蔵ものの中でもトップクラスの名作なのである。まあ、役所広司の武蔵はともかく、奥田瑛二の又八と鈴木光枝のお杉婆さんは、数多くの又八、お杉キャラの中で最高であろう。ワタシの「宮本武蔵」のベストは、この役所広司版の「宮本武蔵」と、内田吐夢監督、萬屋錦之介主演のあの名作映画「宮本武蔵」5部作の二本である。この二本がいい。
というわけで、宮本武蔵の話ではなくて、『炎立つ』である。
平成5年の7月から翌年の3月にかけて放送されたこの作品を見るまで、自分は「前九年の役」と「後三年の役」のことなどひとつも知らなかった。日本史の教科書にそんなことが書いてあったなあ、というぐらいで、平安末期、公家の政権から武士の政権に変わろうとする時期に、東北の方でなんか反乱みたいなことがあった、という程度の知識しかなかった。そんなわけで、『炎立つ』を見て、なんと、こんな出来事だったのかと初めて知って、それからそっち関係の本を何冊か読みまくったものだ。おかげで、今では、あの時代の奥州で何が起きたのか、それなりに理解しているつもりであるが、奥州藤原氏というと、渡辺謙の経清と、村上弘明の清衡と、渡瀬恒彦の秀衡がすぐに頭に浮かぶようになって、では、毛越寺の伽藍を建立した基衡はどうなのかというと、『炎立つ』では出てこなかったので、ここはすっぽりと理解が欠けている。まあ、その程度の知識なのだ。
今回改めて、完全版で『炎立つ』をじっくり見直してみて、自分は何を思ったかというと、日本国とはそもそもなんなのかということだ。
『炎立つ』の冒頭は、8世紀、坂上田村麻呂が奥州でアテルイと戦うところから始まる。ここは歴史学的にも、なぜそうなったのかよくわかっていないのであるが、坂上田村麻呂側がアテルイを許すということで、アテルイ側が降服したということになり、アテルイは京都へと連行される。ところが、朝廷はアテルイを反逆の将として処刑する。アテルイとしては、騙されたということなり、彼は恨みをもって死んでいく。この出来事から、『炎立つ』は始まる。
NHKは、日本国の国営放送のテレビ局だ。今の日本国は、2千年前の大和朝廷の時代からつながる天皇を象徴とする政権の国家である。その国家が、その大昔、朝廷は東北地方を侵略し、かくも卑劣な手段で奥州の英雄を殺害したということを堂々とテレビで放送していいんかいということになるのであるが、そこはさすが天下のNHK、堂々と放送をしたのだから、たいしたものである。
我々、平成の世にいる日本人は、この時代から1千年の後の世にいる。我々が思う「日本」というのは、この千年によって作られたものであって、千年前の人々にとって、この国は違うイメージで捉えられていた。日本という国家は、天皇を象徴とする国家とするのならば、千年前の日本では、そうした「国」は京都を含む西日本地域でしかなかった。奥州のアテルイの国が、京都を中心とする国に攻撃をしてきたわけではない。京都を中心とする国側が、その支配範囲を拡大するために、奥州のアテルイの国を侵略したのである。
その昔、京都から見れば東北は遠い板東(関東平野)のさらにその向こうにある辺境の彼方の地であった。しかし、京都から見れば辺境の彼方であろうと、なんであろうと、太古の昔からその「辺境」の地に住み、生きてきた人々がいた。彼らは京都の人々から、蝦夷と呼ばれ、蔑まれてきた。
ちなみに、その京都ですら、そこに都ができる以前には、そこには朝廷とは縁もゆかりもない人々が住んでいた。奈良もそうであったし、その前の大和盆地に天皇の政権ができる以前もそうであった。そうやって遡っていくと、この日本列島の先住民たちにとって天皇の政権とは、外部からから来た侵略政権ということになるのであるが、ここではそこまで触れない。この問題は、考えていくとややこしく、かつ奥が深い。他の文化や種族を差別し蔑むというのは、別にこの時代の日本だけにあったわけではなく、人類のどの時代でも、どこにでもあったことであり、今でも存在する。人の社会というものは、そういうものなのだと理解するしかない。
陸奥奥六郡の俘囚の長である安倍頼時が考えていたことは、奥州を京都の政権とは独立した国にすることであった。奥州には、豊富な金が産出し、名馬を生み育て、優れた工芸品を作る文化があった。その文物をもって中国と交易を行うことによって独立国としてやっていくことができるという考えである。実際に、安倍頼時はそうした国を奥州に作っていたのである。この考え方は、今のボーダーレス経済の考え方と同じだ。地域国家と言ってもいい。京都の帝を中心とした体制に与することなく、奥州は奥州で独自にやっていくということだ。。もちろん、奥州が京都の公家政権を滅ぼして、日本国を治めようというのではない。京都は京都でやっていればいいのだし、奥州は奥州でやっていけばいい。共に共存して、共に栄えようという考えである。
しかしながら、ここにそれとは違う発想というか意識がある。「奥州は奥州でやっていけばいい。京都は京都でやっていけばいい。」ではなく、「日本国全部を統一的に支配したい」という意識である。8世紀の坂上田村麻呂による奥州征伐の時代から京都の朝廷には、そうした意識があった。さらに、11世紀頃から朝廷とは別の一団もまたそうした意識を持つようになる。武士団という者たちである。西日本の武士団を束ねる平家と、東国武士団を束ねる源氏の二大武士団もまた日本全土(ただし、この時代ではまだ南の琉球と北の蝦夷は意識外である)を支配したいと思うようになる。
なんで、そう思うのか、奥州は奥州でいいじゃんとワタシなどは思うが、そうは思わず、全部を支配したいと思うのである。全部を支配して、富を独占したいということなのであろうか。ここでちょっと思うのは、土地の所有権ということだ。「前九年の役」で源頼義が考えたことは、源氏の勢力の拡大のためには、源氏に組する武士団を数多く集めることであるが、そのためには武士たちに与える褒賞が必要なのである。褒賞とはなにかといえば、土地なのである。手下に与える土地がないと、統領は数多くの手下を集めることができないのだ。数が多くなければ合戦では勝てない。よって、より強力な軍団であるためには、より多くの兵を集めなくてはならず、より多くの兵を集めるためには、より多くの(褒賞として与えるべき)土地を所有していなくてはならない。従って、奥州の土地も手に入れたい、というのが源頼義が考えたことなのだろう。
さらに考えてみたい。なぜ、より多くの土地が必要なのか。ここで重要なのは、耕地面積から得られる作物の量であり、質である。ある一定の耕地面積から得られる作物の量も質も同じである場合、収益を上げるためには、耕地面積を増やすしかない。これに対して、安倍の富の源は金であった。金は、金鉱から得られるものであって、つまり農業ではない。安倍はその金を京都や中国と交易を行い、必要な文物を得ているのである。良質の金鉱が必要なのであって、耕地面積を増やさなくてはならないわけではない。いわば、安倍の経済基盤は天然資源と、それをもとにした商業というまさに資本主義であり、源氏の経済基盤は農本主義なのである。
では、耕地面積を増やさずに、生産性を上げることはできないのか。それこそ、すなわち技術革新である。知識や技術さえあれば、ある一定の耕地面積から得られる作物の量や質を上げることができる。しかしながら、人々がそうした意識を持つようになるには、日本国内にはもはや未開のフロンティアなどなくなった、つまり、限りある土地の中で作物の生産性を上げなくてはならないということになったもっと後の世のことである(大雑把に言えば、江戸時代からであろう)。安倍は京都の朝廷に対し、常に恭順の意を表し、有力公家に献上品を欠かさず送っていた。奥州の側から侵略行為をしたことなど一度もなかった。それでも安倍は、朝廷勢力の代表としての源頼義に攻め滅ぼされるのである。「前九年の役」とは、そうした出来事であった。
「前九年の役」の次の「後三年の役」が終わり、頼義の息子であり、頼義の没後、源氏の統領となった源義家が考えたことは、公家に変わって武士が政権を司り、国を運営していくという考えであった。この考えは、後に、義家の三代後の頼朝によって実現する。渡辺謙が演じる奥州藤原氏の粗である藤原経清が言う「蝦夷の誇り」という言葉を、同じ渡辺謙が演じる奥州藤原氏の最後の藤原泰衡もまた言う。このシーンは感動的だ。「蝦夷の誇り」は奥州藤原氏とともに消え去り、鎌倉幕府が登場した以後、日本の政権は大きく分ければ西日本と東日本に分かれ、天皇と武士団による二重構造の政権の時代になる。
以後、奥州は奥州として独立し、中国と交易をして栄えるということは、二度と行われることはなかった。「蝦夷の誇り」、大和朝廷から続くこの国の政権の国史である日本史の教科書には、当然のことながらそうした記述は、ない。
« 再開に向けて、努力しております | Main | 2008年を考える »
Comments
The comments to this entry are closed.
解説はなかなかのものですが、安倍の字が「安部」になっています。名称を間違えると三流のエッセイと侮られてしまうので気をつけたほうがいいですよ。また、関東等の東国武士団は奥羽と同じで、朝廷からみれば「蝦夷」(えみし・えびす)のグループに入ります。他の大河ドラマで頻繁に「あずまえびす」という言葉が坂東武者に浴びせられており、今でも口の悪い関西人は、東京出身者を「あずまえみし」などと呼んでいます。例え1200年前であっても関東と東北を分けようとするのは、関東人の歴史の捏造みたいなものですね。白河の関の言い伝えは古文書等には一行もなく、明治期に右系歴史学者の説が定着したものです。帝都からやましい歴史を消そうという軍国主義者の歪曲そのものです。
Posted by: 炎立つファン | May 10, 2010 02:05 PM
炎立つファンさん
漢字の間違いのご指摘ありがとうございました。
なるほど、京都から見れば、関東も東北も「同じ」に見えますか。
Posted by: 真魚 | May 11, 2010 01:00 AM
とても勉強になりました。
Posted by: | May 12, 2012 08:41 PM
ご参考になり、なによりよりです。
Posted by: 真魚 | May 12, 2012 10:55 PM