robitaさん、
ちょっとrobitaさんの3つのご質問に答える前に、中国への謝罪とはなにか、ということについて書いてみます。
中国への謝罪というものを考えるにあたって、いつも思うひとつのシーンがあります。
唐突ですが、大河ドラマの『独眼竜政宗』の話をします。『政宗』の中で、僕が好きなシーンのひとつが、正宗が秀吉に初めて会うシーンです。天正18年、信長の天下統一を受けついた秀吉は九州・四国を平定して、西日本を支配下に置き、関東の覇者であった小田原の北条氏を攻めます。この時、秀吉は全国の戦国大名に小田原征伐に参加するように命じますが、そんな話など頭っから無視をして、秀吉など相手にしないという態度をとった人物がいます。奥州の伊達政宗です。信長の小姓上がりに、誰が頭を下げるものかと思っていたのでしょう。かたや、秀吉側はどうか。この小田原征伐に政宗がこなかったら、北条の次は伊達を攻めることを決定していました。天下を統一するということは、軍事力でまず日本国全体を支配する必要があったのです。秀吉の命に従わない者は、軍事力をもって滅ぼさなくてはならないわけです。
さて、小田原城陥落はもはや時間の問題になった時、このままでは次は伊達が滅ぼされる、つまり、天下は秀吉のものになったのだということが現実になってきて、政宗は考えます。ここんとこ大切なので強調しますが、政宗としては秀吉なんかに屈したくないんです。頭なんか下げたくないのです。しかしながら、秀吉の方が強いのです。ですから、あくまでも秀吉に抵抗して、奥州で秀吉軍を向かいうち、壮絶な滅亡の道を選ぶか、それとも秀吉に服従するか。しかし、服従するにしても、もはやこの時期に遅れてノコノコと小田原へ行って秀吉は許してくれるのであろうか。
そこで政宗は何をしたか。これはもうみなさん、よくご存じであるわけです。渡辺謙の政宗が白い死に装束をして、勝新太郎の秀吉に頭を下げたわけです。秀吉としては、死に装束までしてきて「太閤殿下に背くつもりは毛頭ございません。遅参の段、如何なる御沙汰あっても、御受け致す所存」と頭を下げてきた相手に対して、むげにするわけにはいきません。かくて、政宗は罰せらることはなく、秀吉の奥州討伐はなくなります。勝新太郎と渡辺謙のこのシーンは良かったですねえ。
秀吉は、政宗より強いのです。秀吉は天下統一の覇者なのです。だから、政宗は下げたくもない頭を下げざるを得なかったのです。しかし、ただ秀吉に服従するわけではない。小田原参陣を遅らせて、しかも、遅れてきて、あっと驚く「謝罪」をして、秀吉に伊達征伐の命を出す大義名分を失わせたということを政宗はやってのけたのです。これに脅威を感じたのは、当の秀吉でしょう。こちらより軍事的に弱い相手が「うちらは悪くない、おまえが悪い」と理をもってまくしたててくるのならば、これは怖くもなんともありません。かりに、その意見が正しいものであっても、正論なんてものは暴力でたたきつぶす。これが現実の世界です。しかしながら、「悪いのはうちでございます。おたく様に刃向かうつもりは毛頭ありません」を頭を下げてくる相手に暴力をふるうわけにはいきません。大義名分のない暴力は、統治者が行使する軍事力ではありません。いかなる権力者であっても、天下の秩序を壊すわけにはいかないのです。
政宗は、秀吉に謝罪をしました。「謝罪をした」ということは、その場にいた戦国武将たち、みんなが知っています。しかしながら、これは政宗が秀吉に従属する意志を示したということではないですね。もちろん、表向きは従属しますということになっているんですけど。むしろ、その逆に「お前なんかに従属しないぞ」と言っているのです。そのことは、当の相手の秀吉も含めた世の人々みんながわかることだったのです。ただし、それを北条のようにストレートにやってしまうと天下の秩序が乱れるんです。人々としては、誰かが天下を平定し安定した世の中にして欲しいと感じていましたから。権力者にそむく者は、これを倒さなくては天下の秩序が成り立ちません。だから、秀吉は自分に屈しない北条を滅ばしたのです。しかし、政宗は権力者に屈してきたのです。屈してきたんですけど、政宗は内心では屈してるどころか敵対心満々なんです。それは秀吉にもよくわかっているんです。しかしながら、そうであっても、こうなった以上、伊達を攻めることはできない。天下の秩序がそれを許しません。
もし、ここで伊達を攻めれば、もちろん秀吉の勝利に終わるでしょう。しかし、遠い奥州で伊達を相手に戦うのならば、相当な規模のコストがかかることは覚悟しなくてはなりません。その莫大なコストを払うことは、秀吉にはできない、政宗はそう判断したのでしょう。秀吉が欲しいのは、諸侯の前で政宗が自分に頭を下げるということでした。伊達政宗という若造個人が、秀吉をどう思っているか、はどうでもいいんです。奥州の覇者である伊達も秀吉に頭を下げたということで、実質的に西日本から東日本に至るまで、太閤秀吉の天下になったということを世間に示すことができるのです。
つまり、天下人である秀吉が意識していたのは、政宗ではなく「天下」というものだったのです。そして、政宗が見ていたものも、秀吉ではなく、秀吉の向こうにある「天下」というものだったんです。天下にとって、どうなのか、どう評されるのか、ということです。強国に対して、弱小国が行える最大の防衛とは、自国を攻撃する大義名分を立てさせないことです。相手が自国を攻める理由を出してきたのならば、ことごとくそれを無力化すること。策をもって相手の軍事行動を封じることです。
秀吉没後、家康の天下になっても、政宗は家康にひたすら恭順の意を示します。徳川様に、刃向かうつもりは毛頭ございません、と頭を下げ続けます。頭を下げながらも、政宗は江戸から遠く離れた仙台で、幕府になにかあったら、すぐさま徳川を滅ぼしてやろうと虎視眈々としていました(まあ、晩年の政宗はそんな野心など捨て去って悠々とした人生を送りましたが)(『独眼竜政宗』のラストで、歳老いた政宗が、能の舞台の演舞を見ながら、幼い頃に見た父親輝宗の舞を思い出し懐かしむシーンが好きです。輝宗は北大路欣也でしたね)。だからこそ、家康、秀忠、家光と三代の徳川将軍にとって、奥州に伊達政宗がいるということに緊張感をもっていたのだと思います。
以上、中国への日本の謝罪ということについて、僕の考える「謝罪」の意味を述べてみました。日本軍による戦争犯罪行為への謝罪云々ということ(これはこれで、別に考えなくてはなりません)から1歩離れた、これからの東アジアを見据えた外交戦略としての「謝罪」の仕方があると思うのです。中国は、日本より強国です。アジアの覇者は、日本ではなくこれからは中国です。ここんとこが、我々日本人としては受け入れ難いことかもしれませんが、国際社会の冷然たる事実なのですからしかたありません。
覇権国家中国は(アメリカと同じく)、かりに、その意見が正しいものであっても、正論なんてものは暴力でたたきつぶす、そうした国なのです。誠に失礼ながら、robitaさんの「うちらは悪くない、おまえが悪い」という意見を我が国は中国に主張し続けるべしというお考えは正論ですが、理想の、あるべき、日本と中国が対等で平等な関係である日中関係と言わざる得ません。中国は(アメリカと同じく)(しつこいか)(笑)そういう国ではありません。中華帝国の世界観には、中国とその属国しかありません。それが現実の世の中なのです。しかしながら、そうした中華帝国でさえ、国際社会の秩序の中にあります。これが秀吉と政宗が見ていた「天下」です。ですから、日本は中国そのものではなく、中国を通して、その向こうにある国際社会に向かって「謝罪」をするのです。そして、中国が納得してくれなくても、国際社会が納得すればそれでいいんです。中国もまた覇権国家たらんとしているので、いやでも国際社会の秩序に従わざる得ないのです。
国際社会が納得するとはなにか。これも不幸なことに、今の国際社会とは第二次世界大戦の戦勝国である米英仏露中が中心になってできています。これがヤダであろうと、なんであろと、これも冷然たる事実なのだからしかたありません。アジア侵略したオマエらが悪い、は正論なのですが、通用しません。それが現実です。そうした世界に、小国日本がどう立ち向かうのか。政宗にように立ち向かって行きましょう。
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