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July 2007

July 21, 2007

ひとつの時代が過ぎていった

 18日に、日本共産党の元中央委員会議長であった宮本顕治氏が老衰で亡くなられたことについて、一文を書こうかと思っているのであるが、時間と余力がないのであった。日本の近現代史の中で、日本共産党とは何であり、今後、何でありうるのか、このことについて考えるだけで厖大なものになってしまうのである。それだけ、このテーマは大きくて重い。

 ひとつの時代が過ぎていったように思う。

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kakuさんのTBへのコメントです

kakuさんのTBへのコメントです。長くなってしまったので、自分の方に置きました。

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kakuさん、

TBへのコメントが遅れてしまいました。

さて、話は少し飛びますが。

昭和19年、大日本帝国陸軍はインド北東部のインパールを攻撃します。ここには、インドに駐留するイギリス軍の基地がありました。当時、日本軍は中国の蒋介石の軍隊と戦っていたわけですが、連合国は蒋介石軍に物資を補給していました。この補給ルートのことを援蒋ルートと呼びます。日本軍としては、この援蒋ルートの遮断したいわけです。インパールのイギリス軍の基地は、この連合国から中国の蒋介石の軍隊への支援物資を送る補給基地でもありました。そこで、インパールを攻撃せよとなったわけです。

インパール作戦は、第15軍司令官牟田口廉也陸軍中将の指揮のもとで行われます。そして、その結果はどうであったかは、みなさんよく知っていることですね。

この無能、無謀、アホの極地としか言えない牟田口中将の配下に、佐藤幸徳という陸軍中将がいました。「烈」と呼ばれた第31師団の師団長だった人です。弾薬・食糧がなくなっても、なおも作戦継続を強制する上官の牟田口中将に対して、部下である佐藤中将は、反対して独断で自分の師団を敵前退却させます。これは陸軍刑法42条違反になります。佐藤中将は、軍法会議で死刑になることを覚悟しての行動でした。

佐藤中将は師団長を解任されます。しかし、その後、軍法会議は行われませんでした。軍法会議が行われると、佐藤中将は牟田口中将がいかに無能な司令官であったかを証言したと思います。陸軍としては、牟田口廉也が無能であることが証明されても、それはそれでもいいのですが、その無能な人物を司令官に任命したのは、最終的には統帥権のある天皇になります。つまり、天皇の責任問題になるので、そうなることを恐れた陸軍は、不起訴とし、佐藤中将は精神病としてジャワ島の病院に送られました。

これがインパール作戦で起きた抗命事件です。佐藤中将は、当然、陸士陸大を出ているわけですが、栗林中将のような恩賜の軍刀組ではなく、外国留学をしたわけでもありません。フツーの将官だったと思います。合理主義者と呼ばれたわけでもないフツーの将官が(このへん。フツーの人だったら抗命なんてしませんでしょうから、若干フツーの人じゃあなかったのかもしれませんが)、これはおかしいと軍事常識で当然のことを思う。結局、それが抗命ということになって、師団長を解任される。軍法会議で死刑になることを覚悟し、裁判で自分の正しさを証明しようとしたのに、陛下の責任問題なるということで、この出来事はなかったことになって、精神病患者として病院送りになる。当時の軍隊というか、社会というか、日本というのは、そういう国だったというわけです。

kakuさんの文章を読んで、栗林中将は、佐藤中将のことを知っていたかどうかと思いました。インパール作戦がどういうものであったのかということについて、栗林中将はそれなりには知っていたと思います。しかし、栗林中将がインパールの佐藤中将のような抗命ができたかどうかとなると、これは難しいと思います。それに、インパールはインドです。地面が続いていて、歩いて退却ができます。硫黄島は島ですから、そうはいきません。海軍が行ったアッツ島沖海戦でのキスカ島撤退作戦のようなもの、つまり軍当局で撤退させるという決定がされないと、生きて帰ることはできません。

それともうひとつは、生き方ですね。僕は栗林中将のことも、佐藤中将のことも深くは知りませんが。栗林中将としては、ああしたことをする以外になかったんだろうと思います。ご遺族の方々からすれば、どうなろうと生きて帰ってきて欲しいと思うと思います。しかしながら、そうはいかなかったんだろうと思います。

栗林中将と佐藤中将のどちらが正しかったか、どちらが愛国者であったかということは言えないですね。どっちも正しかったし、どっちも国を愛していたと思います。むしろ、問題なのはこうしたアホな命令を出す側ですね。東條英機とか牟田口廉也とかです。しかし、彼らもまた天皇にその職を任命されたのですから、最終的な責任は昭和天皇になってしまうのですが。これはこれとして。

kakuさんが言われるように、「祖国の戦後復興」を見据えた「名誉ある投降」を選択した人は数多いわけですし、そうした選択もありだと思います。戦後、東條英機は東京裁判で死刑になりましたが、牟田口廉也は自分の非をまったく認めず、余生を最後まで送りました。大本営の将官や将校で、戦後、政治家や実業家になった人も多いです。こうした選択も「祖国の戦後復興」のお役にたったのかというと、そうなのもかもしれませんが・・・・。

ただまあ、今、戦後、半世紀以上もたって、遠い昔の日本人の出来事を振り返ると、そうした選択をとらず、ああした選択をとった人の生き方というのが、それはそれで価値のあるものであったと思います(何度も申しますが、ご遺族の方々からすれば、硫黄島で戦った人すべてが生きて帰ってきて欲しかったと思います)。

祖国の復興とは、単なる経済的な復興のことだけではありません。

本当の意味での日本国の精神的な復興というのは、経済大国になった今、遠い昔、こうした選択をとらざるえなかったあの時代の人々の想いを振り返ることから始まるのではないかと思います。その意味で、栗林中将の選択は、「祖国の戦後復興」になりえるものではないでしょうか。生き残るより、死して意味あるものを後世に残したい。そう考えて(その考えは、残される人々にとっては不幸かもしれませんが)死んでいった人々も数多くいたこともまた事実です。ようは、その後世にいる私たちが、彼らの想いをどのように受けとめるかではないでしょうか。

でまあ、ちと、映画の話に戻るのですが、

クリント・イーストウッドは共和党です。思想的にはLibertarianと呼ばれる人々になります。『父親たちの星条旗』にせよ『硫黄島からの手紙』にせよ、ああ、イーストウッドらしい映画だなと思いました。結局、人は与えられた時代と条件の中で生きていくしかない。時代とか条件って、すごく理不尽なのだけど、そうした間違っていることを、(リベラルみたく)(笑)歴史がどうとか、社会構造がどうとか言ってキーキーわめくことなく。あるいは、愛国心だとか、国家の名誉とか言うわけでもなく、むしろ、国家とか政府とか社会とかいうものと、個人である自分の間には、明確な一線があって、個は個である。個である自分が、ただ黙って黙々と己のなすことを行い、己の価値観だけは守っていく。それが誰かに褒められることでもなく、誰かに自慢するわけでもなく、そして人生を終えていく。そうしたことが、実は意味と価値がある生き方なのだという、おおお、いかにも開拓時代の生き方じゃあないかと思いました。保守つーのは、こうでなくてはいけません。どこぞの、保守と称する人々のように、外国に軍隊を送るとかいうのは保守主義ではありませんね。

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July 10, 2007

"An Inconvenient Truth"日本版DVD発売

 アル・ゴアの映画"An Inconvenient Truth"の日本版DVDがようやく発売された。アメリカでは公開の後、すぐにアメリカではDVDが出たが、なんかしらんけど日本ではこんなに遅れた(そもそも、映画の日本での公開そのものが遅かった)。アメリカでDVDが出た時に、アマゾンで購入し、日本語版DVDではなにか追加があるのかなと思っていたが、英語版と内容は同じであった。DVDでは特典で映画公開後に新しく判明した温暖化の情報をゴア自身が述べている。当然のことながら、事態はますます悪化している。

 日本での公開の時は見に行かなかったので、日本語字幕で初めて見た、こうやって、自宅で、iMacの前に座って、もう一度じっくり見ると、なるほどそうだったのかと、改めてこの映画の良さがわかる。アル・ゴアという希有な政治家の存在もある。パネルを前して、人がレクチャーするという、とても人々が映画として見るにはおもしろくもなんともない内容のものを、うまくドキュメンタリーとして作っているなと思った。DVDのコメンタリーで、監督のデイビス・グッゲンハイムは「この映画を誰かの政策の道具にしたくない。民主党も共和党も関係ない。真実を受け入れられる理性的な人に見てほしい」と述べている。

 CO2の排出量が1年の中で増減するのは、地球の自転に関係しているという部分が、アメリカで見た時は、なにを言っているのかよくわからなかったが、日本語字幕で見たら一発でわかってしまった。で、意味がわかると、その部分は、今度は英語だけで聞いてもわかるようになった。ワタシの英語力など、そんなもんなのである。ゴアの説明は、複雑な科学理論を見事にうまく説明している。ここで思い出すのが、同じく優れた科学ドキュメンタリーであるカール・セーガンの『コスモス』である。暗い宇宙空間の中で、遠くに、ぽつんと光る小さな青い点が我々のいる地球なのだという視点は、ゴアもセーガンも同じだ。

 特典には、メリッサ・エスリッジの映画の主題歌"I Need To Wake Up"のミュージックビデオ付き。この歌はいい。これも日本のiTunes Storeでも最近ダウンロード購入ができるようになった。思えば、去年ニューヨークの映画館の暗闇の中で、この歌を聴いて感動していたものであったが、ようやくiPodでいつでも聴けるようになった。

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July 01, 2007

「しょうがない」そうだ

「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」

久間章生防衛相
千葉県柏市の麗沢大学での講演にて

 こうした発言は、中国、韓国から見た「謝罪しない日本」と対をなしている。つまり、原爆を落とされてもしょうがないという考え方はイコール、アジア諸国での残虐行為は、戦争なんだからしょうがないと考える考え方につながっている。

 日本はアメリカに、原爆投下や無差別爆撃への謝罪を要求することをしない。しないことがいいのか悪いのかについては、ここでは触れない。しかし少なくとも、この意識からは、中国、韓国が日本に謝罪を要求する心理は理解できないであろう。

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コレだけです

robitaさんの「コレだけなんです」のコメントを書いていたら、またもや長く・・・・・・。というわけで。

>>そんな簡単なことができないほど、政治を困難にさせているのは、いったい誰なのか。いったい何なのか。

これは、国民の意識というか、「例えば子供二人が大学まで行けますという給与と物価の世の中であって欲しい」という願いを、本心から強烈に持つ人が少ないんです。なぜ少ないのか。そういうことを願う人というのは、やっぱりこれから家庭を持つ世代というか、20代、30代の世代だと思うのです。しかし、彼らこそ政治の世界では圧倒的な少数派であって、票の数としても小さな割合です。人数としては、数は多いですよ。しかし、政治的勢力としては、まったくの無力です。政治的に無力になっているのは、robitaさんが書かれているように、政治に無関心、選挙に無関心だからです。

自分で書いておいて、こう言うのも何なんですが、「例えば子供二人が大学まで行けますという給与と物価の世の中であって欲しいだけ」というのは、書いている一方で、これは無理だなという思いもあります。これが可能なのですかと問われれば、「まあ、現状では不可能ですね」と答えざる得ません。もちろん、やりようはあるんです。しかし、これを本気でやろうとしたら、かなり(かなりですよ、かなりの)根本的な変革になります。道州制にすることや、外国からの輸入規制を見直すことが必要ですね。

例えば、住宅ひとつをとってみても、外国の建設資材を使うなどすると、もっと安くなります。結局、日本の家の値段を上げているのは、土地の利用や建築についての役所の規制ですね。ここを変えることで、もっと大きくて安い家に住むことができます。家が大きくなれば、家具や家電も買い換えたりして需要が出てきます。大きい家に住めだなんて、アンタ「立って半畳、寝て一畳」じゃなかったんですかと言われれば、あう、あう、と言うしかないんですが(アシカか)(笑)。本質的に、都市生活者の生活を改善することが必要なのです。生活の質を上げて、コストを下げることは可能なんです。

それがなぜできないのか。それは、もう高額ローンで家を購入した中高年世代や、それなりに充実した年金をもらっている老人世代が、そんなことを本心から願うわけがないではないですか。今の産業構造では若者に未来はないんですけど、その産業構造の中で、しかるべき安定したポジションを作ってしまった人々が、その産業構造を自分から壊すようなことをするわけがありません。

お父さんが会社で働いてもらう給料で、家が買えて、子供たちは大学まで行けた、そんな30年前にはできたことが、今の若い世代にはできません。それは30年前のワカイモンは努力したが、今のワカイモンは努力しないから云々という話ではありません。産業社会の構造的な問題なのです。構造的な問題であるからこそ、若者たちは自分の力ではどうしようもできないことがわかっているのです。30年前のワカイモンであった人々たちが、今やエスタブリッシュメントとなり、この世の中を変えたくないのです。

ここちょっと表現がややこしいのですが、この「この世の中を変えたくないのです」というのは、別に既得利益を守りたいとか、お前らワカイモンには利益はやらないぞ、とかいった能動的なものなのではなく、その、なんというか意識していないというか、意識できないというか、想像の範囲外になるというか。自分たちの生活以外のことは意識しなくなるんです。別に、悪気があってそうしているわけでもなくて、そうなっちゃうとしかいいようがないのですけど。

そして、これが日本では、この問題が大きなムーブメントにならない理由でもあると思います。ヨーロッパだと、若者問題や格差問題は、その当事者たちだけではなく、中高年の大人たちもしっかりと関心を持つので、比較的に社会問題としてフォーカスが向けられます。ところが日本だと、大人たちというか、正規雇用で安定した職業を持っている人たちは、非正規雇用者の問題について関心を持たないですね。そして、結局、ワカイモンは政治的には無力ですから、そのまま放置されるということになります。

そこで、ワカイモンの側は、ああ、今の現実はそうなのかと安易にリョーカイして、ニートをやっていればいいや、というかニート以外に道はないみたいなところに追い込まれているわけです。で、じゃあ、既得利益を獲得とした正規雇用で安定した職業を持っている人たちの側どうなのかというと。それを必死に守り抜こうという熱意といか意志があるのかというと、それはないわけで。つまり、今の日本って、なににおいても、さらっとしているというか、淡泊というか、熱意みたいなものはないですね。むしろ、今の日本人でそうしたものを持っているのは若い女性たちではないでしょうか。篠原涼子のテレビドラマの「ハケンの品格」も、そうした熱意や活力を感じますし(実際は、ああじゃないだろというのはありますが)。ここから階級闘争というものは生まれません。そもそも「とうそう」などという意識すらないんですから。ここに、なぜ今の日本では、これだけの格差社会なのに、左翼が政治的勢力を持ちえないのかということの理由のひとつがあるように思うのですが、その話はすっとばしまして。

そして問題だけが残され、さらに深刻化していきます。

>>「ひっぱたきたいのは、この国の歪んだ現状」と仰る、その「歪んだ現状」を直すのにはどうしたらいいんでしょう。

答えはカンタンです。この現状を変える有効な政策案と、その政策を実行できる政治力。その二つを持っている政党を支持し、大多数の人々がその政党に投票すること。コレだけです。なんども言いますが、コレだけなんです。その政党は、どこの政党なのと言えば、今どこにもありません。そういう政党を育てることを、この国の国民はしてこなかったのですから。民主党ではダメですかといえば、ダメでしょうねえ。だからみなさん、民主党に投票しないわけですし。もちろん、自民党では、なおさらですねえ。

国民にとって、政治とは歌舞伎の役者を「育てる」ようなことと同じです。歌舞伎や文楽の世界には、見巧者という言葉がありますね。応援や批判のやじを飛ばす観客の人たちのことです。批評をするお客さんですね。舞台というのは、役者や芸人がつくっていると共に、観客が作っているのです。良い観客がいて、良い舞台になります。良い役者が育ちます。日本人は、おまかせ文化だと前回申しました。その「おまかせ日本人」は、「おまかせ」なのだけど、見巧者でもある。そうしたものになって欲しいと思います。民主主義とか、主権在民とかなんとか、とかいった西洋からの借り物の制度ではなく、堂々と、うちらは政治の見巧者なんどすえ(なぜに京都言葉?)となればいいのです。

現状を変えるということは、1年、2年でできることではありません。5年、10年、20年、30年のスパンで見る必要があるのです。ですから、現状が良くないので政治を変えようでは、泥棒を捕まえてから縄を編むようなもので、実際はもう手遅れなんです。本来は、国にカネがあったバブル時代に着手すべきことだったんです。カネがなくなってきた今になって、カネがかかる改革をやっていこうというのが土台無理な話なのです。

しかしまあ、現状そうなわけですから。ここから進んでいくしかありません。半世紀の戦後日本の、何が良くて、何が間違っていたのか。段々とわかってきたわけですから、今から縄を編むしかありません。

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